また猫の話で、恐縮です。
ゴロウが逝ったと聞いて実家へいったところ、
ユウキの様子もおかしいというのです。
まずはここ数日、餌をあまり食べていない、
冬でも人の寝床に入ってくることがなかったのに、
父の布団へ毎夜入ってくる。
2階へ様子をみにいくと、母の鏡台の下でユウキがこうばこに座っていました。
眠っているのかと思うと、ぼーっとしており、生気がありません。
鼻の先も触ると乾燥しています。
抱き上げると、驚くほど軽くなっています。
17年生きている老猫とはいえ、歳のせいだけではすまされない異変。
毎日、ユウキと一緒にいる両親は、その変化を深刻に感じていなかったようですが、
たまに見る私からみると、どう見てもユウキに深刻な異変が起きていると感じました。
「明日、病院に連れていってあげて。どう見てもおかしい。動物って急変すると死ぬのは早いよ……」。
そうして病院に連れていかれたユウキの診断は老衰と腎不全。
もって半年の命。
老衰は仕方がないにしても、腎機能は殆ど果たしていないという・・・・・・。
もっと早くに気づいてあげていたらと悔やまれることしきりですが、
ユウキの余生をいかに楽にして苦しみを少なくしてあげられるのか、考えていかねばなりません。
たかが猫ですが、家族なのです。
ゴロウが逝ったと聞いて実家へいったところ、
ユウキの様子もおかしいというのです。
まずはここ数日、餌をあまり食べていない、
冬でも人の寝床に入ってくることがなかったのに、
父の布団へ毎夜入ってくる。
2階へ様子をみにいくと、母の鏡台の下でユウキがこうばこに座っていました。
眠っているのかと思うと、ぼーっとしており、生気がありません。
鼻の先も触ると乾燥しています。
抱き上げると、驚くほど軽くなっています。
17年生きている老猫とはいえ、歳のせいだけではすまされない異変。
毎日、ユウキと一緒にいる両親は、その変化を深刻に感じていなかったようですが、
たまに見る私からみると、どう見てもユウキに深刻な異変が起きていると感じました。
「明日、病院に連れていってあげて。どう見てもおかしい。動物って急変すると死ぬのは早いよ……」。
そうして病院に連れていかれたユウキの診断は老衰と腎不全。
もって半年の命。
老衰は仕方がないにしても、腎機能は殆ど果たしていないという・・・・・・。
もっと早くに気づいてあげていたらと悔やまれることしきりですが、
ユウキの余生をいかに楽にして苦しみを少なくしてあげられるのか、考えていかねばなりません。
たかが猫ですが、家族なのです。
先週の木曜の夕方、実家にいる3匹の猫のうちの1匹、
ゴロウが静かに旅立ちました。
ゴロウは苦労の多い猫でした。
近所の家が引っ越すときに置き去りにされ、
野良猫になりかけたところを、実家が引取りました。
5年ほど前のことです。
ゴロウはとても性格の穏やかな猫でした。
先に家にいたユウキとモモには遠慮をし、自分の分を弁えるかのよう、
2匹の前では決して人に甘える事がありません。
2匹の目が届かないところでゴロウの傍に座ると、
そっと前足を人の膝に伸ばして、喉をならし甘える子でした。
実家の前の道路は車の往来があるので、ユウキとモモは外に出さずに飼っています。
けれどもゴロウは前の家で、内と外を自由に出入りして飼われていたためその癖が抜けず、
また去勢もしてなかったので、外へ出たいと訴えると出すようにしていました。
それが災いして、この子にはまた過酷な生を与えてしまいました。
ある日、バタン、バタンとおかしな音が玄関先でするので母が玄関に向かうと、
