鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

師走はゆっくりと。

2007-11-30 | 日々のこと。
11月は出だしから慌ただしく、週末ごとに遠方へ出かけていました。

日帰りで名古屋経由の多治見行き、
2泊3日で長野行き、
1泊2日で京都府精華町経由の大阪行き。
そして今週は月曜から木曜まで県内4ヶ所を巡回。

12月は師走といえど、
ゆっくりと時間を重ねたいです。




保健所の安藤さん。

2007-11-21 | 日々のこと。
先週末は長野市に、明後日からは大阪へと、ぱたぱた。
どちらも仕事です。。。

昨日の仕事帰りに寄ったスーパー。
今月6日に解禁になったズワイガニをどれにしようかと検分していると、
「あのう、違っていたらすみません、保健所の安藤さんじゃないですか」と、
年のころ40歳くらいの男性に声をかけられました。
「ちがいま~~す♪」

保健所の安藤さん、そんなに私と似ているのでしょうか。
会って確かめたいものです。

待ってる。

2007-11-12 | 猫のこと。
母が入院し、困っているのは人間だけではありません。
物いいたげに傍に寄ってきたので、訳します。

 そうなのよ。
 私、モモ、猫です。
 見ればわかるわよね。
 年は17歳、人間でいうと80歳を超えているかしらね。
 若いときはこれでも綺麗だったのよ。
 それはさておき。

 あの日以来、日中、家に誰もいなくて寂しいの。
 いつでもご飯ちょうだいにゃ~とおねだりもできないし。
 それに最近寒いでしょ。
 寒くてストーブに顔をくっつけていたら、
 睫毛と髭がくるくるにカールしちゃったのよ。。。。
 それが可笑しいってオトウサンやY子にからかわれて、全く失礼な人たち。
 オカサアンの温かい膝の上が恋しいわ。

 だから早く帰ってきて。待ってるわ。
 ぁ、でも顔を拭かれるのは嫌いだから、
 そこのところだけ、 宜しくにゃ~。


と言っていました。

着地点。

2007-11-11 | 日々のこと。
7日、母は本格的なリハビリを行うために転院しました。
発症してのち4ヶ月までのリハビリによって、
麻痺の回復度合いが定まってしまうとあって、
倒れた日から6週間でスムーズに転院できたこと、
本格的なリハビリが始められることは、
まずまずよしと思えます。

リハビリテーション科の医師との問診を同席して聞いていると、
思考力に障害がないか、認知症はないかテストされているのがわかりました。

今日は何日? ここはどこですか? ここへはどうやって来たの? 
あなたの隣にいる人は? あなたのお子さんは何人? お子さんは幾つ?

単語3つを言われ覚えておいてくださいね…のあと、
数字の復唱、数字を逆から言う、100から順に7を繰りかえし引く…、
ではさっき覚えておいてといった単語は何でしたか?

良いというまで目を瞑って舌をだして。

などなど延々。
結果、思考力と認知症は問題ありませんでした。

最後の良いというまで目を瞑って舌をだす格好は、
とても無防備なため不安な気持ちになる態勢だそうで、
そういう気持ちを抑制できる力があるかどうかを試すものだそうです。

問診のあと、医師の良くなったら何をしたい?という問いに
「主人に美味しい物を作ってあげたいのと山野草をまた育てたいです」と話すうち、
胸にこみあげてくるものがあったのでしょう、
つい目頭を潤ませてしまった母。
それをみて涙もろい私も、ちょっともらい泣き(世話ないな~)。

大阪で老人医療のスーパーバイザーとして頑張っている従姉妹が、
母が倒れた直後の状態をきいて、
「手足がそれだけ動くなら大丈夫やわ」と言ってくれていたのですが、
彼女の宣託どおり。
左半身の麻痺は、本当に幸いなことに当初の予想よりは軽くすみ、
再発を防ぐために、食生活による血圧の改善を厳重に注意されてはいますが
医師からも「リハビリしだいで良い所に着地できるぞ」と
嬉しい言葉ももらいました。

母が帰るまでに家のなかを整えたり、
それから先の暮らしをどうするかといったことを
考えていかなくてはなりませんけれども、
まずは今できることから。

明日は介護認定の面談。


織部賞雑感。

2007-11-05 | 日々のこと。
秋晴れの4日・日曜、
織部賞授与式ならびに記念イベントが行われる多治見に
日帰りで行ってきました。

仕事を終えてからもう一仕事といった感の昨今、
久しぶりにゆっくり本を読む時間がもて、
移動の間、吉岡幸雄さんの「日本の色を旅する」を読みました。

名古屋につくと「優勝セール」の横断幕があちこちに。
ああ、そうかと思いながら電車を乗り換えて多治見に向かいました。
多治見駅前には会場のセラミックパーMINOに向かうシャトルバスが待機し、
それを利用して向かいました。

