鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

茅葺き民家で。

2007-06-30 | 日々のこと。


金曜日の夜、今月3回目の茅文研の会合がありました。
会合といっても茅文研メンバーの建築事務所で、
コンパネを手製のテーブルにした机を囲んでわいわい。
違った職種の人たちと会うのは刺激にもなり楽しい。

8月半ば、湯涌の茅葺き農家群にある野本家で、
県内にあった茅葺き民家の「古写真展」を行う打ち合せなのですが、
古い写真の著作権を調べる作業に既に半月あまりの時間が過ぎました。
なかなか動ける人がいなくて(私が当てにされていたのだけど・・・)
遅々として前に進まないけれども、いた仕方ない。
撮影者、所有者がわかるものからパネル化していき、
不明なところは時間の自由が利くS理事が
進めると決まっただけでも良しとしたい。

また同じく夏には、昨年に引き続いて「茅葺き農家で映画祭」を行うそう。
事務局のあきこちゃんの話によると、縁側からずっと緑が見渡せ(写真)、
とても気持ちいい時が流れるとのこと。
浴衣をきて楽しもうね~♪♪と約束、夏の楽しみが増えました。

夏越しの大祓いと氷室饅頭。

2007-06-29 | 月と旧暦と。


何て早い!もう今年の半分が過ぎようとしています。
明日6月30日は年に2回ある大祓いのうちの「夏越しの大祓い」。
本来は旧暦で行われるべきのものですが、
いずこも新暦で行われることが多いようです。

この日、茅の輪をくぐって、お正月から6月までの半年分の穢れを祓い、
これをくぐることにより、これからの季節、疫病にかかることがないとされます。
茅=稲科のススキ。
古人はこの植物の旺盛な繁殖力に強い生命力を見出し、
また手切れ草とも呼ばれたススキの鋭い葉は、
魔を切る力があると信じられてもいました。

茅の輪のくぐり方には決まりがあります。
「水無月のなごしの祓えする人は 千歳のいのち延ぶといふなり」
という拾遺和歌集の和歌を唱えながら、
左まわり・右まわり・左まわりと八の字を描くようにして
三度くぐりぬけます。
今年はちょうど富山へ向う日なので、また山王さん(日枝神社)に向い、
茅の輪をくぐってこようと思います。

そして夏越しの大祓いが明ければ、もう文月朔日。
金沢では氷室饅頭を食べて無病息災を願います。
氷室饅頭の由来は、藩政時代に遡ります。
陰暦6月1日、加賀江戸藩邸から将軍に氷を献上するのが習わしで、
冬に氷室に貯えた氷を無事に江戸の藩邸まで運べるよう、
饅頭を供えて神社に祈願しました。
そして町衆がこれに倣って氷の代わりに饅頭を食べたのが、
氷室饅頭の始まりとされています。

兼六園や尾山神社の一隅にはかつての氷室跡が残っていますが、
今は湯涌温泉に再現された茅葺きの氷室小屋で、
毎年、氷室開きが行われており、夏の風物詩になっています。

写真は越山甘清堂の氷室饅頭。
素朴な味わい、酒酵母がきいています♪








奥能登へ。

2007-06-28 | 日々のこと。
今日は奥能登・宇出津まで出張。
梅雨の曇天を映しこんだ海はあいにくのグレイであったが、
山々は緑濃く、水田は青々として心和む風光が広がる。

3月25日におきた能登地震の爪あとは、
能登有料道路にまだ見られた。
西山パーキングをすぎてしばらくすると工事区間があらわれ、
1/8、2/8、3/8…と書かれた看板。
寸断された8ヶ所の復旧工事が進められているのだ。

だが工事区間といっても元々の道に添うように道路が設けられているので、
地震前と所用時間は全く変らずスムーズに走行できる。

もう3ヶ月、まだ3ヶ月。
安寧な時間が取り戻せますように。






じわじわ~。

2007-06-24 | 台所と酵母くん。


梅仕事を始めた翌日、北陸は入梅。
それまで水を重く孕んでいた空から激しい雨が降り出しました。

梅干の下漬けは、梅酢がじわじわ上がってきて、
重し代わりにしてあったビニール袋の水を半分以下にしました。
今日はもうすっかり梅酢が上がりきったようす。
あとはカビが生えないことを祈り、梅雨明けまで待つことになります。

店頭にまだ梅が並んでいるのをみると、
また買おうかな~と心が動きます。
いつもよくして下さる方にお裾分けを…と考えだすと、
あっという間になくなりそうで。
おい、おいまた梅かよ!そう突っ込まれても。


ようやく、梅仕事。

2007-06-20 | 台所と酵母くん。


気が付けばス―パー店頭から梅の姿が少なくなってきていました。
あやうく梅の季節を逃すところでした。
なにかをしていれば気も紛れる―――。
昨日、今日あわせて梅を4kg購入しました。

