鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

美しい星月夜。

2007-09-26 | 日々のこと。
朝から強い雨がふった金沢でしたが、
昨夜は美しい仲秋の名月でした。
今も西の空にはさらに白く耀く月と、
清みきった夜空にたくさんの星が散りばめられています。

つい甘えて吐露した言葉に、
温かいコメントをお寄せいただきまして、ありがとうございます。
頂きましたお一人お一人には、改めてゆっくりお返事できる時間がきましたら、
お返しさせてください。


母が倒れたことで多々感じたこと。

「なにが幸せか分からないです。
ほんとうに、どんなつらいことでも それが正しい道を進むうえでのできごとなら
峠ののぼりくだりもみんな、ほんとうの幸いに近づくひとあしずつですから。」
(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」)

そんな心持ちです。

遠くになりにけるも。

2007-09-23 | 日々のこと。
仕事の大波小波を泳ぎきり、
10月のセミナー「名残の月見」の準備を、
今日、明日のうちでやってしまおうと思っていたところ、
思わぬ荒波が押しよせました。

昨夜会ったときは元気だったのに、
実家の母が、夕飯の仕度をしていた台所で倒れたのです。
父が所用で出かけ30分ほどたって帰宅したところ、
台所からおかしなうめき声と「お父さん」と呼ぶ声。
傍に駈けつけた父に「救急車呼んで。保険証も持ってよ」と気丈にも母はいい、
救急車で病院へ運ばれました。

母が倒れたことは父からの電話で知りました。
父は救急車へ同乗する前に、私に電話をかけてきたようで、
声の後ろで鳴っていた救急車のサイレン音が、
まもなく表の道路から聞こえてきました。
あれに母がのっているのだ、早く病院へ運んでやって…!!

電話がかかってきた時、先週の疲れがでて横になっていました。
鏡を見るとひどい寝ぼけ顔、母の状態もわからぬまま、
車を走らせ病院へ向かいました。
救急外来入口の処置室に母の姿が見えました。

あ~、命があってよかった。

医師によると、右の視床に出血がみられ、脳室にも血が混じっている脳出血。
左の腕と足に麻痺があらわれ、今は止血剤と降圧剤で出血を抑え、
状態を安定させているとのことでした。

ICUに入室し少し落ちついた母は
「みんなに迷惑かけたわね」「ごめんね、お父さん」と。
今は自分のことを心配だけしていれば良いのにね。
ついで「お彼岸に、ユウキが迎えにきたかな」というので、
「残念でした、ユウキにはしっかり断って、帰ってもらったから」と答えてから、
あろうことか母のおでこを軽くぴしゃりと叩いてしまった私。
しまった、脳出血しているのに!!!と気づいた時はもう遅かった……。

30分ほどICUの部屋にいましたが、
睡眠剤が効いてきた母はうつらうつらと眠くなったようなので
父を乗せて実家へ帰りました。
母の代わりに遅い夕食の仕度をしに台所に入ると、
ガスコンロ脇に、火にかけようとしていたお鍋。
牛蒡が丁寧に切られて入っていて、
不意に胸をつかれ、視界が滲みました。


家のことは母にまかせっきりだった父。
PCは打てても洗濯機は動かせない、
自分の下着の替えすらどこなのかな?という塩梅。
ですから、料理なんて全く作れません……。
母が退院するころまでには、
何か作れるよう、仕込んでやろうかしらと思います。

入院中、退院後とやること、考えなくてはならないことが沢山でてくるでしょう。が、
母も家族もがんばりすぎずに、お互いのロールでそれぞれにあれば。

全てのことが儚く遠くになりにけるも、
いつかまたと、想いは強く。



初めての芝居噺。

2007-09-19 | 日々のこと。
落語のジャンルに、「芝居噺」というものがあることを、
先日初めて知りました。
9月17日に石川県立音楽堂内邦楽ホールで開かれた、
「にほんご万華鏡―芸能三題を覗くー」のなかでのことです。

芸能三題の1つ目は、江戸のアニメ、江戸写し絵と江戸写し絵×説教節。
2つ目は泉鏡花の「木の仔説法」の朗読と話中にでてくる狂言「魚説法」。
3つ目がその芝居噺で林家正雀による「怪談累草紙 親不知の場」。

