鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

大野町のマップ、進行中。

2011-09-27 | 日々のこと。
7月は週1、8月は隔週、9月も大よそ隔週ペースで
10月9日の「大野こまちなみフェスタ」と「町家巡遊」のスタッフ会議が、
夜7時半からありました。

7月の中頃にあった会議のなか、
大野町の通年利用の地図作りの案がでました。
金沢市のこまちなみ保存地区にも指定されている大野町。
せっかくなら見て回るのに地図があるといいなと
かねてより思っていました。
しかしその時議題にのぼったものの、以後会議の席では話は出ず、
春ごろまでに作るのかなと思っていました。

ところがです。
8月の中頃、会議が終わって家に向かって歩いていると、
背後から金沢大学のK講師から声をかけられました。
「こまちなみフェスタまでに、地図を作らなくちゃいけないんですよ」と。
ついては手伝ってもらえませんかと。

「今から作るんですか……」
10月9日の2~3日前に納品を想定し、逆算していったところ血の気が退く・・・・。
文字原稿、写真、資料が全てそろっていて、
ようやく間に合う時期に、何もない状態からスタート。
これはかなりタイトなスケジュール。
日中は拘束されているうえに、繁忙期とぴしゃりと重なる。
私に白羽の矢を立てられても、まず取材にあちこち回るのは難しい。

そこで次の日、かつての後輩・編集者のMさんに連絡をいれ仕事を依頼しました。
その2~3日後、町の長老3賢人と、Kさん、Mさん、私の6人で打ち合わせ。
長老らが楽しそうに話をあちらこちらに飛ばすものだから(笑
さらにその後、実務部隊3人で打ち合わせ。
編集方針が固まったものの、
Kさんと私の頭に浮かんだ地図は八尾町の、手描きイラストマップ。
時間がないとわかっているのに、だ。(苦笑)

それからがK講師からの資料が、
毎夜毎夜2時3時は当たり前、それを受けるMさんも当たり前。
CCや宅ファイル便でメールボックスすぐに満杯。
デザイナー、イラストレーターにもずいぶんご苦労かけました。

K講師も大学勤務の合間はもとより、こまちなみ&町家の全体管理のなか、
あけがた5時ごろまで、よく資料や原稿をまとめていました。
(この方の集中力、さすがK大と感嘆。
 仕事の進め方を拝見しこの方の前では
「時間がない」という言葉は言い訳にしかなりません)

そんな怒涛の3週間。
季節も夏から秋に移りかわっていました。
そして、明日はいよいよ初校がでます。
こまちなみの会議のあと、Mさんいわく「大校正大会」。
時計はまた深夜零時をまわるでしょう。

さあ、どうか良いものでてきますように。
スムーズにいきますように。
途中で寝落ちしませんように、私。
南無。



彦根市男鬼へ茅葺きに。

2011-09-22 | サワサワ茅葺き
先週の三連休中日、
彦根市男鬼へ茅葺きに行ってきました。

そのようすはこちら!!

茅葺を通して村の景観保全などをおこなっている、
滋賀県立大学の茅葺きWSです。

一生懸命取り組む学生たちを
ここでも心意気ある職人さんらがずっとサポートしています。

茅葺きの面白いところは、
教えてもらえれば素人でもまがりなりにも葺けること。
自分たちの刈った茅が美しいデザインの屋根になり、
刈った茅場の自然が整う。
茅を刈ったり葺いたりするおりに集う人たちとの出会い。
茅葺きって面白い、楽しい。

この面白く楽しい世界を知り、
日本の伝統工法、茅葺きの技術と文化を
ぜひ多くの皆さんに体験してほしいなあと思います。
私が面白いと言ってるんだから、
本当に面白い!!保証します。

実は10月15日からはNPO法人石川茅葺き文化研究会も、
毎週土曜日に金沢市湯涌にて1カ月にわたり茅葺きにまつわるWSを行います。
詳細はまた近日中にお知らせしますね。

ぜひこの秋、一緒にあなたもわたしと同じ
『茅葺きバカ』になりましょう!!


クリックすると拡大します。

十三夜のしつらいレッスン&お茶時間

2011-09-17 | 金沢大野湊 かたかご庵
今年も10月8日~9日に町家巡遊&大野こまちなみフェスタがあります。
かたかご庵で実施するのは、
「十三夜のしつらいレッスン&お茶時間」です。
かたかご庵で体験いただいたあと、
翌9日が十三夜の月になりますので、
各ご家庭でその月をお楽しみいただければと思います。

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●10月8日(土)
「十三夜のしつらいレッスン&お茶時間」
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日 時:10月8日(土) 13:30-
会 場:金沢大野湊かたかご庵(大野町3-4)
定 員:10名 要予約
持 物:月見をイメージし、しつらいに使いたいもの1~2点
申 込:住所・氏名・連絡先をantiquegallery_katakago@live.jpまで
参加費:2000円(茶菓、レジメ代こみ)
講 師:上 陽子

