鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

金沢湯涌江戸村にて。

2011-06-30 | サワサワ茅葺き


6月25日、金沢湯涌江戸村にて「茅葺き技術継承にむけた公開講座」が、
金沢湯涌江戸村にて金沢市とNPO法人石川県茅葺き文化研究会との合同で行われました。

12時ごろ、理事長の坂本さんとこの日のパネラーのお一人上野弥智代さんと合流。
会場の野本家に入り、音響、プロジェクターなどの会場準備を補助しました。
この日は朝から激しい雨が続いていましたが、1時過ぎにはすっきりと晴れわたり、
野本家の背後に広がる棚田も雨上がりの陽光にきらめいていました。

おおよその準備を終えたころ、
金沢工大教授の中森勉さん、森林総合研究所の奥敬一さん、茅葺屋の塩澤実さんらも到着。
フォーラムでファシリテーターを務めてくださる中森さんを中心に打ち合わせの後、
会がスタートしました。


○茅葺屋 塩澤実さんの講座「茅葺き屋根のおもしろさ」
人類はススキやヨシ、小麦、笹、海草など身近な自然素材で屋根を葺いてきたこと。
屋根材である草木を通して人と自然は環をなして繋がっている。
秋の七草も茅場の植物であった。
茅場も人の手により整備され初めて屋根材として良いススキが育つ。
(淀川河川敷では刈ったあと火入れをする、笹刈りの笹場)
西欧諸国では茅葺き屋根の家は資産価値があり、銀行が融資もしてくれる。
縄文の住まいを道具の歴史もふまえて土葺きや笹葺きで再現した。

豊富な事例を写真で紹介いただきながらお話していただきました。
塩澤さんの実体験に基づくお話は、
アイヌ民族のユーカラにも似て何度でも聞いていたいと思え(CD化してくれないかな?)、
これからの先の暮らしを想うとき、
私なぞはなぜか心の奥底が暖かくなり希望というものを抱けるのです。
(たぶん聖子さんもそうだよねぇ)


○森林総合研究所関西支所・主任研究員 奥敬一さんの講座「「森林景観の魅力をまもる」
京都府宮津市上世屋地区で、台風被害で半壊した家の材料を調査した結果、
近隣の雑木林から採れた木を使っていた。
特に小屋組みなど普段人の目にふれないところは、
栗、松のほかにはコシアブラ、シデなど、実に多彩。
一帯は全国でも珍しい笹葺き屋根の家がある地帯。材料の笹を刈ることで、
薪炭林として活用してきた木々が育ち、その木を切ると笹が育ちと交互に森の生態が動く。

奥さんは民家に身近な木々を用いられていることを「民家は里山の雑木林」と表現されていました。
人が里山の木々を活用することで森の様相が動きいきいきした森林になり、
人が再び恩恵をうける。
里山と人の関わり方を家が教えてくれていました。


この日、パネラーとして参加依頼をしていた
立命館大学経済学部の丹後村おこし開発プロジェクトチームの方が欠席になったため、
塩澤さん、奥さんの双方からその活動をご紹介いただきました。
建築学部でもない経済学部の学生たちが、笹葺き屋根の文化に携わり里山の再興をめざしていく経緯。
これはとても興味深く、農山村の継承者不足に関して新たな図式を見る思い。
里山の暮らしの叡智もふくめた伝統を体験を通してまなび、
単なる技術継承にとどまらない方向性の活動にわくわく。
農業、漁業、里山里海、茅葺き民家。
石川の各地にあるそんな点がこのように繋がって、
奥行きのある面に育てばと想いました。


講座のあとのフォーラム 「茅葺き技術継承のために今どんな情報発信が必要か」では、
一般社団法人日本茅葺き文化協会理事の上野さんも参加。
3月11日におきた震災の復興計画のなか、
茨城で建築中の仮設住宅に断熱材として茅や籾殻が使われている報告がされました。
また全国の茅葺きに関する諸団体の取りまとめとして発足した同協会に、
「茅葺き職人になるにはどうしたらよいのか」という問い合わせも増えてきたと聞きました。
塩澤さんも「職人の数については実はあまり心配していない」とのこと。

