鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

元気です。

2021-07-28 | 日々のこと。
またもや半年も過ぎていました。
手軽に投稿できるSNSができて、ついつい疎遠になってしまいます。

コロナ禍で、かたかご庵は金継教室の日だけ開けています。
実家の老親はそれなりに元気ですがサポートすることが色々増えてきました。
五輪、夏休みで東京はすさまじい勢いで感染者増え、お盆に帰省する人が地方に災禍をもたらしそうですね・・・。

まずは自分自身、かからない、うつさない生活を心がけます。

7月は 富山県立山町の巣巣 さんで「出張かたかご庵㏌巣巣」でした。
もっと早くこちらでも告知をしたらよいものを、今週29日~31日で終わります。
お訪ねの際は、巣巣さんにご予約のうえどうぞ~。

そして我谷盆も続けて精進中。
写真は輪島市三井の「のがし研究所」さんでの一コマ。
5月に行われたアフタヌーンティーの会で、のがしさんのお菓子とコラボレーションさせていただきました。
楽しかったなあ(^^)
2021年秋の終わりには、二人展を富山で開催することになるでしょう。
そのおりはお知らせさせてください。

まだまだ夏のとば口、ご自愛ください(^^)/

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我谷盆バカ。

2018-11-13 | 日々のこと。
またまた時が経ってしまった。

今日は一昨年から続けている我谷盆のことなど、綴ってみよう。


骨董を扱っていたので、我谷盆(わがたぼん)の存在はずいぶん昔から知っていた。
加賀市の山間の我谷村(わがたにむら)で、江戸時代ごろからダムに沈む昭和40年代まで彫られ、
村が湖底に沈み技術も途絶えたため、骨董の業界では「幻の我谷盆」と言われていた。

京都にその我谷盆に魅せられ、かれこれ30年近く、その復興に力を入れている木工作家・森口信一さんがいらっしゃる。
個展も全国各地でされており、金沢や加賀市でも何度となく開けていたのは知っていたが、実は近年まで足を運ぶこともなかった。
失礼ながら骨董の我谷盆にしか興味をもてなかったからだ。

ところが一昨年5月に、森口さんを講師にした我谷盆を彫るワークショップに参加したことから、
ずぶずぶと深みにはまってしまい、鑿も買い、かれこれ11枚、習作を彫り続けている。
初めて手にする鑿やかんな、生木の栗の板。とまどうことばかりであったけど、できたときの嬉しさ。
そしてもっと美しく彫れるようになりたいという思い。

そして何より、森口信一さんの真摯な想いに触れたことも大きいだろうか。
全国に我谷盆写しを彫っている作家はいるが、発祥の地の加賀、広くは石川に彫る人がいないことを森口先生は憂い、
片道3時間半かけて3年間、毎週末、個展などのない限り京都から教えにきていらっしゃるのだ。

先生に会ったことがある方はご存じだろう。
かつて患ったご病気の後遺症で少し右半身が不自由になられている。
そんな経験をされたことから「俺がやらねば誰がやる」と道具箱に文字を刻みつけ、
我谷盆を彫り続けて得た技術を、惜しみなく教えてくださっている。

ワークショップに数度通ううちに、ワークショップに来るくらいならアトリエへ来なさいと言われ、
今は廃村となっている風谷村(いい名前!)の古民家へも顔をだすようになった。
そこではお盆の彫り方や道具の扱いも習うが、我谷村に暮らしていた古老や山中の木工職人の方、アトリエに通い続けている方とも出逢えたりもできる貴重な場でもあった。

先生は「我谷盆バカでいいと思う」とあるテレビ番組で仰っていた。
私もいつかそういえる日が来るかはわからないけれども、周回遅れののんびりとではあるが、木に向い、精進していこう。




11枚目途中


4枚目のお盆。半年後、気に入らなくて彫りなおしている。

松の内もあけました。

2017-01-13 | 日々のこと。
松の内もとおにあけましたね。

途切れ途切れの更新にも関わらず、
このいい加減な文におつきあいありがとうございます。


今の職場に勤めはじめたのは2007年の4月。
今年で10年目になるのか、おぉっと自分ながら驚き。
この間に仕事内容は変わらないけど確実に増え、
毎日があっという間に終わっていくのです。

