鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

縄文聖地巡礼 中沢新一×坂本龍一

2011-06-16 | 本のこと。
京都寺町通りの三月書房で買った「縄文聖地巡礼」。
ずいぶん以前になりますが、
中沢新一さんは元YMOの細野晴臣さんと聖地を巡る『観光 日本聖地巡礼』という本をだしていました。
この本もそういう流れで、今度は同じ元YMOメンバー・坂本龍一さんと
縄文の聖地を巡ったのかなという程度の軽い気持ちで手にしました。

ところが、ページをめくってみると、
諏訪、若狭・小浜、奈良、山口、鹿児島、青森という地名が目につきます。
それは近ぢか会う予定をしていた人の出身地であったり、行った場所、行きたい場所でもあり、
また今最も気になる原子力について語られているものでした。
書店に行くと、時に天が読めというばかりに出会う本がありますが、
これは私にとってそういう一冊でした。
(こういうことは密林書店ではまず体験できない(^^))

9.11以後、敵か味方かの二者択一、
コンピュータの二進法バイナリに世界が加速したことに危惧を抱く二人。
かつては1か2ではなく「3」トリニティという、
曖昧な選択肢を持っていた時代があり、
それが『縄文』という時代であったと言います。
そしてその名残は今も日本の至るところにあると旅を続けていきます。

たとえば敦賀半島先端にある「あいの神の森」。
そこは縄文土器がみつかり、田の神とも漁の神ともいわれる「あいの神」を祭るほか、
それとは別の祭祀遺跡も同居し、森全体がお墓でもある土地です。
時が流れた今、その森のすぐ隣に我々は高速増殖炉もんじゅを建て、
縄文聖地に原子力という20世紀の負を共存させました。
この森をのぞむ海水浴場では人々が水遊びに興じています。
それをみた二人は、原子力という 《現代の荒ぶる神》 の前で、
まるで人々がお祭りをしているようだとも感じます。

この本の初めにに中沢さんは、こう書きます。
『縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものを、リアルに見ることができます。わたしたちがグローバル化する資本主義やそれを支えている国家というものの向こうへ出ようとするとき、最高の通路になってくれるのが、この「縄文」なのではないでしょうか。これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。』

「ソトコト」に連載され、2010年5月発行の本書のなかでは、
21世紀は20世紀に人間が作りだしたゴミ=核を無くしていく時代に
していかなくてはならないと語りあっています。

しかしご存知の通り、3.11の震災により原発事故が起きました。
「長い時」の目、「歴史」という目でみると、
この3月に起きた震災による原子力発電所事故は、
あと戻りは出来ないところまでに追いこまれ、
ようやく我々を目覚めさせたといえると思います。
これからの未来への、深くて重い通過点。
この先何年、何十年の未来にそう思えるように進んでいき、
流されたたくさんの涙が昇華できるようにと願います。

中沢さんと坂本さんの旅は青森で終わります。
『縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・』。



ものづくりで元気をつなぐ。

2011-04-10 | 本のこと。
ひょんなことからと言いましょうか、
いつものあの方のお声がけで(わかる人はわかるよね)、
女優・山口智子さんの出された本「掛けたくなる軸」
出版記念会の実行委員になっていました。

本当は3月13日(日)に開催される予定でした。
1月の終わりごろから広報をし、参加者のとりまとめをしていましたが、
この度の大震災。山口さんからの申し入れもあり延期にしました。
(本当のことをいうと2月はなにか調子がでずにグズグズ。根拠はありませんが、
あの地震がおきて、ああこれだったのかと思ったしだいでした)。

それから約一ケ月後の4月9日(土)。
「山口智子さんと『ものづくりで元気をつなぐ』ことを考える会」と名を改め、
無事に開催しました。

会場は金沢市指定文化財になっている辻家。
もともとは加賀藩の家老横山家(3万石)が明治から大正時代に建てた家で、
ふだんは非公開です。
開催前に辻さんにお部屋の解説やお庭をご案内いただくという役得。
特にお庭は寺町台地の高低差を利用した回遊式庭園で、
京都の庭師「小川冶兵衛」によって造られ、
今のお金で換算すると40億近くもの費用をかけられたとか。
人工の滝あり、池あり、さながら深山幽谷の様相。
お隣には有名な料亭がありますが、
こちらもそもそもは横山家のものだったそうです。
辻家であんなことや、こんなことをしたいわ!と
妄想したのはいうまでもありません。