確かに石川県では現役の職人さんは2~3人になっており芳しい状況ではありませんが、
昨年参加した茅葺きフォーラムには20代~30代の若い職人さんの姿も多く、全国的みると問題なさそう。
新聞記事にも後継者不足で他府県から職人さんに来てもらっていることを問題提起していましたが、
私個人として屋根葺きの技術があり、その土地の屋根文化を正しく理解して葺いていただける方であれば、他府県の職人さんでもなんら問題ないと思っています。
とはいえ、地元にそういう確かな仕事ができる人材が育つにこしたことはありません。


さて今回の受講者なのですが、とても残念なことに10名たらず。
私はてっきり先般5月に塩澤さんのWS「カヤマル」に参加した金沢工大の中森教室の学生も
参加するものだと思っていましたがあれ?いない。
立命館の方らと出会うことで、新しいムーヴメントが生まれることを期待もしていたのですが。

開催決定から告知までの時間の短さもさることながら茅葺き文化への関心が低く、
蓋を開けてみれば研究会スタッフの勉強会の様相。
せっかくの趣旨もぼやけてしまい、講演者の皆さまにも申し訳なく、
7月はもっと関係各所に働きかけしっかり募集をしないといけないのでは?と思いました。

次回7月30・31日は輪島市三井にて。
詳細はまた近々にご案内します。



ふくしま集団疎開裁判・署名のお願い

2011-06-30 | 東北にエール
友人の文兎さんからメールが届きました。
小さい人たちに健康な未来、贈りたい。
私も賛同します。
どうぞ宜しくお願いします!!
***********************



みなさん

 6月24日(金)、福島地裁郡山支部に子供たちの集団疎開を求める「ふくしま集団疎開裁判」が始まりました。

 裁判は、郡山市内の小中学校の子供たち14人が原告となって郡山市を相手に、年1ミリシーベルト以下の場所で教育しろ、という形です。しかし、福島県内で葉年1ミリシーベルト以下のところがほとんどない現状では、記者会見で弁護士が説明しているように、この裁判をきっかけにして小中学校の集団疎開を求めるものです。

 原発事故直後からの福島県の健康アドバイザーなどによる「安全です」という説明を、多くの人が信じ込み、避難や疎開という言葉自体がタブーとなっているとのことです。子供までが「お母さんだけ避難すれば」と言っている、ある家庭のケースの話もあるそうです。

 無理して避難しても、線量が下がって戻ってきたときコミュニティから排除されるのではないか、という不安が避難をためらわせているとも聞きました。

 ある郡山市民の言葉を借りれば、この裁判は、いろいろなしがらみで、避難したくてもできない人に踏み切るきっかけを作ることにもなります。

 詳しくは、次の2つをご覧ください。

  ・記者会見要旨  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf

  ・記者会見と親御さん、代理人弁護士へのインタビュー
   OurPlanetTV, 2011-6-25
   「学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名」
    http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132

 この裁判の弁護団の一人である井戸謙一弁護士は、5年前に金沢地裁で、北陸電力志賀原発の運転差し止めを命じた裁判長(当時)です。井戸さんは、多くの人の署名が、裁判所が集団疎開を命ずる判決を書く上で大きな力になる、とおっしゃっています。

 7月5日に第1回審尋が開かれます。
 署名用紙をダウンロードしていただき、多くの人の署名をお送りください。
 
  ・署名用紙 http://p.tl/X3in

 ※署名の集約は弁護団の安藤弁護士(松本市)が行っています。

 この裁判の今後の情報は「ふくしま集団疎開裁判」のHPをごらんください。

   http://fukusima-sokai.blogspot.com/


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  子どもたちの集団疎開の決定を求める署名のお願い

 1 はじめに
  平成23年6月24日、私たちは福島地方裁判所郡山
  支部に、原発事故からの被ばくから守るため、子ども
  たちの集団疎開を求めて、「ふくしま集団疎開仮処分」
  を提起しました。
  7月5日に債権者に対する最初の審尋の予定が入って
  おります。債権者(申立人)となっている人たちだけ
  でなく、同じ気持ちの人がたくさんいることを示すた
  めに、そして裁判官に勇気を持ってもらうために、署
  名が大変重要な力になります。