そして相変わらず骨董と二足のわらじで、
去年は夏から子猫騒動があっていっそ時間のたつのが早かったです。


春からの企画展も考えていますけどもなんだか億劫に感じていたら、
それを見透かすように金沢のクラフトを発信する機構から出品依頼。
先に出品した経験者からは「あそこは売れませんよ~」って
腰砕けのお話もお聴きましたが、
それで火が付いた。
しつらいも含めての商品をびしっと送る予定だけど。
うまく飾ってください。


未だ親が健康であることに感謝し、
今年も好きなものを見て、好きな人に会って、好きなもの食べて、
生きていこか~。















京ことばで語る源氏物語、良かったです(^^)

2016-12-28 | 日々のこと。
山下智子さんをお招きしての「京ことばで語る源氏物語」。
古くからの友人というより先輩のマスノさんからお声掛け頂き、
金沢、能登の2会場の運営をお手伝いさせていただきました。

100年前の京ことばで訳された源氏物語。
前段で物語のあらすじ、時代背景、風習などのお話。
そして語りに入る前に三昧琴というお皿上の楽器が静かに鳴らされ、
澄んだ響きが私たちを語りの世界へいざなっていきます。
錦の布に包まれた台本を掲げると、そこに先ほどの音色が光となって降りそそぎ
物語の登場人物が訪れたかのよう。
訪れ=音連れ。
それから語られた物語は、生き生きと目の前に物語の光景が浮かび上がってくるのでした。

語りのあいだのようすはありませんが、
語りの会のあと金沢会場で味わったお菓子とフライヤーで雰囲気をご想像ください(^^)






能登の語りの会場は「じんのびーとの家」です。「じんのび」は能登の方言でゆっくり、ゆったりという意味。
語りの会を企画したマスノさんが福島原発事故による子供たちの健康を憂い保養キャンプ*を考え、
その活動に共感を覚えたGさんが提供くださったお宅なのです。
 *ふくしま・かなざわキッズ交流キャンプ

大工さんだった先代が建てられた家は、能登の風雪に耐えるようがっしりとした造り。
柱や長押などには拭き漆もかけられ、まだまだ現役で活躍してくれそうな広くて立派なお宅でした。



能登の語りの会は二部構成。
第一部は金沢同様に山下さんの語りの会で、「若紫の巻」が語られました。
金沢語り会の「夕顔の巻」では、夕顔の死や鳥辺野でのさまざまな骸を見た源氏はすっかり穢れ=気枯れにふれ体調を崩します。若紫の巻では、体力がやや回復したのち、北山にあるお寺へ出かけ、そこで源氏は若紫と出会います。
山下さんの解説によると、北山で見かけた鹿や溌剌とした幼い若紫は自然や野生の象徴とのこと。
それを聞いて、なるほど~!夕顔の巻で気枯れた源氏は、若紫の巻で自然にふれ気を満たしたのかと合点がいきました。
源氏物語、とても面白い!!!

一部のあとは谷口製菓さんの「おだまき」で一服。
かつて中能登地方では苧麻栽培がさかんで近江に出荷されたり、それを用いて能登上布が織られていました。その苧麻を紡いで巻いたようすを模してある餅菓子がおだまきです。こし餡、ゆず餡、くるみ餡、緑茶風味、イチジク餡などなど。とても美味しかったです。

場が和んだあと、第二部はお聞きしていたかったのですが、途中で帰宅されるおばあちゃま*をご自宅近くまで送って行ったり、座談会後の夕食の準備に台所に立ったりで、殆どお聴きすることができませんでしたが、ちらちらとお聴きしたことを以下に。

パネラーのお一人高市さんは、今から20年ほど前に取材でお伺いしたことがありました。
能登でブルーベリーの栽培に最初に着手したのは高市さん。公務員を止め、「生業」をこの地に作りたいと思い自営業者に。国のパイロット事業で栗を植えることになった際、山野を削り栄養を取り払った土地で行ったために事業は失敗、それで荒れ地でもできる作物ということでブルーベリーを植えたのだそうです。
世界農業遺産なんてもらっても躍起になっているのは行政だけで何も変わっていないとか。今はまたヤーコンを栽培し新商品を販売。昔にお会いした時以上に熱い情熱をお持ちでした。