芝居噺とは、歌舞伎人気にあやかって、
噺のなかに歌舞伎の芝居が入ったものだそうです。
その芝居噺もまた2種に分れ、私が聞いたのは「正本芝居噺」という方。
それは高座の後ろに黒幕で隠された道具が飾られ、
噺家はその前で素噺をまず語り始め、
噺のクライマックスになると、黒幕が外され道具が現れるものです。

正雀語る「怪談累草紙 親不知の場」では、
噺の佳境に入ると衣裳の早変り、
後見(黒子)が親不知の海岸を描かれた背景をさっと引き出す、
拍子木で床を鳴らして切りつける様を表すなどの音響もあり、
ぐいっと噺の世界に引き込まれ、
四衛門にお磯の指が落とされる陰惨な場面では、
ゾクゾク肌寒くなる熱演でした。

八代目林家正蔵師匠ゆずりの「てに恐ろしき・・・・という」〆の文句で、
高座が一旦しめられたあと、
「怪談っていうのは陰気で湿っぽくていけね~からって、
必ず最期に座を明るくするよう踊るのがうちの伝統で」と正雀。

豆絞りの手拭を鉢に巻くと、お囃子にあわせ奴さんを披露。
師匠の口真似とその身振りにどっと笑いがおこり、
先ほどまでの空気が一気に霧散し、たちまち会場には陽の気配。
いい加減な踊りにみえるが、きちんと要が押さえらた踊りで、
魅せてくれました。いよっ!

素噺は昨今、この田舎でも聞く機会は増えていますが、
芝居噺なんていうものはなかなか聞く、見ることのできないもの。
いい時間でした。

漕ぎだします。

2007-09-14 | 日々のこと。
カレンダーを見てびっくり。
おわらが過ぎて、まだ2週間しかたっていないことに気付きました。

もっと時間がたっていたように感じたのは、
勤め先の財団石川支部が来週行う、「電話応対コンクール」に起因。
コンクールは都道府県ごとに地区予選が行われ、
優勝者は11月に長野県で開かれる全国大会に出場します。

実は今の財団で仕事をするまで、
こんなコンクールがあることも、財団があることすら知りませんでしたが、
今やどっぷり財団の仕事の海に。
6月から進めてきた県大会の広報や諸々の準備も終えて、
ようやく来週が本番。
当日は出場者・審査員の受付のほか、
タイム計測、点数計算など、選手の順位に関わる裏方仕事があり緊張します。

コンクールが終わったら、ゆっくり休みたいところでしたが、
金曜・土曜と協会役員らの視察研修旅行へ同行することになりました。
大阪でNOTE梅田を視察のあと、神戸へ。
事務局長も行きますが、私の役割はにわか添乗員、あるいは接待役?
仕事といわれれば、ハイとやらなくてはならない立場ゆえ、
これはもう、楽しんだもの勝ちですね。

11月末までの週末の殆ど、これら財団のことと、
八尾の町の行事で埋まりました。
もちろん、平日も仕事は普通にあり…。

美山の砂木の家は見学会があれば行きたいし、
織部賞授賞式にも行きたいし、
望岳苑のセミナーも楽しんでもらえるよう考えたいし、
骨董の企画展もやりたいし、
パン教室にも通ってみたいし。

さてやるかと、仕事と遊びの海に、
オールを漕ぎだします。

第6回織部賞グランプリ受賞者は…。

2007-09-13 | 日々のこと。
岐阜県が制定する織部賞は、利休七哲の一人、
戦国武将の古田織部に因んだものです。
織部の精神を現代に受け継ぐ人々に隔年ごとに贈られます。

この織部賞の第4回、5回の授賞式に、
オリベ編集学校&ISIS編集学校が縁で参加していました。
授賞式は編集工学研究所所長・松岡正剛さんらの手腕で構成され、
それも実は大きな見所です。
そして授賞式後のパーティもまた楽しいものです。

第4回のときには鈴木清順監督のグランプリ受賞のお祝いに、
先日故人となられた山口小夜子さんも駈けつけていました。
白のブラウスに黒のプリーツスカート、
足下はフリルのついたレースのソックスに赤いベルトのパンプスという出で立ち。
少女の香りを発する大人の女性の神秘にまじまじと見惚れていたら、
ふっと笑み返されて。。。。
どうしたら良いかわからず、ドギマギしたことを今も思い出します。

今年のグランプリ授賞は、
大胆な衣裳世界を展開する服飾デザイナーのワダエミさん。
そのほかの受賞者には詩人の高橋睦郎さん、
金沢にもご縁のある現代の目利き林屋清三さん、
メディアアーティストの岩井俊雄さん、
写真家で瓦師の山田修二さんら。