 2 署名用紙について
  署名用紙を作成しました。趣旨に賛同戴ける方に、署
  名をお願いしたいと思います。署名用紙をダウンロー
  ドの上、印刷していただき、署名をお願いいたします。
   署名用紙  http://p.tl/X3in

 3 署名の集約先
  次のいずれかの方法でお願いします。

 ・郵送
   〒390-0861 長野県松本市蟻ヶ崎1-3-7
   安藤法律事務所
 ・FAX
   FAX0263-39-0700(安藤法律事務所)
 ・メールに添付
   m-ando@po.mcci.or.jp (弁護士安藤雅樹)

 4 署名が可能な人
  郡山市内、福島県内の方に限りません。全国でも賛同
  いただける方は是非ともお願いいたします。
  また、老若男女構いません。未成年でも構いません。
  学生ならば、例えば「中学2年生です」などとコメント
  欄に書いていただくのも宜しいかと思います。
  ただ、他人の署名を代行することはしないで下さい。
  必ず署名は本人が書いて下さい。

 5 署名の時期
  現在取っている手続は仮処分手続であり、迅速な判断
  が求められます。できるだけ早く、上記集約先に署名
  を送って戴ければと思います。

 6 署名の提出先
  署名の提出先は(署名用紙にも記載したとおり)「福
  島地方裁判所郡山支部」です。
  裁判所提出以外の用途には一切用いません。
  個人情報の管理については厳重に行います。

 7 その他
  是非、コメントを書いて下さい。一言でも構いません。
  長くなる場合は、別紙で書いてもらっても結構です。

 8 問合せ先
  ご不明の点等ありましたら、 m-ando@po.mcci.or.jp
  までお問い合せ下さい。

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 堀 純司
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石川県の茅葺き技術継承にむけた公開講座 のお誘い♪

2011-06-17 | サワサワ茅葺き
ようやく石川県の茅葺き技術継承にむけた公開講座を
ご案内できる運びになりました。


茅葺き屋根の材料はススキやヨシ、アシが一般的に使われていますが、
実は笹を使うところも全国に数か所だけあり、
それが石川県の口能登から能登にかけてと京都府の丹後地方だけなのです。

今回は何かといつも頼りにしている茅葺屋の塩澤さんをはじめ、
丹後で笹葺き屋根の葺き代えを通し村おこしを行っている立命館大学の学生、
それを指導している方なども招いてお話を聴ける貴重な機会。

最近、能登が世界農業遺産に指定されましたが、
実際は過疎、田畑の耕作放棄などの課題が山積みです。
茅葺き屋根も農業の営みの一部であった時代を顧みて、
農のこれから、人材もふくめて里山の未来を考えていく一助になるのではと思います。


今回の公開講座は6月にお話を聞き、
7月に実際に体験するという流れですが、どちらかだけの参加でも構いません。
茅葺き屋根のしくみや技などのお話と茅葺き実習の体験、
楽しみながら暮らしの知恵と伝統的な技術保存を学びましょう。

お誘いあわせ、ご参加ください。
まずは6月、湯涌でお会いしましょう!!

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★第1回目★

日時 平成23年6月25日(土) 14時~16時30分
場所 金沢湯涌江戸村 旧野本家住宅
会費 無料ですが、ご入場のおり、講座参加をお告げください。

   石川県金沢市湯涌荒屋町35-1 Tel 076-235-1267
   交通/JR金沢駅から北鉄バス湯涌温泉行 終点下車徒歩5分
   金沢市荒屋町35番地1 TEL:076-235-1267

講座1 茅葺き屋根のおもしろさ
   塩澤 実 (茅葺屋根職人。京都府南丹市美山町)
講座2 森林景観の魅力をまもる
   奥 敬一 (独立行政法人森林総合研究所関西支所森林資源 管理研究グループ主任研究員)

