140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

祖父母

2009-01-21 20:07:27 | Weblog
私の父方の祖父は軍人だった。召集された民間人ではなく職業軍人だった。
海軍の少尉で潜水艦に乗っていたそうだ。
彼は戦争が終わろうとする年に5歳と3歳の幼子を残して潜水艦ごと沈んで亡くなった。
私には容易に推測できないことだが、幼子と共に残された父方の祖母は
大変な苦労をしたことだと思う。
彼女は90過ぎまで生きて、誰にも惜しまれることなく死んでいった。
いわゆる「天寿を全うした。」というやつだ。冷たい言い方だ。
一方、母方の祖父はお寺の次男で数学が得意な校長先生だった。
私は小さい頃、よく遊んでもらったが、
遊びといっても数学の謎解きのようなことをさせられていた。
高校生の時に手紙をもらったがどういう返事を書いてよいかわからず、
返事は出さなかった。まもなく彼は亡くなった。自分の死期がわかっていたのだろうか。
彼の墓碑は自筆だ。寺の次男坊だけあって、お経もよくよんでいた。
母方の祖母は、母が未成年の時に失踪したらしい。
そのことについてはあまりはっきりしたことは知らないが、
彼女は名家のお嬢さんで文学少女だったというイメージを私は持っている。
しかし、6人の子を残して失踪なんて普通はできない。
精神を病んでいたのだろうか。

そういうわけで父を失った父は妙に打たれ強い人間に育ち、母に捨てられた母は愛に飢えた人間に育った。
そして祖父母4人の遺伝子を受け継いだ私には彼らの特徴が備わっている。
(軍人+苦労人+校長先生+文学少女)÷4=私というわけだ。
亡くなった4人の祖父母は幸せだったろうか?
そして人生の終盤を迎えた父母は、私に何一つ伝えるべきものを持たない彼らは、このまま死んでいくのだろうか?
私たちは風のようなものだから、現れては消えていく。
ただ消えていくのは寂しいから私は何かを残してから死にたい。

音楽が美しさを超えた瞬間

2009-01-21 19:37:36 | 音楽
ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」
そこには確信に満ちた自分の姿を万人に知らしめようという人格があり、
どんな障害をも突き抜けて行こうとする強固な意思が存在する。
ハイドン・モーツァルトの音楽とは大きく異なり、
音楽が表現可能な世界が美しさだけではないことを世界に知らしめた。
人類史上はじめて、音楽が美しさを超えた瞬間、と勝手に僕は呼んでいる。
本当にこの凄まじいまでのエネルギーはどこから沸いてくるのだろう。
どれほど多くの人々に勇気を与えてきたことだろう。
人生の岐路に立たされた時はいつも、この曲を聴かずにはいられなかった。
「新しい」ということはどういうことかをも、この曲は示している。
そして困難に直面しても「新しい」ことを実行しようとする人々を
これからも励まし続けることだろう。

140億年の孤独

2009-01-21 19:35:25 | Weblog
彼が生まれてから死ぬまでに与えられた時間は、
140億年と言われる宇宙の年齢に比べると、
ほんの一瞬の出来事だ。
しかし彼が生まれて夜空を見上げるようになって宇宙を意識するようになるまで、
宇宙はずっと彼を待っていたのだ。
そして彼が死んでしまうと宇宙はまた彼を待ち続ける。
そしてまた宇宙は140億年の孤独にじっと耐え続けなければならない。
彼はまた帰ってくるだろうか。
それは宇宙にもわからないことだ。
宇宙に理解できることは時間と空間が存在する場合についての知識だけだ。
宇宙にしても自分が生まれる前にはどうだったか、
時間と空間がないビッグバン以前に何があったかはわからない。
そして、現在、加速度をつけて膨張している自分自身が将来どうなるのかも宇宙にはわからない。
でも宇宙は誰かに自分のことを見ていてもらいたいのだ。
140億年やそれ以上の孤独に耐えることは宇宙にとってもつらいことだ。
だから宇宙はずっと彼を待っていた。
だから彼が死んでもまた彼を待ち続けることだろう。