10月9日は後の月とも呼ばれる美しい十三夜。
栗名月の異名ももっています。
十三夜の由来を知り、
部屋のしつらいやテーブルセッティング。
その後、粟森梅月堂さんの十三夜にちなんだ
お菓子を楽しみながらひととき語らいましょう。

能登上布織り体験へ。

2011-09-16 | 日々のこと。
9月10日、鹿島郡中能登町にある能登上布会館で能登上布の織り体験をしてきました。
会館へはJRを利用。
各駅停車の七尾線でのんびり向かいました。

能登上布は崇神天皇の皇女がこの土地に上布の作り方を伝えたことが起源といわれていますから、
その真偽はともかくも長い歴史をもっています。
会館のある能登部あたりは、邑知潟をはさんで石動山、眉丈山の山並みが遥々見渡せます。
東往来の石動山側には宮内庁管理の親王塚がありヤマト政権が力を及ぼしていたところ、
そして西往来の眉丈山側には雨の宮古墳がありこの土地を治めた豪族が力を及ぼしていたところ、
そんな歴史を秘めています。

毎年春の彼岸には、おいで祭り(平国祭)の古式ゆかしい行列が、
西往来、東往来をいき、道すがらの神社ではそれぞれに神事がおこなわれ、
この地域を平定していく様を想いお起させます。

さて歴史の寄り道はこのくらいで。

今回は2日かけて2メートルの織物を織ることになっていました。
が、所要で1日だけ織らせてもらいました。参加人数は私をいれて4人。
そのうちお1人はこれまでに何度かここで体験をされている羽咋市の方、
ほか3人は金沢からの参加でした。

麻糸は切れやすいので着尺用の糸ではなく、
素人でも扱いやすいやや太めの糸で織り始めます。
会館に大変緻密な文様を織りだした着物がえこうに掛けられていて、
これを織られたのが、私についてくださった今年88歳の花沢さん。
作品のことをお聞きすると「若いときに織ったんやわ」とにこっと。

能登上布は男性の仕事と女性の仕事が分業になっていますが、
花沢さんはその全工程を一人でできます。
これは戦時中、男手がなかったことにより、
今そのように全工程を実際にできるのは花沢さんをいれお二人だそうです。





そんなすごい先生に教えて頂くなんて・・・と恐縮しつつ、
織機に座ったらそんなことも言っていられません。
見本に見せてくださった先生の小気味良い織りを反芻しながら、
トントンシャー・・・?

これまで木綿や裂き織の織り体験は何度かありますが、
手で紐を引っ張って杼(ひ)を左右に動かす織り機のタイプは初めて。
紐を引っ張り(この加減も慣れるまで難しい)右に杼を動かしたら、
右足を踏み込み、手前の筬(おさ)をトントンとして横糸を寄せる。
再び紐をひっぱり左に杼を動かし、左足を踏み込み、筬をトントン・・・。

縦糸はすでに張ってくださってあるし、横糸の管巻きは先生がしてくださっている。
私はただひたすらこのトントンシャ―を繰り返しをしていればいいはずが、
筬を向こうに返しすぎて筬が傾き、
その上を滑ってうごく杼がびゅーんと宙を飛ぶこと4、5回、
(まあ、英語で言うとシャトルだから宙も飛ぶさ。。。)
かと思えば、先生に話かけられ手をとめると、
自分が何をしていたか分らなくなり
「先生、私、何をしてましたっけ」なんて頓珍漢な質問をすることも2、3回。
そんな愚かな私にも先生はやさしく
「いいよ~、はい上手。がんばって、その調子」と声をかけてくださるのでした。

そうこうしながら1日はあっという間に終わり、
1メートル20センチほど織らせていただき体験を終えました。

帰りの電車時刻まで工程や糸を染めるところまでお話を伺い、
織物のできるまでの大変さをあらためて感じました。
この織り体験は能登上布の周知と後継者育成にもふまえてのものでした。
私はともかくも、羽咋から参加の方はいずれはそうなるのではと思います。



上が私の織ったもの。
特別に「能登上布」のシールまで貼っていただきました。
お世話になった花沢先生はじめ、皆さまがたに御礼申し上げます。

マイ醤油、できました!!

2011-09-07 | 台所と酵母くん。
出勤前に試しに搾っていったもろみくん。
帰宅して確認すると、ぽたぽたと搾れたお醤油を確認。
よしよし、このまま作業を進めていきました。

本来、醤油屋さんでは厚手の木綿袋にいれたもろみを、
圧搾機でじわ~と搾っていきますが、
ここでは量も少ないので、
コーヒーフィルターとドリッパーで行っています。
フィルターから滴り終えたあとのもろみを、
もう一度もろみの中の大豆を潰すような感じで
ギュッとフィルターごと搾ってみました。

そんな作業を4回ほど繰り返し、
約500mlのもろみから350mlのお醤油ができましたよ!!
私は参加者のyukariさんともろみを半分にわけて持ち帰ったので、
作れたお醤油の量は少ないですが、
たぶんほかの方々は700~800mlは搾れるはずです。