11月4日(日)にセラミックパークMINOで式典があります。
松岡さんがどんな手腕でこの受賞者たちを結び、編集するのか、
やっぱり気になるところ。

懐かしい編集学校の面々にもあいまみえる機会でもあり、
できれば秋の美濃路を訪れたいと思っています。


重ねがさね。

2007-09-10 | 日々のこと。


菊の節句をすぎたというのに、うちの朝顔は今だ花盛り。
ファンファーレが聞こえてきそうでしょう?
美しい青色に、毎朝、癒されております。
(本当は縦位置の写真なので、pcの前で首を左に傾むけて見てね~)


さて昨日のこと。
以前に茅葺民家のヒアリングへ行った帰りに見かけて気になっていた
日月の祠を見に行きました。
祠のある小松市河田(こうだ)に着いたのはお昼どき。
誰も表を歩いていません。

これは困った、誰かに出会わないかしらんと道なりに車を走らせていると、
和菓子屋さんが店を開けていたので、聞きこみに入りました。
エンドウ餅を買って、60歳くらいの店のご主人に謂れなどを尋ねましたが、
「子供のときから見てるけど、さぁ、なんやろ?」と首をかしげ、
ちょっと待ってと家の中にいた従業員さんに声をかけてくれました。
「ちょっとわからないけど、Tさんなら知ってるわ、色々調べてるし」

「Tさん・・・?」
聞き覚えのある名前だなと思ってフィールドノートを広げたら、
茅葺民家のヒアリングでお世話になった方でした。
そういえば地元の民俗を調べているとおっしゃっていたと思い出しながら、
教えられた道を戻り、突然でしたがお宅を訪問。

「あ~、あんたか、shimoさんやったっけ?」
「いえいえ、反対のkamiです……、突然、すみません」

ちょっとトンチンンカンな会話のあと、
その謂れなどを資料を広げて教えていただきました。
それは安政のころ、
五穀豊穣と水に感謝するために嵐七兵衛という村人が六地蔵を街道沿いに建立し、
そのうちの3基が鍋谷河沿い、上河田バス亭、桜生水の3ヶ所に、
今も残っているというものでした。

直接、月見や月待ちの風習とは関係なかったものの、
県内ではこの辺りでしか見かけないもの。
月見も収穫を祝うものですから、
セミナーのなかで関連付けて紹介できればと思いました。

ところで教えて下さったTさんは昭和十二年生まれの70歳。
金属加工のお仕事も続ける傍ら、
郷土史をこつこつと調べていらっしゃいます。

Tさん、重ねがさねありがとうございました.
お世話になりました。





セミナー『名残の月見 十三夜の月に遊ぶ』受付開始。

2007-09-08 | イベント、お知らせ。


午後から白山市白峰にある、
セミナーハウス望岳苑へ出かけてきました。
10月23・24に行わせていただくセミナー、
『名残の月見 十三夜の月に遊ぶ』の打ち合せのためです。
セミナーの内容はこちらからどうぞ。

栗名月、豆名月とも呼ばれる十三夜の月を愛でながら、
月見の風習をひもとき、用意した道具に採取した秋草をそわせ、
室礼をして遊びます。

既に4名のお申込みを頂いているそうで、
そのうち1名は、昨年も参加してくださったSさん(♂)。
写真はその方とお友達によるもので、素敵でしょう!

何だか楽しそうと思われたら、どうぞご参加ください。
深まりゆく秋の白山麓で、十三夜の月を共に愛でて過ごしましょう。


★お申込み・お問合せは白山セミナーハウス望岳苑へ。
℡0761-98-2288

『茅葺き現場体験会』受付開始。

2007-09-08 | サワサワ茅葺き


神戸芸術工科大学在学中より茅葺き民家に魅せられ、
卒業後、美山の茅葺職人の親方のもとへ弟子入りしたshiozawaさん。
今は自らも親方として独立し、
お弟子さんも抱えて全国で仕事をされています。

もともと神戸生まれのshiozawaさんですが、
美山町高野地区の集落に暮らし、
現代の暮らしにそった新しいコンセプトの茅葺民家
「砂木の家」を建築中です。

そしてこの「砂木の家」を舞台に、
来たる10月6日~8日2泊3日で茅葺体験が開かれます。
Shiozawaさんをはじめ他の職人さんが丁寧に指導してくださいますので、
茅を触るのも初めて、茅葺きも初めてという方でも大丈夫です。