受付の準備もすませスタッフで歓談していると、
玄関でこんにちは~と女性の声。
山口さんでした。
最近はご自分でプロデュースした番組をお持ちになるなど、
女優業より発信する側での活躍が多くなっていますが、
キラキラ生命力にあふれた瞳が印象的な美しい方でした♪

開始時間になり、MCに坂本のオトーサン、山口さん、CMプランナーの早川さん、
陶芸家の中村卓夫さん(金沢)の4人で、トークが進みます。
日本文化のすばらしさに気づかされた海外での出会い、
職人の追っかけをはじめたことなど軽妙に語られていきました。

今回ご参加いただいたのは会場の広さの関係から70名ほどでしたが、
会場にも、お話にもご満足いただけたかと思います。
集まった会費、本の売り上げは諸経費を除きまして、
震災への義捐金として送られました。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

また受付をお手伝いいただいたKさん、くろひょうさん、SBさん、
YKさん、TMさん、Iさん
大変お疲れさまでした。

秋が深まるころに第2弾が行われそうですので、
皆さまもまた、お楽しみに。



「女の絶望」。

2011-02-22 | 本のこと。
昨夜、伊藤比呂美さんの「女の絶望」という、
タイトルも凄いが、その中身も予想を超える、
実に生々しく女という生き物が綴られた本を一気に読みました。

女のね、それも絶望、ですよ。奥さん。
文体は江戸っ子風の話し言葉で綴られているから、
気楽に読めるもので、いや本当に、
これほど女という生き物をアケスケに判りやすく綴って、ねぇ!

40歳を超えた結婚経験のある女性は、
必ずこの本を読むことという法律があってもいいと思う。
そのくらい人様にお薦めしたい。
(未婚の女性が読むと夢も希望も結婚にもてなくなるやも知れないので、
あえて結婚経験のあるとしました)。

かくいう私も宇吉堂の宇企子さんに,
「ヨーコさん、古雑巾と同じで、亭主はないよりいたほうがいい、って
伊藤比呂美が書いていたわよ」
その一言をそえて薦められたのです。
そんなものかいなと思いながら、
つい数日前に手にした禁断の一冊。

なるほどねぇ。
自分でも時に持て余す、
自分という女を痛快に知りました。

これを読めば、結婚も、嫉妬も、不倫も、離婚も、更年期も、介護も、老後も、
なんにも怖くない。
どーんときなさいって気持ち、
実に心晴れやかになりますわねぇ。

悩んでいるそこの奥さん、ぜひ読んでみなさい。
あなたとよく似た女が、ページの中におりますよ。
しろみ姐さんが、時に優しく時に痛烈に
人生のナビゲートをしてくれます。








仙台文庫「ブックカフェのある街」。

2011-02-19 | 本のこと。


ここ数年、実は仙台の古書界とアンティーク界が楽しい企画を次々くりだしていて、
密かに注目していました。
そのムーブメントの中心的存在のひとつがブックカフェ「火星の庭」。
金沢でも昨年からOYOYO書林さんやあうん堂さんが「一箱古本市」をはじめましたが、
仙台では火星の庭さんが早々行っており、今も盛況のようす。
また昨年はBOOK!BOOK!SENDAI!という大きなイベントも行っていて、
杜の都仙台では、本が(古書店、本屋)がとても呼吸をしやすそうにしているのです。

さてそんな仙台で、1月末に市民がお金を出し合い本を作るという出版スタイル、
早い話、市民レーベルで、
仙台文庫が誕生しました。
素晴らしい!
仙台文庫の記念すべき第1冊は、
先に掲げたブックカフェ「火星の庭」オーナーの前野久美子さんが執筆した
『ブックカフェのある街』です。