時間のある方はさらしの布を袋状に縫って、
搾ればいいでしょう。

瓶詰め後70℃で30分間湯煎して殺菌すれば、
長期保存ができる醤油のできあがり。



色が薄いのは、市販のお醤油とちがって、
カラメル色素などが入ってないせいや、
熟成をもう1年かけるとちがってくるようです。
肝心の味はというと・・・・、
かなりしょっぱ~い(笑
低血圧の私にはいいか。

味はともかく、1年間楽しませてもらいました。
麹菌万歳。醗酵万歳です。


マイ醤油♪

2011-09-07 | 台所と酵母くん。
昨年、こまちなみフェスタのプレイベントで企画した
「世界に一つ、マイ醤油作り」。
何を隠そう、お醤油の町・大野町にいるんだから、
ぜひお醤油を作ってみたいとまず自分が思っての企画。

去年の10月に仕込んで、ほぼ1年。
大豆、麦、塩、水に酵母を仕込んで、こんな状態。
見た目はあまりよくありませんが、
お醤油のよい香りがちゃんとしています。



教えてくださった大野醤油醸造協業組合のMさんから、
もうそろそろ搾っていいよとアドバイスをうけ、
今朝、セッティングしてきました。
醤油を搾るのに使うのはコーヒーのドリッパー。
ポトリ、ポトリ、琥珀色のしずくが落ちて、
ああ、いい香り。



元気にぶくぶく醗酵しだした春から夏にかけては、
生命ある生き物を飼っている感覚もあって面白かったです。

こんな貴重な体験をできる「世界に一つ、マイ醤油作り」を、
実は今年も10月2日に行います。

詳細は大野こまちなみフェスタブログへ!
定員は10名ですでに3名様からお申し込み済みです。
お早めにどうぞ!





おわら風の盆。

2011-09-06 | 八尾だより。
二百十日の風が吹きあれた日本列島。
北陸はやはり白山と立山の峰々が風を和らげ、
大きな被害ももたらされることもありませんでしたが、
紀伊半島に甚大な爪あとを残してしまいました。
お見舞い申し上げます。



おわら風の盆はその二百十日の風を鎮め、
五穀豊穣を祈る里人の祭礼です。
今年も8月20日からの前夜祭の数日と、
9月1日~3日の本祭の3日間を八尾町で過ごしてきました。

3月11日の震災、そして台風の影響もあって、
3日間の人出は公式発表によると19万人でした。
私の知っている限り一番多かった年は27万にで、昨年は23万人。
高橋治さんが「風の盆恋唄」を書く以前は3万人程度の人出だったものが、
最盛期は30万人も訪れたとか・・・。
当時町の人に「27万人の観光客を連れ帰ってくれ」と
冗談とも本気ともつかず言われたと語り草になっています。
そのころの町の怒号飛び交う混雑振りを思えば、
今年くらいがちょうどいいかなと思いました。

お天気は1日は30度を超える蒸し暑い日、
2日は時折思い出したように空が泣き出し、町流しは中止、
3日は皆の祈りが通じたかのように空は堪えてくれました。
そして翌日の明け方5時半すぎ。
今年のおわらを名残惜しむかのように、
一人三味線を爪弾きながら家路にむかう人の音を聴くころに、
雨粒がぽたりぽたりと落ち。
今思えば3日は、まさに奇跡のような1日でした。


さて今年も関西からシラコちゃん、
関東からstraussさんが八尾へ来られました。
3日から4日にかけての深夜、3人で町流しを見に出かけました。
2日が雨で流れたため、3日は今までのおわらのなかで一番、
深夜の町流しを見る事ができたでしょうか。

上新町の連、
鏡町の子供たちを中心にした連、
西町の踊り子さんらの練習、
三味線と胡弓、唄の3人に3歳くらいの男の子が踊る家族の連、
東町の連、
酔芙蓉の会



写真は4日の3時過ぎ。
諏訪町を流してくる東町の連です。

写真には映っておりませんが、
道の両脇には行き倒れのように眠りこけた人々もいまして。
猫がそこに顔を出して「何?今夜は?」といった驚き顔にも出くわしたり、
中止になった2日には3倍速やHIPHOPでおわらを踊ってみせる子供たちにも会ったり、
それはそれは、楽しかったなあ。

商いの方はといえば、予想通り本当にさっぱりでしたが(苦笑、
震災に遭われた福島や宮城からもお出でくださった方々が、
おわらで元気がもらえた、また来年も互いに元気で会いましょうと
励ましあうことができたのが喜びです。

またシラコちゃん、straussさんらとも、
思い出を重ねることもできました。
仕事を休むことも許してくれた職場の皆さんにも感謝。

八尾の皆様、今年もお疲れさまでした。
老いも若きも一つになっての3日間とそれを迎えるための数ヶ月。
大変ありがとうございました。