ほのかに色づき甘く香る梅。水洗いのあともくもくとヘタ取リ。
重さを量って熱湯消毒した瓶へ仕込んでいきました。

今年は昨年作った梅ジュースをはじめ、
梅酒、梅干、梅味噌も作ってみようと思いました。

昨夜は梅3kgを使って梅ジュースと梅酒を仕込み終えました。
梅ジュースは氷砂糖を使ったスタンダードのもの、黒糖&氷砂糖、蜂蜜の3種。
梅酒も氷砂糖のものと黒糖のものの2種。
あとは熟成の時をゆっくりと待ちます。

今夜は残り1kgのうち200gを使って、
味噌や梅も美味しく食べられるという、梅味噌を仕込んでみました。
そして明日の夜は、残り800gを使って梅仕事のメインイベント、
梅干の下漬けにとりかかります。












永遠に片思い。

2007-06-18 | 猫のこと。


「腑抜け」とはこういう状態なのだろう。
さて、いったいどこから、何から書けばいい?
そうだ、まずは結論だ。
13日水曜日。朝7時56分ごろ。ユウキが逝った。
最期を母と私で看取った。

ユウキの具合が顕著に悪くなってから、
私は夜に、弟は朝の出勤前に、ほぼ毎日のように実家へ寄っていた。

ユウキが逝く2日前、11日月曜。
私は不甲斐なくも体調を崩してしまい、7度8分の発熱。
ちょうど年度改めの総会が続く最中で、仕事を休む訳にもいかず、
熱で痛む身体をひきずり行った。
もちろん、熱のあることなんて、おくびにも見せない。
案の定のトラブルが二つ、三つ発生し、休まず無理して出て大正解~~。
ヤレヤレ、やれやれ、ヤ~レヤレ!
月曜日、仕事はこなしたが、流石の私も、実家へ向う気力も体力もわかず、
ユウキのことが気にかかったが、その日は倒れこんで眠った。

12日火曜の朝。
「ユウキが一晩じゅう吐血、もう危ない」と父から携帯電話にメールがあった。
水曜日は休むと決めて、その日も乗りきる。
仕事を終えての夜8時。
実家へ向ったが、灯りはついているものの1階には誰もいない。
ユウキのいる2階に父も母もいて、二人はユウキを囲むように座っていた。
ユウキは目を開いたままフローリングの床に横たわっていた。
「ユウキ、ユウキ?」呼びかけると目だけがくるりと動くが、
もはや意識はない。無意識に吐血し、音だけに反応している。
「ユウキ……」そのあとは言葉にならず、堪えきれずにただただ号泣する。
8日金曜の夜、トリのささみを食べて、いくぶん元気な頃の目の耀きをみせていたが、
思えばそれがユウキの命の最期の耀きだったのだ。

時折意識が戻り頭をもたげて起き上がろうとするが、
もうその体力は残されておらず、虚しく足が床を掻く。
父のベッドが大好きだったので、ユウキをその上へ横たわらせ見守った。
ずっと起きていようと思ったが、つい睡魔に襲われ寝入ってしまう。
はっと気が付くと上半身がベッドからずり落ちているユウキ。
慌てて持ち上げて元に戻すが、そのあとまた同じようになったらしく、
コツンという音で目がさめると、
目をあけたままのユウキが、縫いぐるみのように床に落ちていた。
「ユウキ、大丈夫?」呼びかけるも反応はない。

朝になり、ユウキの呼吸は早く浅い。
ユウキの様子を見に出勤前に弟が立寄った。
ユウキは仔猫のとき、父と弟がゴルフレンジでもらってきた。
もうあまり音にも反応せず目も動かさなくなったユウキが、
弟の声に反応し目をクルッと動かす。
ユウキがまだ毛糸玉のような仔猫のころ、弟はユウキと一緒に寝ていた。
そっと瞼をぬぐう弟。ユウキと二人にしてあげた。

出勤する弟を見送ったすぐあと、
2階へ戻るとユウキは頭をぐっとのけぞらせていた。
「ユキ!!」。

一瞬、誰もいない間に逝ってしまったかと思った。
私はまだ階下で弟を見送っていた母に
「お母さん!ユウキが逝ってしまった、早く来て!!」と叫んだ。
だがまだユウキは幽かに息があった。
でも、やがて舌を突き出し、またのけぞりはじめてしまい、それを見た母は、
「ゴロウも最後はこうだった、もうだめだわ……、ユキ、ユウキ…」と涙声。
そして瞳孔を大きく開いて、ユウキは逝ってしまった。

「ユキ、ユウキ…」と泣きじゃくる母の肩越しには、幼い女の子が見えるよう。
思えば17年間、ユウキは母が大好きで、いつも母の後を追いかけ傍にいた。
私も彼が大好きだったのにね。

15日金曜日。
埋めたくもなかったし、燃やしたくもなかったが、
小さな骨壷にユウキは納まってしまった。
S・キング「ペットセマタリー」の主人公の気持ちがリンクする。