受付でくだんの招待状を出し、展示ホールで織部賞のアーカイブ映像や、
今年、グランプリを受賞されたワダエミさんが手がけた衣裳を見ていると
オリベ編集学校の同期(1期生)だった風信子(ひやしんす)さんが
声をかけてくださりしばし立ち話。


◎授与式
毎回審査委員がプレゼンターになり受賞者を紹介するはこび。
そのやりとりがこの授与式を楽しくさせています。
また受賞者のコメントも滋味あり、洒脱あり、機知ありで
会場をわかせるのです。

◎記念イベント
高橋睦郎さんの詩の朗読を皮きりに、
岩井俊雄さんのパフォーマンス、
林屋晴三さん×鯉江良二さんの対談、
山田修二さん×磯崎新さんの対談、
ワダエミさん×松岡正剛さんの対談。

高橋さんは3篇の詩を朗読。
7月に急逝した、織部賞とも縁のあった山口小夜子さんに捧げた「小夜曲」は、
山口さんが独白するスタイルで紡がれたもの。
高橋さんが山口さんの深層に滑りこみとけあって生まれた詩です。
「山口小夜子が巫女なら、高橋さんもまた巫ゲキ。」そう受け取りました。

岩井さんは母親の「もうオモチャは買わない宣言」によって、
メディアアーティストになった経緯とその作品を使ってパフォーマンス。
言葉の端々にとても家族を大切にしていること、
この受賞を純粋に喜んでいることが伝わってきて、
心の底から「おめでとう!」と思えました。

林屋晴三さんは、第三回に織部賞を受賞した陶芸家の鯉江さんと対談。
鯉江さんがすっかり林屋さんに料理され、鯉江さんはたじたじでした。
林屋「今までに一番惹かれた焼きものは?」
鯉江「韓国の古い茶碗だったね~、手にぴたっと吸いついてね~」
林屋「ほぅ~、そういえばあんたの茶碗はまだ、こうピターと手に吸いついたことないね」
鯉江「ありゃ~。。。」
なんて具合。仲が良いからできる会話。ふふふ。

前日には会場敷地にある茶室「懸舟庵」で林屋さんの見たてたお道具の数々で、
茶会も開かれ、その時のお道具を拝見することもできました。
林屋さんは、借り物では思いがこもらない、という持論でお道具はすべてご自身のもの。
小間には、床に利休の二重切り竹花入れ、棚に長次郎の赤、織部作の茶杓。
(これを個人で蔵しているとは……。)
400年の時に醸された道具たちは、古格が備わり、
あたかも小間に桃山の三人がいるような気配が満ちていました。

山田修二さんのことは、実は存じ上げませんでした。
しかし「呑んで、呑んで、たまにシャッター押すで写真を撮ってただけなんですけどね、はっはあ!」
と真に痛快、面白い人でした。
今までにないオリベ賞の受賞者という意味で破格。
織部賞受賞の賞状には一人一人に受賞理由が文言として書かれ、
これは松岡さんが毎回考えているものですが
「人生を写真に、瓦に、炭に焼きこんで…」と、
カメラマンから瓦職人(カワラマン)、炭焼きに転身した
山田さんの軌跡がまとめてありました。

そしてグランプリのワダエミさんは正剛さんと対談。
ところが、進行がどんどん遅れたために、
私ときたら、電車の時間が迫って、
後ろ髪を引かれる思いで会場をあとにしたのでした。

授与式でのワダさんの言葉。
「こんなにたくさんのお金を頂いて……。
賞をもらおうと思って仕事をしてきたことはありませんが、
こうして私の仕事をみて頂いている方が必ずどこかにいらっしゃるんですね」
「アカデミー賞、エミー賞など海外で賞を頂いたことはありますが、
日本で賞を頂いたのは初めて。本当に嬉しいです」。
火は熱く燃え立つと真っ白になりますが、
そういう静かだけど熱い火を、胸中に抱き仕事をされてきた方と思いました。


なにを、と具体的なことはあげられませんが、
なにかしらムクムク心に力がわいてくる、
そういう1日になりました。