フォーラム 「茅葺き技術継承のために今どんな情報発信が必要か」
司会 中森 勉 (金沢工業大学環境・建築学部教授)
   上野弥智代 (一般社団法人日本茅葺き文化協会理事)
   塩澤 実
   奥 敬一
   立命館大学丹後村おこし開発チーム代表
エクスカーション 午前から金沢湯涌江戸村見学自由(受付にて要申込)

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★第2回目★

日時 平成23年7月30日(土)、31日(日) 13時~16時
場所 輪島市三井町 旧福島邸
石川県輪島市三井町小泉漆原14-2 Tel 0768-26-1181 (茅葺庵三井の里)

【30日】
講座 能登の茅葺き見てあるき――高木信治 (建築家。NPO法人石川県茅葺き文化研究会理事)
フォーラム 「地域の特性を担う茅葺き技術と環境意識」
司会 谷重義行 (建築家。谷重義行+建築像景研究室)
山浦芳夫 (三井経済活性化協同組合長)
木屋栄一 (茅葺き師。能登町)
塩澤 実 
中森 勉
高木信治

【31日】
ワークショップ 旧福島邸屋根の部分修理実習

主催 特定非営利活動法人 石川県茅葺き文化研究会
共催 金沢湯涌江戸村/輪島市 後援 北國新聞社
参加無料 問合せ090-8967-8022 (担当 坂本)




縄文聖地巡礼 中沢新一×坂本龍一

2011-06-16 | 本のこと。
京都寺町通りの三月書房で買った「縄文聖地巡礼」。
ずいぶん以前になりますが、
中沢新一さんは元YMOの細野晴臣さんと聖地を巡る『観光 日本聖地巡礼』という本をだしていました。
この本もそういう流れで、今度は同じ元YMOメンバー・坂本龍一さんと
縄文の聖地を巡ったのかなという程度の軽い気持ちで手にしました。

ところが、ページをめくってみると、
諏訪、若狭・小浜、奈良、山口、鹿児島、青森という地名が目につきます。
それは近ぢか会う予定をしていた人の出身地であったり、行った場所、行きたい場所でもあり、
また今最も気になる原子力について語られているものでした。
書店に行くと、時に天が読めというばかりに出会う本がありますが、
これは私にとってそういう一冊でした。
(こういうことは密林書店ではまず体験できない(^^))

9.11以後、敵か味方かの二者択一、
コンピュータの二進法バイナリに世界が加速したことに危惧を抱く二人。
かつては1か2ではなく「3」トリニティという、
曖昧な選択肢を持っていた時代があり、
それが『縄文』という時代であったと言います。
そしてその名残は今も日本の至るところにあると旅を続けていきます。

たとえば敦賀半島先端にある「あいの神の森」。
そこは縄文土器がみつかり、田の神とも漁の神ともいわれる「あいの神」を祭るほか、
それとは別の祭祀遺跡も同居し、森全体がお墓でもある土地です。
時が流れた今、その森のすぐ隣に我々は高速増殖炉もんじゅを建て、
縄文聖地に原子力という20世紀の負を共存させました。
この森をのぞむ海水浴場では人々が水遊びに興じています。
それをみた二人は、原子力という 《現代の荒ぶる神》 の前で、
まるで人々がお祭りをしているようだとも感じます。

この本の初めにに中沢さんは、こう書きます。
『縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものを、リアルに見ることができます。わたしたちがグローバル化する資本主義やそれを支えている国家というものの向こうへ出ようとするとき、最高の通路になってくれるのが、この「縄文」なのではないでしょうか。これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。』

「ソトコト」に連載され、2010年5月発行の本書のなかでは、
21世紀は20世紀に人間が作りだしたゴミ=核を無くしていく時代に
していかなくてはならないと語りあっています。

しかしご存知の通り、3.11の震災により原発事故が起きました。
「長い時」の目、「歴史」という目でみると、
この3月に起きた震災による原子力発電所事故は、
あと戻りは出来ないところまでに追いこまれ、
ようやく我々を目覚めさせたといえると思います。
これからの未来への、深くて重い通過点。
この先何年、何十年の未来にそう思えるように進んでいき、
流されたたくさんの涙が昇華できるようにと願います。