遠見さんと直接お会いするのは初めてでしたが、石巻の茅葺き屋根工事(有)熊谷産業さんから3.11のおりに石川県に一時避難される際にお世話をいただいたとお聞きしていました。北上川のヨシを賞状に漉く指導を毎年行っていたご縁だそう。そんなお話をお帰りに少しだけさせていただきました。







*余談
座談会が盛り上がって予定時間を超えてしまい、途中で帰りますというおばあちゃまお一人。
時計は5時を少し過ぎたころでしたが冬至前なうえ、雨が時おり降っていたため既に外は真っ暗闇でした。
じんのびーとの家は高台に建っていて、街灯のない坂道を下りていかねば県道にでることができません。
「足が都合悪いし傘をついてきたんや。こんなに遅くなるなら懐中電灯もってくればよかった」とおっしゃられるので、
お送りすることにしました。

おうちは近いのですかとお訊きすると、道の向いとおっしゃられる。
向いなら歩いていけばいいかと気軽に思い、腕を組んで二人並んで歩きながら坂道をおりていきました。
県道まででたところで、おうちは?ともう一度お訊きすると、あそこやと指を差される。
目をこらすと直線で300メートルほど離れた杉林の丘陵を背に寄り添う民家が数軒。
確かに向いだけど・・・思っていた以上の距離でした。

そして家はまっすぐ先に確かに見えるけれども、県道添いに川が流れ、
おばあちゃまの家にいくには、300メートルほど県道を歩いた先にある橋を渡らないとたどり付けないのでした。
県道も街灯がなく、暗い夜道を車がびゅんびゅんスピードを出して走り去ります。
「車も危ないけど川に浮かんように歩いていかんなん」とおばあちゃまがいうので(苦笑
さらにご一緒することにしました。

問わず語りでお話を聞いていると、現在は一人暮らし。冬になると関東で暮らすお子さんのお宅へいかれるのだそう。
「今年もクリスマスのあたりに行くんや。去年のお餅もまだ冷蔵庫にあるわ」
「私らは年金は少ないけど、野菜やらなんやら自分で食べる分は作れるから暮らしていけるの」等。

おばあちゃんを送っているつもりが「あんた、もういいから帰りなさい、ちゃんと帰られるか?」って心配されて(笑)
ちょっと良い時間をもらいました。

またじんのびーとの家に行きたいなあ。
そしておばあちゃまにもまた会いたいなあ。



大坂散歩。

2016-11-29 | 日々のこと。
過日、仕事で大阪へ行きました。

大阪のマンホール、水の都らしさもあり、可愛い!



そういえば大阪城にのぼったことがないと大阪城へ。
大河ドラマでまもなく炎上してしまう大阪城。
現在のものは、その後の徳川家によって建てられたものでもなく、
昭和に入って建築されたもの。
とはいえ、石垣の石組みの凄さだけで圧倒されました。
天守閣から見下ろす大阪の街も、紅葉の季節でとても美しかった。






半日フリーになり、
大阪市美術館で開催中の「壺中之展」へ。
開館80周年ということで寄贈者の方々も紹介されてあり、
文化に造詣の深い商業人が昔はたくさんいらしたなあとみておりました。
展覧自体、多岐にわたり、気が付けば3時間近く美術館のなかを歩き回り、
美術館という壷のなかで美に酔い痴れていました。
来月4日まで、おすすめですよ!



天王寺公園を抜け向かった先は安井神社。
真田丸主人公の、真田幸村が最期を遂げたという神社だそうで、
ミーハーと思いつつも行ってしまいました。
上町台地にたつ神社は敵の進軍も良く見えたことでしょう。
大阪城の落城を目にしつつ、あるいは故郷上田の地を想って旅立たれたか、
その場にいって感じること多々ありました。


最後は逢坂をのぼって四天王寺。
聖徳太子ゆかりのこのお寺にずっと行きたかったのでした。
この鳥居からは春分、秋分には太陽がまっすぐ沈むのをみることができるのだそう。
レイラインの地に建てられているんだね。
お庭も拝見したかったけれどもタイムアップ!


つかの間の大阪散歩。
読みかけになったままのアースダイバー大阪編を読まなくては!