同書の前半にはブックカフェ「火星の庭」ができるまでの経緯が包み隠さず書かれていて、
善意で助けてくださる方々の思いにホロリ、
自営業として身につまされることにホロリ、させられました。
後半は旅したヨーロッパで出会ったブックカフェのこと、
店内で行っている仙台在住の作家佐伯一麦氏を交えた読書会のようすほか、
仙台市内のブックカフェ店主、出版社を経営する方などの交友、本への思いなどが、
気負いのない文体で綴られていました。

惜しむらくは章立てやデザインなどもう少し洗練されるといいかな。
それはともかくも、仙台で育まれている「本の文化」、店作りの思いが沸々伝わってきました。
本が好きな人はもとより、これから何かお店を始めようという人にお奨めです。

ところで私がこの仙台文庫を知ったのは、
同書にも載っている書肆マゼラン店主のタカクマさんのブログから。
タカクマさんは実は富山出身の方で、学生時代を仙台ですごしたことから、
サラリーマンから転身し、仙台で古書店を営むに到った方。
彼もとても素敵な企画をお店で行っていらっしゃいます。
いつか仙台へ行ったらきっと訪ねますね~、タカクマさん

わが街も、文学の街としては仙台同様、
いやそれより豊かな土壌の街であったはずだから・・・、
もっともっと盛り上がって、
根付いていくといいなと思います。

本年3年目に入るかたかご庵も今年は本にまつわる何かを。
え? まだまだ妄想ですよ。














したむきな人々。

2010-12-08 | 本のこと。
亀鳴屋幸ちゃんと湯涌温泉近くの山間で茅刈りをしていたころ、
亀鳴屋主人は『したむきな人々』受注の電話とメールの応対で大変だったと、
幸ちゃんを送り届けたさい「お茶でもでどうぞ」という優しい言葉に甘えて、
亀鳴屋に上がりこんで知った。

「もう今朝から電話が鳴って鳴って・・・」と亀鳴屋主人が言うか言わないかのうちに、
また電話のベルが鳴り響く。

それは12月5日の朝日新聞全国版コラム欄〔本の舞台裏〕に、
『したむきな人々』が載ったからで、亀鳴屋主人曰く「特需だ」。
その割にはテンションが下がりぎみなのは、
応対に疲れたこととそのあとの仕事にあるようで。

亀鳴屋では、実際、主人のK氏+奥様(DTP)で本を作っているものだから、
企画・編集はむろん受注、梱包、発送もこなす。

今回の本は検印を奥付に1枚貼るだけの作業だと思うが、
これまで出してきた亀鳴屋の本の中には、
背表紙や表紙にタイトルや写真、版画を貼って完成というものも少なくない。
製本屋任せではない、どこか手仕事を残しての仕事なのである。
だから良いのだけれど、時にその拘りが亀鳴屋主人自身を忙しくし、
自らしたむきになることもあるんだなぁ。。。

朝日新聞の書評はネットでも読めます。こちら!
本のご注文は、亀鳴屋を慮って、波が引いたころに注文をお願い。
亀鳴屋HP

さよなら、銀花。

2010-03-03 | 本のこと。
先月26日に銀花の最終刊161号が発売されました。
創刊当初と変わらぬ編集方針を貫いてきた矜持ある雑誌でした。

今号に載っている広告には、
終刊を惜しむ声と感謝の言葉を添えてあるものも少なくありませんでした。
広告主の皆さんも銀花を愛してこられたことを感じました。

終刊号の末尾には、散華の付録。
銀花の最後にふさわしい、清らで美しいものでした。
銀花はいつまでも、私たち読者の心に咲いています。

金子彰子詩集「二月十四日」。

2010-02-26 | 本のこと。
亀鳴屋から新刊でました。

「すごく良いんだよ!読んだ時に鳥肌がたった」。
亀鳴屋主人が詩集のタイトルにもなった詩『二月十四日』を
初めて読んだときの興奮そのまま語ってくれたのは、
昨年11月の終わりごろだったでしょうか。

『二月十四日』は金子さんが15歳のときに書いた詩です。
それから四半世紀以上、詩を書かず過ぎてこられたのが、
(その間も金子さんの裡には、詩の水脈が枯れることなく流れていたように想う)
ある時、偶然、ある会で自分の詩が朗読されることをお知りになる。
それもその会の当日にです!