中沢さんと坂本さんの旅は青森で終わります。
『縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・』。



帰路で。

2011-06-14 | 日々のこと。
美山からの帰り道は、
福井の名田庄を通り小浜、敦賀へ抜けていくことにしました。

今回は素通りしましたが名田庄は実はとても面白いところ。
平安時代の陰陽師・安倍晴明の子孫である土御門家の人達が、
室町時代から江戸時代にかけて120年あまり住み、
朝廷や将軍家の祈祷や占いをしたり、暦を作っていました。
「暦会館」という暦に関する資料を展示した施設もあるので、
いつかまたゆっくり巡ってみたい。

夕日に照らされた新緑の山々を下り、
早苗田の広がる平地を抜け小浜へでました。
小浜を含む若狭地方は「海のある奈良」ともよばれ
古くから都と深い結びつきをもっていました。
毎年3月2日には遠敷川の鵜の瀬でお水送りが行われ、
その水は奈良東大寺の若狭井にまで届き3月12日に汲まれます。
出版の仕事をしていたころは何度も取材で訪れ、
幾重にも折りたたまれた歴史と
変化に富んだ景色に魅せられた大好きな土地です。

しかし今はこの地にくれば、
14基の原子力発電所のことを考えざるを得ません。
福島で原子力発電所の事故が起きて以来、
各地の原子力発電所の停止、廃炉を求める署名運動が各地で起こりました。
原発事故で失なうものの大きさを知った今、
私もいくつかの原子力発電所の停止または廃炉、
建設反対の署名活動に協力しました。

消費地の便利と供給地の危険。
この差異の構図がある限り、
運動は今後も各地で起きるのは必然といえるでしょう。

それにしても神のさきわう国・若狭はやはり美しい。。




若狭湾にある原子力発電所

日本原子力発電(株)敦賀発電所
◆1号機(沸騰水型軽水炉・出力35万7千キロワット)
 運転開始:1970年(昭和45年)3月14日
◆2号機(加圧水型軽水炉・出力116万キロワット)
 運転開始:1987年(昭和62年)2月17日

日本原子力研究開発機構新型転換炉ふげん発電所
◆ふげん(新型転換炉・出力16万5千キロワット)
 運転開始:1979年(昭和54年)3月20日
 運転終了:2003年(平成15年)3月29日

日本原子力研究開発機構高速増殖原型炉もんじゅ
◆もんじゅ(高速増殖炉・出力28万キロワット)
 (1995年=平成7年12月8日の2次系ナトリウム漏えい事故以来、試運転停止)

関西電力(株)美浜発電所
◆1号機(加圧水型軽水炉・出力34万キロワット)
 運転開始:1970年(昭和45年)11月28日
◆2号機(加圧水型軽水炉・出力50万キロワット)
 運転開始:1972年(昭和47年)7月25日
◆3号機(加圧水型軽水炉・出力82万6千キロワット)
 運転開始:1976年(昭和51年)12月1日

関西電力(株)大飯発電所
◆1号機(加圧水型軽水炉・出力117万5千キロワット)
 運転開始:1979年(昭和54年)3月27日
◆2号機(加圧水型軽水炉・出力117万5千キロワット)
 運転開始:1979年(昭和54年)12月5日
◆3号機(加圧水型軽水炉・出力118万キロワット)
 運転開始:1991年(平成3年)12月18日
◆4号機(加圧水型軽水炉・出力118万キロワット)
 運転開始:1993年(平成5年)2月2日

関西電力(株)高浜発電所
◆1号機(加圧水型軽水炉・出力82万6千キロワット)
 運転開始:1974年(昭和49年)11月14日
◆2号機(加圧水型軽水炉・出力82万6千キロワット)
 運転開始:1975年(昭和50年)11月14日
◆3号機(加圧水型軽水炉・出力87万キロワット)
 運転開始:1985年(昭和60年)1月17日
◆4号機(加圧水型軽水炉・出力87万キロワット)
 運転開始:1985年(昭和60年)6月5日
++++++++++++++++++++++++++++++