耳管開放症。

2016-08-22 | 日々のこと。
ここ数ケ月、梅雨時や、雨が降る前、気圧が低下しだすと、
耳が詰まるような感じになって自分の声が頭のなかで響き、
会話や電話応対がとても苦でした。
飛行機に乗るとなるアレです。

調べてみると自分のは「耳管開放症」のようでした。

「 疲労・ストレス・無理なダイエットなどが原因で起こる。耳管の入り口付近が痩せることで耳管が開きっぱなしとなり耳に膜が張ったような閉塞感、自分の声や呼吸音が耳に響く(自声強調)などの症状が出ます。軽症の場合耳鼻咽喉科を受診しても聴力が正常なことが多いので気づかれないことも多く、診断の第一歩はまずこの疾患を疑うことと言われています。その他に、深く早く鼻呼吸すると鼓膜がペコペコ膨らんだりしぼんだりするのが観察される・耳抜き(Valsalva法)を行うと鼓膜が膨らんでも急速にしぼんでしまう・深いお辞儀を続けると耳管入り口周囲が鬱血することで耳管が閉じて、症状が軽くなるまたは消失する・などの特徴も診断に有用です。治療としては生活指導として痩せの予防・改善、長時間歩行・立ち仕事の回避、水分補給など、薬物療法(トランキライザー、漢方薬など)、耳管内処置(ベッツオルド末、ルゴール液の噴霧、生食水の点鼻)、鼓膜にテープ貼付などでコントロール可能です。難治例には耳管周囲への脂肪・アテロコラーゲン注入や耳管ピン挿入などの外科治療もありますが一般的ではありません。」

無理なダイエットをしたわけではないのですが(する気もない)、、
3月から7月にかけて体重が4キロ落ちて、自分でもあれ?まずいなあと思っていました。
原因は漆かぶれで夜眠れなかったことや、
フルタイムで仕事をしているのに加え夜遅くまで染めものをしたり、
企画展の準備など、負荷がかかっていたことでしょうか。

7月末に人間ドックもうけ、良性のポリープが食道いにあるなどのほかは、
特に異常もなく無罪放免。

そして8月は企画展もWSもなくのんびりり早寝もするようになり、
徐々に体重も増え始めました。
それで耳管の入り口も太ってきたのか、
以前よりは耳が詰まった利する状況は少なくなりました。

人間の体って思わぬところに影響がでるものだなあと今回思いました。
無理もほどほどに。自戒。

実は・・・

2016-07-12 | 日々のこと。
もうすぐ企画展。
3回続いた藍の生葉染め体験がおわって、
いつもなら、それ~と部屋を片付け商品をならべますが、
今回はなかなかはかどりません。

先週5日、だから今日でちょうど1週間になりますが、
実は親のいない子猫を庭で餌付け中。
ご近所に猫の保護活動を10年近く行っている方にお力添えいただき、
捕獲器も借りました。

豪雨の日に、にゃあにゃあと子猫が鳴いており、
翌朝セドをみたら盆栽棚の下に小さな白い塊をみつけたのです。
慌てて猫の食べられそうなものをと台所にいき、
あったのは「あごだし」。

もったいないけれども命には代えられないと細かくほぐし
セドに面したガラス戸を開けました。
すると音に驚いてぴょん!続けてぴょん!
なんと子猫は2匹もいたのでした。

出勤時間も迫り、とりあえずあごだしの入った皿をセドにだしたものの、
その日一日中頭のなかは子猫のことでいっぱい。
一度餌を食べたらまた来るだろうなあと想って餌を買い帰宅したら、
やはり庭にいました。

それから今日で1週間。
先日の日曜は終日家にいたので日中の子猫たちの様子もうかがえました。
セドはちょうど四方を囲まれて人も来ず、夏草ものびて身を隠したりするにはうってつけ。
子猫たちは草や虫にじゃれついたり、二匹で転がりまわったりして遊び、
それに疲れたら庭石の上でくっついてスースーねんね。

白い方の子猫は健康に問題なさそうなのだけど、
もう1匹サバトラの方は呼吸が浅く、異常がみられます。
早く捕獲して、医者につれていき、
それから人になつかせ里親探しに入れたらと思います。
(猫用ケージも購入済!)
2匹は生後3か月足らず、親猫がいなくて生きてこられたのは2匹いっしょだったからでしょう。
できれば2匹とも引き取ってくれる人が見つかるといいのですが。

