京都寺町通りの三月書房で買った「縄文聖地巡礼」。
ずいぶん以前になりますが、
中沢新一さんは元YMOの細野晴臣さんと聖地を巡る『観光 日本聖地巡礼』という本をだしていました。
この本もそういう流れで、今度は同じ元YMOメンバー・坂本龍一さんと
縄文の聖地を巡ったのかなという程度の軽い気持ちで手にしました。
ところが、ページをめくってみると、
諏訪、若狭・小浜、奈良、山口、鹿児島、青森という地名が目につきます。
それは近ぢか会う予定をしていた人の出身地であったり、行った場所、行きたい場所でもあり、
また今最も気になる原子力について語られているものでした。
書店に行くと、時に天が読めというばかりに出会う本がありますが、
これは私にとってそういう一冊でした。
(こういうことは密林書店ではまず体験できない(^^))
9.11以後、敵か味方かの二者択一、
コンピュータの二進法バイナリに世界が加速したことに危惧を抱く二人。
かつては1か2ではなく「3」トリニティという、
曖昧な選択肢を持っていた時代があり、
それが『縄文』という時代であったと言います。
そしてその名残は今も日本の至るところにあると旅を続けていきます。
たとえば敦賀半島先端にある「あいの神の森」。
そこは縄文土器がみつかり、田の神とも漁の神ともいわれる「あいの神」を祭るほか、
それとは別の祭祀遺跡も同居し、森全体がお墓でもある土地です。
時が流れた今、その森のすぐ隣に我々は高速増殖炉もんじゅを建て、
縄文聖地に原子力という20世紀の負を共存させました。
この森をのぞむ海水浴場では人々が水遊びに興じています。
それをみた二人は、原子力という 《現代の荒ぶる神》 の前で、
まるで人々がお祭りをしているようだとも感じます。
この本の初めにに中沢さんは、こう書きます。
『縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものを、リアルに見ることができます。わたしたちがグローバル化する資本主義やそれを支えている国家というものの向こうへ出ようとするとき、最高の通路になってくれるのが、この「縄文」なのではないでしょうか。これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。』
「ソトコト」に連載され、2010年5月発行の本書のなかでは、
21世紀は20世紀に人間が作りだしたゴミ=核を無くしていく時代に
していかなくてはならないと語りあっています。
しかしご存知の通り、3.11の震災により原発事故が起きました。
「長い時」の目、「歴史」という目でみると、
この3月に起きた震災による原子力発電所事故は、
あと戻りは出来ないところまでに追いこまれ、
ようやく我々を目覚めさせたといえると思います。
これからの未来への、深くて重い通過点。
この先何年、何十年の未来にそう思えるように進んでいき、
流されたたくさんの涙が昇華できるようにと願います。
中沢さんと坂本さんの旅は青森で終わります。
『縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・』。
ずいぶん以前になりますが、
中沢新一さんは元YMOの細野晴臣さんと聖地を巡る『観光 日本聖地巡礼』という本をだしていました。
この本もそういう流れで、今度は同じ元YMOメンバー・坂本龍一さんと
縄文の聖地を巡ったのかなという程度の軽い気持ちで手にしました。
ところが、ページをめくってみると、
諏訪、若狭・小浜、奈良、山口、鹿児島、青森という地名が目につきます。
それは近ぢか会う予定をしていた人の出身地であったり、行った場所、行きたい場所でもあり、
また今最も気になる原子力について語られているものでした。
書店に行くと、時に天が読めというばかりに出会う本がありますが、
これは私にとってそういう一冊でした。
(こういうことは密林書店ではまず体験できない(^^))
9.11以後、敵か味方かの二者択一、
コンピュータの二進法バイナリに世界が加速したことに危惧を抱く二人。
かつては1か2ではなく「3」トリニティという、
曖昧な選択肢を持っていた時代があり、
それが『縄文』という時代であったと言います。
そしてその名残は今も日本の至るところにあると旅を続けていきます。
たとえば敦賀半島先端にある「あいの神の森」。
そこは縄文土器がみつかり、田の神とも漁の神ともいわれる「あいの神」を祭るほか、
それとは別の祭祀遺跡も同居し、森全体がお墓でもある土地です。
時が流れた今、その森のすぐ隣に我々は高速増殖炉もんじゅを建て、
縄文聖地に原子力という20世紀の負を共存させました。
この森をのぞむ海水浴場では人々が水遊びに興じています。
それをみた二人は、原子力という 《現代の荒ぶる神》 の前で、
まるで人々がお祭りをしているようだとも感じます。
この本の初めにに中沢さんは、こう書きます。
『縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものを、リアルに見ることができます。わたしたちがグローバル化する資本主義やそれを支えている国家というものの向こうへ出ようとするとき、最高の通路になってくれるのが、この「縄文」なのではないでしょうか。これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。』
「ソトコト」に連載され、2010年5月発行の本書のなかでは、
21世紀は20世紀に人間が作りだしたゴミ=核を無くしていく時代に
していかなくてはならないと語りあっています。
しかしご存知の通り、3.11の震災により原発事故が起きました。
「長い時」の目、「歴史」という目でみると、
この3月に起きた震災による原子力発電所事故は、
あと戻りは出来ないところまでに追いこまれ、
ようやく我々を目覚めさせたといえると思います。
これからの未来への、深くて重い通過点。
この先何年、何十年の未来にそう思えるように進んでいき、
流されたたくさんの涙が昇華できるようにと願います。
中沢さんと坂本さんの旅は青森で終わります。
『縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・』。