帰途へ。

2011-06-10 | サワサワ茅葺き
ゆるりに流れる心地よい時間に、
ずっとゆっくりしていたい思いに囚われました。
が、無情にも時計の針がもう3時近く。

心を残したままお店をあとにし、
引き続き集落の茅場や、
杉皮で葺いた珍しいお宅をご案内いただきました。

集落の茅場のほうですが、
雪のせいか少し刈り残しもあったようですが、
概ね初冬に刈られて、今年の新しいススキが元気に伸びていました。

昔はこのように集落での茅場や戸別の茅場がありましたが、
社会の変化に伴いこのような茅場は姿を消して少なくなりました。
世界遺産に登録されている富山県五箇山でも慢性的な茅不足で、
ここではスキー場に茅(ちがや)を植えるなどして、
森林組合が管理をしています。

理想は茅葺き民家に住んでいる方が冬から春にかけて茅を刈り、
葺き替えするに必要な茅をストックできていくことですが、
それが高齢であったり茅場が狭まったりして難しい今、
塩澤さんの行うワークショップのように、
茅には縁のなかった世代や都市部の人が茅を刈り、
みんなの茅葺きとして茅葺き文化を継いでいく仕組みを
築けるとよいなと思います。

以前ラジオで塩澤さんが「みんなの茅葺き」ということを話していらっしゃいました。
みんなというのは茅葺き民家に暮らす人、茅を刈った人、茅を葺いた人、
そして人だけでなく、茅場にくらす動物、茅場に生える植物、
そういう「みんな」です。
そうやって人も自然も一つに結ばれる茅葺き屋根って、
いいなあと心から思います。

朝から夕方まで約1日、
塩澤さんならではの深い美山をご案内いただきました。
美山のあちこちで皆さんに歓待頂けたのは、
この地で弟子時代から暮らしがんばってこられた塩澤さんあってこそ。
本当にありがとうございました。

これに懲りず
またどうか遊びにうかがわせてくださいませ。


*今回美山をご案内いただいた塩澤さん他をお招きして茅葺き&笹葺きのレクチャーが
来る6月25日(土)午後1時半ごろから金沢湯涌江戸村内の野本家にて行われます。
詳細はまた改めてご案内します。お楽しみに~。

美山探訪 厨房ゆるり。

2011-06-10 | サワサワ茅葺き
市原さんのお宅でゆっくり寛がせて頂いている間に、
雨もあがってきました。

次に塩澤さんにご案内いただいたのは、
美山の旬を味わえる「厨房ゆるり」。
こちらもまた立派な茅葺き屋根で、以前塩澤さんも葺き替えの仕事をされたそうです。
このお店は陶芸家の梅棹マヤオさんと奥様が営まれており、
お名前からお察しの通りご主人は民族学者・梅棹忠雄さんのご子息。




車が着くと同時に、梅棹さんの笑みに出迎えられました。
のれんをくぐるとよく磨きこまれた床板、
そして窓ガラスの向こうの新緑が目に飛び込んできます。
ほの暗いお寺の堂宇から新緑の庭をみるような、そんな趣き。
昨年の11月に行った神戸の箱木千年家もそうでしたが、
包みこまれるという感覚が宿ります。



温かなお人柄がそのまま表れた奥様が、
会話をさえぎることなくすっとお料理を運んできてくださる。
その間合いがまた良かったな。

この日頂いたお料理は、

 鹿のマリネ、、
 (もう2品ありましたが・・・
  おいしかったことだけ覚えてるのね。。。orz )
 百合根と栗の湯葉包み
 アマゴの塩焼き
 地鶏の包み焼き
 ご飯、お吸いもの、香のもの
 アイスクリーム

美山の山と川の豊かな食材が、
繊細かつ大胆に編まれており、大変美味しかったです。
また器もご主人製作のもの、骨董のものなど、
お料理ともども、楽しませていただきました。
ずっと1日過ごしていたいそんな気持ちになりました。
素敵なお店というより、
隠れ家を教えていただいた塩澤さんに感謝。