ゴロウが前足に大きな虎バサミをつけたまま帰ってきていました。
実家なら外してくれると必死に帰ってきたのでしょう・・・・・・。
母は隣の家の奥さんに頼み、二人がかりで虎ばさみをはずしました。
かろうじて骨こそ折れていなかったものの、ゴロウの足は腫れ上がり、
しばらくは、まともに歩くことができませんでした。
そしてそれから2年ほどたったある日、
それは今から半年ほど前のことだったでしょうか。
4、5日ほど帰って来ないと母がもらしていた挙句、
帰ってきたゴロウは口の周りを血だらけにして帰ってきました。
これは想像ですが、たぶん、心無いどこかの誰かに、
顔を思い切り蹴り上げられたのです。
それ以来、ゴロウは鳴き声を出すことはなくなり、
感情を一切、表すことがなくなりました。
可愛がるのも人、痛めつけるのも人。
今、赤々と燃えるツツジの花のもと、ゴロウは静かに眠っています。
ゴロウが静かに旅立ちました。
ゴロウは苦労の多い猫でした。
近所の家が引っ越すときに置き去りにされ、
野良猫になりかけたところを、実家が引取りました。
5年ほど前のことです。
ゴロウはとても性格の穏やかな猫でした。
先に家にいたユウキとモモには遠慮をし、自分の分を弁えるかのよう、
2匹の前では決して人に甘える事がありません。
2匹の目が届かないところでゴロウの傍に座ると、
そっと前足を人の膝に伸ばして、喉をならし甘える子でした。
実家の前の道路は車の往来があるので、ユウキとモモは外に出さずに飼っています。
けれどもゴロウは前の家で、内と外を自由に出入りして飼われていたためその癖が抜けず、
また去勢もしてなかったので、外へ出たいと訴えると出すようにしていました。
それが災いして、この子にはまた過酷な生を与えてしまいました。
ある日、バタン、バタンとおかしな音が玄関先でするので母が玄関に向かうと、
ゴロウが前足に大きな虎バサミをつけたまま帰ってきていました。
実家なら外してくれると必死に帰ってきたのでしょう・・・・・・。
母は隣の家の奥さんに頼み、二人がかりで虎ばさみをはずしました。
かろうじて骨こそ折れていなかったものの、ゴロウの足は腫れ上がり、
しばらくは、まともに歩くことができませんでした。
そしてそれから2年ほどたったある日、
それは今から半年ほど前のことだったでしょうか。
4、5日ほど帰って来ないと母がもらしていた挙句、
帰ってきたゴロウは口の周りを血だらけにして帰ってきました。
これは想像ですが、たぶん、心無いどこかの誰かに、
顔を思い切り蹴り上げられたのです。
それ以来、ゴロウは鳴き声を出すことはなくなり、
感情を一切、表すことがなくなりました。
可愛がるのも人、痛めつけるのも人。
今、赤々と燃えるツツジの花のもと、ゴロウは静かに眠っています。
日比野克彦氏による「明後日(あさって)朝顔プロジェクト21」が、
先週18日、金沢21世紀美術館で行われていました。
プロジェクトは、美術館の外周約350メートルに、
朝顔の苗を植えて育てるもので、夏には美術館全体が、朝顔の花で覆われます。
昨夏、わが四阿のベランダでも日除けに朝顔を3鉢9本の苗を育てました。
毎朝、咲いてくれる花は、ささやかな楽しみを与えてくれました。
花は好みで青い花の種だけを蒔き、10月の中頃まで順々に咲きつづけました。
そして200粒余りの種がとれて、
店にいらっしゃるお客さんにも種をお裾分けしたのだけど、
まだ手元に70粒ほど残っています。
そこで私、「朝顔の種・お裾分けプロジェクト」を敢行。
などと書くと大げさですが、
うちで育った朝顔の種を育ててくれませんか?