さよなら、ユウキ、大好きなユウキ。
ずっと忘れない。

とんぼ玉創作体験へ。

2007-06-11 | かたかごの会。


「かたかごの会」の催しで、初めてとんぼ玉を作りました。

富山ガラス研究所近くの工房「蜻蛉玉丙午(とんぼだまへいご)」
へ伺って、
ふちこまさんとスタッフの皆さんに教えていただきました。

色ガラスの棒をバーナーで溶かし、
透明なガラス棒にのせて、捻って、棒に移し替え。
ガラスの扱いに慣れないうえ、
両手を使っての作業は集中力が必要です。
気が付くとみんな黙って工房は鎮まりかえり、
うるさいのは私だけ(苦笑)

今回は1時間ほどの間で3つ作ってきました。
1つは金具をつけてチョーカーにし、
残りの2つは二分紐と三分紐の通る帯留にしました。

本当はきれいなマーブル模様になるはずでしたが、
捻りが足りなかったことと移し替えをする時に失敗し、
摩訶不思議な模様に・・・。
帯留としてみれば大胆な模様が面白いかな~と。

実際に作ってみるとガラスって面白い、そして美しい。
参加された会の皆さんも楽しんでいただけたようでよかった~♪
また機会をみて、ぜひ作りたいと思います。

機能美。

2007-06-08 | 日々のこと。



私の愛車なのだ!と自慢してみたいが、
残念ながら、富山の店近くにお住いのお客様のものである。

ドライビングスピリットがかきたてられる美しいRodster。
奥様と二人でこの愛車でドライブに出かけられる。
住んでいるご自宅を、仕事柄、ショールームにされているため、
いつ伺ってもセンスよく住まわれ、それでいて嫌味がない。
車が納まるガレージも、かつて少年だった人が見た夢そのまま、
60年代のポップカルチャー香る空間になっている。

1度でいいから、この車、
私に運転させてくれないかなぁ。
ブ~~~ン!!



梅仕事。

2007-06-06 | 台所と酵母くん。
1週間ほど前からスーパーの店頭に、
青梅が並び始めました。
憎いことに『年に1度のお楽しみ!』とポップをつけて、
お客の購買欲をあおっています。

去年はぴ~さんに教えて頂いて「梅ジュース」を作り、
ジュースができたあとの梅で「梅ジャム」も作りました。

夏ばて予防のためにと作った梅ジュースでしたが、
1キロ分しか仕込まなかったため、
店のお客さんにお出ししたり、実家に分けているうちに、
夏が来る前に無くなってしまいました。
今年は2キロ、いや3キロに増量して、梅ジュースを仕込みます。

そしてもう一つ、やりたい梅仕事。
今年こそ、「梅干」に挑戦してみようかと。
ちゃんと面倒見ないとカビが生えてしまう梅干。
日中家にいないので、うまくできるか自信がありません。
ですが、梅干を作る過程でできる梅酢がほしいのです。
まずはほんのちょっと、試しに15個ほど……。

梅仕事、来週あたりから頑張りまする。
















夏を彩る祭。

2007-06-04 | 日々のこと。
先週末、金沢では百万石まつり
富山では日枝神社の例大祭がありました。

金沢の百万石まつりは戦後しばらくして始まったもので、
祭というよりはイベントに近いものです。
市祭なので市立の小・中・高校は祝日になり、
小学生のころは、前田利家の金沢城入城(尾山御坊)を再現した時代行列や
商工パレードを見るのが楽しみでした。

当時、小学校の音楽教員だった父は、
祭の二ヶ月程前から土日返上で鼓笛隊のパレード練習。
本番ともなれば半日以上、列について子供たちを引率。
パレードのなかに父の姿を見つけると
「おとうさ~ん」と沿道から声をかけていましたが、
今、思うと、父は恥ずかしかったかも。。。
気が付けばその頃の父の年齢を超えた自分。

社会人になってからは、
祭の最終日の夜、中央公園で行われていた薪能を見に行っていました。
(現在は金沢城址公園内にて行われるようになりました)
能の演目が終わると、紋付袴姿の市長が舞台にあがり挨拶があります。
無事に全ての行事を終えることができた晴れやかさと充足感が、
その笑みから和やかに会場に伝わり、
能と祭の余韻に浸りながら家路についたものです。

ここ数年は週末を富山で過ごすため、
百万石まつりへ行くことはありません。
ですが今年はその代わりに、
日枝神社の例大祭「山王さん」へ初めて出かけることができました。
こちらは裸御輿、広島から神楽舞の奉納、
八百軒あまりの露店がぎっしり並ぶ本物のお祭。
人ごみをかき分けながらも、
植木の露店で山紫陽花と青い蛍袋を買って帰りました。


祭が終わり、夏がまた一歩引き寄せられ。
おわらの時節もだんだんと近づいてきました。