その偶然からはじまったムーブメントは、
詩の神様からのギフト。

本が生まれるまでの素敵な物語は、金子さんのブログへどうぞ。
そして本のご注文は亀鳴屋へ。


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金子彰子詩集『二月十四日』

148×140 上製角背 糸かがり カバー装 本文総一二八頁
オフセット印刷
限定 二一四部
寄稿 井坂 洋子
装丁 金田 理恵

頒価 1,985円 (税込み・送料別)




季刊「銀花」休刊。

2010-01-21 | 本のこと。
文化出版局が昭和45年から年4回出版してきた「銀花」が、
2月25日発売の第161号をもって休刊になります。
この休刊はかぎりなく廃刊に近いものと思われます。

真摯に向き合う方々が生みだす手仕事の素晴らしさ、美しさを伝えてくれた
良心ある美しい本でした。
杉浦康平さんの装丁も毎回楽しみでした。

興味のある特集記事の号の発行のときしか求めていませんでしたが、
手元に50冊はあるでしょうか。
良い仕事がしてあるものは、時代が経とうとちっとも古びません。

時代の趨勢といってしまえばそれまでですが、
つくづく、消えていくのは惜しすぎます。

文化出版局さま、なんとか方策を立て、
続けていくことはなりませんのでしょうか・・・。





かはたれそ。

2009-12-06 | 本のこと。
先日の富貴よせ企画展のとき、
亀鳴屋の主人と妻女の幸ちゃんが遊びに来てくれました。
連日の原稿入力でへたばったようすの亀主人。

「なんかいい布な~い?」と言いながら、帯と着物に近づくのであります。
この方にとって、帯や着物は本の装丁に使う布クロスにしかみえないのですな。

やおら本棚にあった「藤澤清造貧困小説集」(亀鳴屋刊)を手にとると、
ぐるぐる帯を本に巻きつけたり、着物の袖に本を通してみたりと、
もしこのようすを着物好きのお客さんがみたら、訝しい視線を送られること必定。

何枚かそうやって試しているなか、黒地に江戸紫の唐草模様、
袖の返しには紅絹が使われた綸子の着物がすっかり気に入ったようす。
「ああ~、これ、いい!!!」と先ほどまでとは打って変わってハイテンション。
幸ちゃんも、お気に入りが決まったようでニコニコ。
お二人に喜んでいただけて良かった~。

亀主人が求められた着物は、解かれ、遠くない将来、
伊藤人誉さんの本の特装本に生まれ変わります。
 
 かはたれそ 女の声で なく蛙    人誉

亀鳴屋本ファンの皆様、お楽しみに~。



冬時間。

2009-10-27 | 本のこと。
フランスには冬時間なるものが存在するそうですね。

サマータイムとは逆に、時計の針を1時間早めるのが冬時間。
ウィンタータイムとは言わず、
冬時間と漢字にしたほうが、しっくり感覚になじみます。

私が冬時間を楽しむとしたら、やっぱりかしましいテレビを消して、
暖かいブランケットにくるまれ本を読むことかな。

最近読んでいるのは、
瀬戸内寂聴さんの「わたしの源氏物語」。

十三歳のときに「源氏物語」に出会って以来、
その訳をライフワークとしてこられた瀬戸内さんならではの読み込みで、
光源氏と彼をとりまく女性たちの姿を、
さまざまな視点で鮮やかに描いていらっしゃいます。

瀬戸内さんのものを読みながら、
源氏物語を読み返すということも時にしながら、
二冊の本を行ったりきたり。

へぇ、そうだったかな。
そうそう、そうだった。
そんな風に思った?

瀬戸内さんと源氏物語を語りあっているような気持ちになれる
「わたしの源氏物語」。
読んでみたいと思われたなら、まずは源氏物語を読んでから。

秋の夜長、冬時間を楽しみましょう。