もちろん、うちでも育てます。
この夏、同じ青い朝顔の花を、それぞれの地で楽しむことができたら♪
そして秋に収穫した種は、来年、またどなたかへお裾分けするのです。
お申し込み方法はコメント欄に記しておきます。
1月の初めにつけだした糠床も、まもなくまる4ヶ月。
4月のいっとき、糠床からシンナー臭がしだして、
酪酸菌にのっとられそうになってしまった。
以前だったら、あれ、おかしいな?で終わって、
糠床をだめにしていたところだが、
某SNS内コミュニティ『ヌカ連』のお蔭で対処法をマスター。
危機を乗り越え、本日も美味しく糠漬けを頂いた。
昨今のヒット糠漬けは、アスパラ、長芋、ゆで卵。
特に長芋はシャキシャキとした歯ごたえも楽しめておすすめだ。
美味しい糠漬けのために、
冬より5分、早起きをして糠床を混ぜる朝が続く。
4月のいっとき、糠床からシンナー臭がしだして、
酪酸菌にのっとられそうになってしまった。
以前だったら、あれ、おかしいな?で終わって、
糠床をだめにしていたところだが、
某SNS内コミュニティ『ヌカ連』のお蔭で対処法をマスター。
危機を乗り越え、本日も美味しく糠漬けを頂いた。
昨今のヒット糠漬けは、アスパラ、長芋、ゆで卵。
特に長芋はシャキシャキとした歯ごたえも楽しめておすすめだ。
美味しい糠漬けのために、
冬より5分、早起きをして糠床を混ぜる朝が続く。
冬の間、店のオーナーの口から話題に上らなかったヤギ。
それですっかりもう諦めたものと思っていたのです。
ところが先週日曜日の朝、人の顔を見るなり
「ヤギ、見に行こうか。すぐ近くにいるから」と、のたまうではあ~りませんか。
「また~、本当に?ヤギは飼いませんから」
それから20分後、私は首輪をつけ鎖に繋がれたヤギの前にいました。
元来、動物好きなゆえ、この手のユーワクに極めて弱いのでした。
とある倉庫の敷地内、芝生に生える草取り要員として、ヤギは働いていました。
しかしこのヤギ、♀なのに体長は80㌢以上、角もけっこう立派です。
ハイジのユキちゃんとは大違いじゃない。(あれはヒツジだっけ?)
こわごわ近づくと、ヤギも見なれぬ人影に警戒し、とっとこ逃げていく・・・。
しばらく離れて様子を見ることにしました。
どうやらヤギは鎖の届く範囲のクローバーをすべて食べ尽くしてしまい、
何とかしてクローバーを食べようと、鎖を引き千切らんばかりにしているのです。
クローバーが好きなのでしょうか?ヤギは。
試しに摘んで差し出すと、先ほどの警戒心はどこへやら、
ものすごい勢いで走ってきたかと思うと、
手からムシャムシャ、クローバーを一心に食べはじめたのです。
それから何度かクローバーを与えてやり、
ついでに抜けかけた冬毛を梳いてやるころには、
ヤギは、すっかりご機嫌のようす♪
大きな身体でぴょんぴょこギャロップは踏むし、
おいで~と呼べば尻尾をふりふり駈けてくる。
なんだか、ヤギもカワイイじゃない。
んっ!? いけない。カワイイと思ってしまった!!!
く~~、これではすっかりオーナーの思うツボ。
2007年、ヤギ問題はじりじりとまだ続くのでした。
この4月に設けられた、できたてホヤホヤの『白洲賞』。
その第一回目に美山町在住で茅葺職人の親方、中野誠(38)さんが選ばれた。
中野さんは3月に輪島で行われた茅化研のワークショップに、
同じく茅葺き職人の親方であるshiozawaさんや
ヨシ屋のヤマダさんらと共に参加して頂き、少しお話する機会があったばかり。
私の大好きな白洲夫妻の名の賞が中野さんに授けられたことも嬉しいし、
茅葺き文化に目が向けられたことも、とても嬉しい!!!
賞は夫妻の長女・牧山桂子さんが
「日本の文化を継承しつつ色々な分野で新しい試みに挑戦している方達の中から、
私が勝手に選ばせて頂き、微力ながら応援していきたいと存じます。」
という主旨。
昨年12月、旧白洲邸の屋根の葺き替えを依頼していた中野さんの仕事ぶりが、
「ようやく賞をあげたいと思える人に出会った」として設立に至った。
旧白洲邸武相荘のHPでは、葺き替えのようすが見られるほか、
今発売中の芸術新潮5月号小特集に、
「茅葺屋根ができるまで」として中野さんに焦点をあてつつ、
屋根の葺き替えのようすも丹念に綴られている。
ぜひご一読を。
中野さんの受賞は、そのあとに続く若き茅葺き職人(中野さんも充分お若い)への
励みにも職の誇りにもなるものだ。
良い賞が生まれ、そして良い人に授けられた。
その第一回目に美山町在住で茅葺職人の親方、中野誠(38)さんが選ばれた。
中野さんは3月に輪島で行われた茅化研のワークショップに、
同じく茅葺き職人の親方であるshiozawaさんや
ヨシ屋のヤマダさんらと共に参加して頂き、少しお話する機会があったばかり。
私の大好きな白洲夫妻の名の賞が中野さんに授けられたことも嬉しいし、
茅葺き文化に目が向けられたことも、とても嬉しい!!!