茅ってな~に? どうして今、茅葺きなの?
そんな疑問や質問もこの貴重な体験を通して知ってください。
きっと素敵な思いを分かちあうことができます。

詳細、お申し込みは下記からどうぞ。
★茅葺き現場体験会「カヤマル’07@美山」
★砂木の家のこれまでは「茅葺き職人のブログ」


豆猫さんがやってきた。

2007-09-07 | 猫のこと。


まだ富山の護国神社で開かれている蚤の市に出店していたころ、
賑わう神社の境内で知り合った人形作家のぴ~さん
東京の松屋銀座や谷中の猫町、伊勢のおかげ横丁などでも個展をおこない、
全国に大勢のファンがいます。

その彼女の作った豆猫さんが、
とうとう念願かなって我が家にやってきました♪
載せた椿皿の大きさからもお判りいただけるでしょうか、
とてもとても、小さく愛らしい仔です。

金沢でのお互いの住まいが近いこともあり、
近所のファミレスで待ち合わせをして、受け取りました。
箱からそっと取り出し包み紙をあけると、
知らず知らずに頬が弛んでしまった私。

江戸縮(えどちり)の台座に座って愛敬たっぷりに手招きするこの子は、
単に可愛いだけではなく、ふうっと命が吹きこまれていて、
作り手の愛情が伝わってきます。

可愛い豆猫さんが落ちつける良い場所を、
しつらってあげましょう。


【美味しい余談】




酔って候。

2007-09-06 | 八尾だより。


4日の夕方、金沢に帰りました。
「おわら風の盆」が、今年もまた終わってしまいました。

八尾では兵庫のシラユキちゃん、苫小牧のNさん、
東京のきゅうれきすとさんらと再会でき、
旧交を温めることができました。
特にシラユキちゃんには店のことも手伝っていただいて多謝&深謝。
(毎度のことながら大人げないところを見せ恥じいります……)

また、このブログに来ていただいているstraussさんとそのお友達のTさんが、
私にそそのかされ、初めておわらを楽しみに来てくださりました。
1日は前日まで降ったり止んだりのお天気で、空模様が心配されましたが、
晴れ女というTさんの神通力で月も顔を覗かせて♪
無理にお誘いして悪いかなと思いながらも、
ためらう二人の腕を無理矢理ひっぱり、
輪踊りにも加わって頂きました。

店の斜め向かいにあるTさんご夫妻のゲストハウス「聳庵」には、
毎年「風の盆恋歌」を書いた高橋治さんが宿泊されますが、
今年は体調不良で来られませんでした。
その代わり、今年は椎名誠さんが宿泊。
どこかで八尾のことをお書きになるかなとシラユキちゃんと私。
「そうや、きっと『八尾でわしも考えた』とか書くかも」


「おわら風の盆」は9月1日から3日までの3日間ですが、
1日とて同じ天気がありません。
2日は蒸し暑く気温が上がり、3日は夜になってとうとう雨が降りだしました。
町流しは中止になりましたが、輪踊りの始まる10時頃には晴れあがり、
店の前では上新町恒例の大輪踊りが行われて、また私も輪の中に加わってきました。

時計が午前零時を過ぎたころ、
囃子の坂田さんが唄う
「浮いたか瓢箪軽そうに流れる 行く先しらねどあの身になりたい」で、
今年のおわらが締めくくられました。
拍手があちこちでわきおこり、誰もがその場を立ち去りがたく、
輪踊りの輪は、ざわめきの中、ゆっくりとほどけていきます。

ふだん、公式行事としてはこれで終わりますが、
今年はサプライズがありました。
踊り子と地方が上新町の公民館前で、再び演舞を始めだしたのです。

それはおそらく観光会館などのステージで踊るときの構成でした。
男性の力強い案山子踊りのあと、女性が入れ替わりで所作の美しい四季踊り。
そのあとまた男性が入り十字形で躍り、また入れ替わりって女性が入り、
二重の輪を作って平踊りを舞い躍るという、なんとも贅沢なもの。
地元テレビ局が取材をしていたので、踊りはそのためのものだったようですが、
素晴らしかった!すっかり酔いました。


しかしながら。
観光としての「おわら」に費やされる、
町の人の時間と労力は、「おわら」が好きというだけでは務まりません。

八尾の人に、感謝と尊敬の念を捧げます。


酔芙蓉の花:白からうす桃色へと。聳庵前にて。