美山探訪 市原邸。

2011-06-10 | サワサワ茅葺き
塩澤さんは職人であるかたわら、
茅葺きや茅刈りを通して人と自然が共生していることを体感するワークショップ
『カヤマル』を長らく行っています。
次にご案内いただいたのは、
そのワークショップの会場にご協力いただいた市原さんのお宅でした。

沿道沿い冠木門のある市原さんの茅葺き民家は、このあたりでも格式ある家柄。
柱が朱く弁柄で塗られているのが美山の家の特徴だそうです。
塩澤さんに続いて玄関へいくと、ご当主の市原さんがにこやかに出迎えてくださいました。

葺き替えている屋根回りを拝見せていただくだけだと思っていたところ、
「どうぞ、どうぞ」と囲炉裏に赤々と火の熾きた居間にまで通していただき感激。
雨のせいで前日より気温が7~8度近くさがっていたので、
囲炉裏の火が本当にありがたかった♪

朗らかな奥様がすすめてくださったおいしいお茶を頂きながら、
お住まいのことをあれこれ伺いましたが、
ご当主のお話のなかで気になったのは茅場のことでした。
屋根の葺き替え用の茅は、以前は自分の家の茅場でススキを刈っていたそうですが、
数年前からだんだんとススキが育たなくなってしまったといいます。
温暖化の影響? 酸性雨? 鹿や虫による食害? 
いずれにせよ茅場に何がおきたのか、真実を知りたいところです。

しかしながら、囲炉裏ってやはりとても良いですね。
市原さんのお宅では年間通して火を熾しており、
夏場でもその方が湿気をとばして家の中がカラリとするそうです。
そんな囲炉裏を囲みながら、
町から嫁がれた奥様が初めて入った五右衛門風呂のお話、
夏は涼しい美山、冬は美山よりは暖かい京都がいいという
ほんの少し本音もまじったお話も楽しく聞かせていただき、
すっかり寛がせていただきました。

市原さん、奥様、大変ありがとうございました。



美山探訪 塩澤邸

2011-06-07 | サワサワ茅葺き
美山へといっても、
美山町北の伝建地区は人も多いだろうとあえて外したディープな美山探訪。


塩澤さんの車のあとを尾いていくこと5分あまり。
すっと右に折れて砂木の集落にはいりゆるゆる進むと左手に茅葺き民家。
ここが塩澤さんのお宅と、しみじみ見上げる。
というのも、塩澤さんのブログ「茅葺き職人のブログ」で、
基礎工事のころからでき上がりまでを長らく読ませていただいていたので、
実際にこのように拝見できる日がくるなんて・・・・・・と
感動していました。
縁側から谷の向こうに見える山といい、水田から聞こえる蛙の声といい、
夏の夕涼みに抜群のロケーション。

少し用事を済ませなくてはいけないので先に上がって見ていてくださいと
塩澤さんから鍵をおあずかりし、
Nさんとお邪魔させていただきました。

まずは屋根の観察!!
各地でのお仕事の合間に弟子の相良さん(今春独立)と葺いた茅葺き屋根。
きれいに刈られた茅の表面を雨粒がときにコロコロ伝って、
軒に雨だれになって落ちていくさまは見飽きません。
雨粒を静かに受けとめる屋根。
美しいなあ。



このお宅は、塩澤さんの考える現代に生きる茅葺き民家を具現化したもの。
大学時代の友人に設計を依頼され、床下に燻炭をいれたり、
天井にもう一つ屋根を作り土をのせ防火対策もしてあったり、
見えないところにも工夫を凝らしています。

まだ引越しのさなかで、
家の中は「とっ散らかっいます」とおっしゃっていましたが、
すみません、確かに・・・・・・・。

整理整頓はまだこれからになられるので室内の撮影は控え、
次回また落ち着かれたころにお邪魔させていただき、
ご紹介できればと思います。
(またお邪魔する気まんまん)