こんなことをするのは、
以前集合住宅に暮らしていた時、
夜中に母親を探し鳴く子猫の声をきいた翌朝、
駐車場で子猫がはかなくなっていたから。
カラスにつつかれる寸前のところをひらい、
業者に引き取ってもらったのは苦い経験です。

迷子の子猫たちがうちのセドに避難したのも何かのご縁。
良い方向へ向かいますように。





旅の記録。

2016-05-26 | 日々のこと。
久しぶりに遠いところへ旅に出ました。
山陰を訪れるのは実は初めてです。
北陸の地形とは異なる風光や町並み、古代の歴史に思いをはせ、
旧交もあたためた時間。






岡山から中国山地を縦断し日本海へ抜ける伯備線。
沿線沿いには赤瓦の屋根にまじりトタン屋根の茅葺き民家がみられました。
ゆるやかに蛇行する梁川の流れ。美しい風光のなかに人の暮らしがありました。



出雲・出雲大社へ。











出雲市駅から一畑電鉄にのりかえて出雲大社へ。
60年の遷宮で葺き替えられた桧皮葺きの屋根が青空に映えていました。
写真にはありませんが、博物館で出雲の豪族とヤマト政権のぶつかりあった地の
古代ロマンも堪能しました。


石見・大森地区へ。












日本海を車窓にみながら出雲市から大田市へ移動。
そこからバスに乗り換えて憧れの石見銀山・群言堂へ行ってきました。
本社社屋にある茅葺き民家はお休みということもあり伺いませんでしたが、
石見銀山の本店だけでも十分に素敵で、居心地良く時間を過ごしました。
茅葺き民家は来年葺き替えるとのこと。山口から職人さんがくるそうです。
来年、そんな時季にまた伺えたらなあと思っています。


三木市吉川の竹岱亭さんへ。





染織家の浅井一甲さん、藤原一藍さんのアトリエに3年ぶりに訪問。
(1年半ほど前にお見舞いにはいきましたっけ)
お二人から心のこもったおもてなしを受けました。
外食続きだったでしょうからと、山法師の木陰での夕食と朝食。
夕食には松葉の炭火焼、エンドウ豆ごはん、エンドウと高野豆腐のたき合わせ、ぽたぽたの梅干しなど
蝋燭の明かりのもと頂きました。
食後にはよかたん温泉にも連れて行っていただき、
寒くないように心配りをいただいたお布団に、ゆっくり休むことができました。

鶯の谷渡りの声で目覚めた朝。
朝食には、一藍さんが丹精込めて育てている苺畑で苺摘み体験もさせていただきました(^^)
お二人には細やかなお心配りをいただき、
深く感謝いたします。


竹岱亭さんで鋭気をやしなった帰り道、途中下車して猛暑の京都へ降り立ちました。
これはまた後日、したためましょう。

学びの時間。

2016-05-16 | 日々のこと。
今年は自己流でやってきたことを、
プロに学ぼうという年にしようと思っています。

それで年初から金継ぎ教室に行き、
先日は盆栽屋さんに盆栽を習いにいきました。

本だけではわからないこと、
プロが数々の経験から体得した技を
お裾分けしていただく学びの時間。

知らないことを知る時間は、
楽しいです。



草木染め手拭いのこと。

2016-04-14 | 日々のこと。
今年は春の女神・佐保姫は駆け足。
何をそんなに急いでいるのかしら。
ソメイヨシノはやわらかな葉桜となり、今はしだれ桜が見ごろ。
暖かくなってようやく動きやすくなりました。

WSで染め遊びをしていた草木染め。
この春から金沢市湯涌の温泉街にあるギャラリー日暮らしさんで
取り扱っていただいています。
今のところ、カリヤス、ヨモギ、ビワで染めたものを納品させていただきました。




詳しくはこちら★

湯涌温泉や江戸村、夢二館にお寄りの際は、
日暮らしさんへもぜひお立ち寄りください。
作家ものの素敵なうつわが並んでいます。
毎週、金曜~日曜の週三日営業です。

ギャラリー日暮らし
金沢市湯涌町イ44-3
http://www3.spacelan.ne.jp/~higurashi/