鴨着く島

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北海道・北東北縄文遺跡群が世界文化遺産へ

2021-05-26 21:54:43 | 日本の時事風景
夜のニュースで、日本で新たな世界文化遺産が一件登録されることになったとあった。

その名は「北海道・北東北縄文遺跡群」といい、北海道から秋田県までの地域に広がる17の縄文遺跡から構成されているそうだ。

その中で有名なところでは、何と言っても「三代丸山(さんだいまるやま)遺跡」だろう。青森市の工業団地造成現場で発見された縄文中期の大遺跡で、大規模建造物を含む1000年は続いただろうと言われる集落群は東北を代表的する縄文遺跡だ。

同じ青森県の外ヶ浜町の「太平山元(おおだいやまもと)遺跡」。この遺跡では15000年前の日本最古の土器片が10点余り出ている。日本はおろか東アジアでも今のところ最古の土器だ。

そして変わっているのがストーンサークルの秋田県鹿角市の「大湯環状列石」。これは太陽の動きを捕え、立石の影によって時間を計ったのではないかと言われているようだが、サークルの本当の理由は分かっていない。

世界文化遺産は全国で20を数え、その一方で世界自然遺産は5つしかない。鹿児島では文化遺産はないが、自然遺産では屋久島と奄美・沖縄の二か所がある。

縄文時代といえば鹿児島はある意味で宝庫である。どういう意味かというと、火山が多いため火山灰が年代順にきちんと大地に積もり、噴出年代もおよそ分かっているので、発掘した時の目印になる火山灰層が発達しているからだ。

もっとも火山灰層の形成された年代が正確に分かって来たのは、ここ3~40年くらいからで、それ以前はさほどではなかった。

その象徴的な事例が「縄文の壺」である。今はもう発掘された場所(深さ)が押さえられていれば、その直上と直下の火山灰層を調べることによって年代が特定できるのだが、4~50年前以前では、壺(つぼ型土器)が発掘されようものなら、即「弥生の壺」扱いであった。

その誤認から完全に解放されたのが「上野原遺跡」の「縄文早期の壺」の出土の時であった。発掘箇所の上下の火山灰層から割り出したその年代が7500年前と分かった時の驚きようは想像に難くない。発掘担当者は「嘘!」と叫んで首を傾げ、ほっぺたをつねったのではあるまいか。

何しろ「壺」は、弥生時代に米作りが普及してから以降のことと思われていたのである。そうなると5000年も時代を溯らせなくてはならないわけで、発掘現場で「嘘!」と叫んだ担当者は、計測や記録の後にそれを博物館の縄文時代の早期のコーナーに展示しながら、今度は「狐につままれた」思いがしていたに違いない。

上野原縄文の森の館内には上野原の多種多様な出土品が展示されているが、中でも目に付くのがこの「縄文の壺」と、もう一つが壺よりさらに2千~3千年古い土器群である。

特徴は平底で薄手なことだ。平底だから展示は楽で、そのまま何も手を加えずに立てて置くことができるという優れものだ。

円筒形と角筒形とがあり、器壁には貝殻で刻んだような模様がある。縄文、つまり縄目ではないので「貝殻文」という独特の模様である。

一般に煮炊きをする土器は厚手で、しかも土器の底は尖底であることが多いのだが、早期に属する(12000年前~7500年前)「貝殻文土器」はことごとく「平底」なのである。

このような土器群は日本広しと雖も、南九州の早期の土器にしかない特徴であり、おそらく世界中探してもないだろう。

この突拍子もなく早い縄文早期の壺やら「貝殻文土器」は中央の学者に無視されているようである。「あんな何もない南九州でそんなに進んだ物が出るはずがない」と。

しかしその考えは、古代の中央集権制度に乗っかれなかったために「化外のクマソ・ハヤトが居住している遅れた地域」として蔑視された時代があり、それをずうっと溯らせた縄文時代にも同じように遅れていたと見てしまういわば「先入観(色メガネ)」でしかない。

別の言い方をすれば、「縄文時代後期(4000年前~3000年前)で次の弥生時代に連続するような時代の壺ならともかく、それを4000年もさかのぼる時代の壺だなんて、説明のしようがない。また1万年も前の土器群がほぼ原形のまま出土するなんてこともあり得ない。これも説明のしようがない。」というような理由で特にコメントしようとしないのだろう。早い話が、これまで学者として言ってきたことを覆されるのが沽券にかかわるのだ。

(※私が今から20年前に住んでいた肝属郡田代町の鶴園地区では、狭い範囲に1万年前の「吉田式土器」(平底のバケツ型)の完形に近いものが12個体もゴロゴロと発掘されている。驚きよりも呆れたのを覚えている。)


しかし何よりも上野原の展示館へ実際に足を運んでみるべきだ。縄文早期の土器群の品の良いフォルムには驚きを通り越して芸術性すら感じるに違いない。

今度はこの上野原遺跡始め南九州の縄文時代早期の遺跡群を、世界遺産に登録してもらいたいものだ。