賞は夫妻の長女・牧山桂子さんが
「日本の文化を継承しつつ色々な分野で新しい試みに挑戦している方達の中から、
私が勝手に選ばせて頂き、微力ながら応援していきたいと存じます。」
という主旨。
昨年12月、旧白洲邸の屋根の葺き替えを依頼していた中野さんの仕事ぶりが、
「ようやく賞をあげたいと思える人に出会った」として設立に至った。
旧白洲邸武相荘のHPでは、葺き替えのようすが見られるほか、
今発売中の芸術新潮5月号小特集に、
「茅葺屋根ができるまで」として中野さんに焦点をあてつつ、
屋根の葺き替えのようすも丹念に綴られている。
ぜひご一読を。
中野さんの受賞は、そのあとに続く若き茅葺き職人(中野さんも充分お若い)への
励みにも職の誇りにもなるものだ。
良い賞が生まれ、そして良い人に授けられた。
連休後半はよく働き、よく遊んだ。
八尾の曳山祭にあわせての営業、蔵を壊されるお宅へ伺っての初だし。
「働いた」といっても、この場合は色々と楽しみが伴うから、
ちっとも苦にならない♪
合間に利賀の芸術公園や相倉合掌造り集落で遊んだ。
利賀ではちょうど施設の屋根を葺き替えており、
飛騨からの職人さんが暑い中もくもくと一人、
休みを返上して頑張っておられた。
少しお話を伺わせていただくと、
茅材は栃木産のヨシを使い、作業している家は25年目の葺き替えだそう。
私が石川県から来たというと「門前の阿岸本誓寺も葺いたよ~」と、
笑顔でお話してくださった。
相倉はお住まいの方には申し訳無いくらいの観光客。
いつかもう少しひっそりとした時期に泊まってすごしてみたい。
GWの連休前半、4月28~30日は金沢に腰を落ちつけ、
家の掃除、洗濯、冬物の片付け、そうしてやっと、タイヤ交換(^^;
気になっていたことを全て片付けられ、気分すっきり。
そして久しぶりにゆっくり休日に家にいたので、
実家の母にどこか行きたいところは?と尋ねたら、
お彼岸に行けなかったから、
祖父の祥月命日である30日にお墓参りに行きたいという。
約束の日、市内を見下ろす卯辰山の墓苑へお参りに行ったあと、
母お勧めの「割烹森泉」で昼食を頂いた。
店は東の廓より1キロほど離れたところにあり、
浅野川の流れに面した町家を改装したお店だ。
母から「お昼は森泉にしよう」と言われたとき、
どこかで聞いたような名前だなと思ったのだが、
それは店内にある調度や雰囲気で、確信に変わった。
以前、骨董業者の市に「モリセン」と呼ばれる人が出入りしていた。
それがこの「森泉」のご主人だったのだ。
過去形で書くのは、モリセンさんはこの浅野川沿いの店をだす矢先に、
不慮の事故で儚くなられてしまったからだ。
まだ業界の右も左も分らなかった私に、
市で顔を合わせると気さくに声をかけてくれた人だった。
お亡くなりになったのはもう7、8年にも前になるのだが、
心のどこかでずっと気にかかっていた。
それが祖父のお墓参りのお蔭で、胸がすっとした。
抹香くさい話でなんだけど、
こういうのをお導きというのだろうか。
「なんだ、お前、今ごろ来たのかい」。
店の奥からモリセンさんが笑いながら出てきてくれそうだった。