9月23日(月)曇り時々晴れ
7時15分、市内にあるビジネスホテルを出発。
宿からでると、日光おろしの冷気なのか全国的にそうなのか、半袖では寒いくらいのすずしさ。
小山からまず6キロ先の新田宿へ。
両毛線の踏切を渡る。
やがて喜沢の追分から街道はJR,新幹線に沿った旧道となる。
ちなみに、ここから雀宮あたりまではずっとJRを遠く右に見て歩く感じ。
朝なので国4号(このあたりずっと4号は栗橋喜沢線という呼び名になっている)は車は少ないが、やはり歩くのはこういう旧道の土臭い道でなくては・・!
(それでも土地はかなり切り売りされて新しい住宅がずいぶん立ち並んでいる。)
↓ 喜沢の一里塚
喜沢の一里塚を越して旧道は4号に合流。いつのまにか新田宿に入ったのだが、本陣跡を見逃したらしい。
やがてドーイチと書かれた看板の工場の脇道を左に入る。殆ど何が書いてあるかわからない石仏群がある。しばらくすると新興住宅地のど真ん中。ここも旧街道であった。
旧街道が苔むして廃道となり、そこをまた開発して今やまた新しく舗装された古い道が復活する・・この道の消滅から復活がどの道を歩いていてもほんとにおもしろく感じられる。
道は人間によって作られる。ずっと歩いていればそこが道となる。
さて、このあたりで足のモモの部分が突っ張って足を踏み出すとちょっと痛い。
やはり久しぶりに歩くとこういうことになる。さらにこの何か月かは近場もあまり歩かず鍛錬不測のツケが回ってきたようだ。
なるべく小刻みに休憩をとるようにして旅を続ける。
↓ 新興住宅地の立ち並ぶ旧道。
新田宿の次は2、5キロ先の小金井の宿。
ここは、当時は国分寺もあり大きな宿場町であったらしい。
旧道から4号へ再び合流するあたりで小金井の一里塚にぶちあたる。
これはこの界隈でもっともみるべき遺構かもしれない。
一里塚の大榎が正しく道の両側にあり、当時をしのばせる。ただし、向かい合った塚のあいだにある道は今ではどこにもつながらない。こういう道の去就については実際にみてみないとわからないものである。
なんとなく風雅な感じの漂う小金井宿場町。
慈眼寺、金井神社、本陣跡、などを右にみて通り過ぎ、道の左奥の連行寺に寄る。
神社入口に座す布袋様、この笑い顔に励まされる。
小金井宿から石橋宿まで約7キロ。
旧道に入ると田圃や畑も多く非常にのどかである。
青空もみえてきて心地よい秋の景色の中を歩いていると旧道は突然藪に行く手を阻まられ4号へ合流。
けっこう疲れてきたが、↓ このような標識がみえると俄然力がわく。
ここからは工場群が続く。
左手の丸大ハムの工場にはなぜか大きな菩薩像。
青空はどこへやら灰色雲がたちこめてきて今にも降りそうな雲行き。
夕顔橋の石仏群を通り越し、石橋宿に入るとなかなか楽しげなマンホールが続いている。
ここはドイツのグリム兄弟の出身地シュタインブリュッケンと姉妹都市なのだそう。駅舎の前にもすてきな時計台がしつられてある。
ちょうど12時を過ぎていたので石橋駅の近くの食堂でミックスフライ定食を食べる。
ここのおかみさんにエールを送られて次の宿場、雀宮に向かう。
食べた後はなかなか歩きにくい。あまり遺構もないのでひたすら右足左足を交互に出している感じ。
宿場にはいつ入ったのか出たのかわからないまま左手に小さな星宮神社を通り過ぎ、
やがて、真正面に北関東自動車道がみえる!
JRの上を新幹線が入ってさらにその上にこの道路が走っているのにちょっとびっくり。
左に広大な自衛隊の宇都宮駐屯地が見える。
この雀宮あたりはちょうど日本橋から100キロの地点。
実は今日は、ここ雀宮から帰宅の予定であった。
しかしなぜか気力が落ちず、足の突っ張りもいつのまにか取れて来て、この分なら7キロ先の宇都宮まで行ける!とふんで旅を続行したのであった。
その代わりベンチがどこかにあったら必ず腰かけて休みを取ることとする。
寺社があると境内で休めるので一番楽なのだが、宇都宮に近づくにつれそういうものはなくなってバス亭のベンチはもちろん、仏壇やさんの前のベンチ、車のショールーム前のベンチ、普通のビルの石段の上。おかまいなく休憩。
通りはどんどん大きくなって、やがて日光街道は東京街道などという名称になってきた。
手元には雀宮までの地図しかなかったので宇都宮駅までの地理が不案内である。
近くを歩いていたおばさんに駅までの道をきいてみると、15分先のT字路に突き当たったら右折して20分ほどということ。
自動車の行き交う大通り(日光街道)をてくてく歩いていると追分のような三叉路に突き当たり
正面に不動堂。
それを通り過ぎて直進。しかしいつまでたってもそのT字路が出てこない。これがこの道中でいちばんショックなできごとであった。
あるはずのものがない、ということは気力も体力もいっぺんで消え失せる。
途中GSスタンドのお兄さんにも聞いてみたが、同じことを言う。
宇都宮宿。
日光街道と奥州街道との分岐点の宿場である。
街並みとしては宿場の趣があるのだが、はっきりした標識がないので断定できない。
もう限界に近づいてきたので適当にバスに乗って駅まで行こうということになる。
幸い日光街道の宇都宮宿には入っているので次回は同じ地点から始めればよい。
東武日光駅の前からバスに乗りJR宇都宮駅までものの10分。
乗り物ってほんとにありがたい!
UR駅周辺は大変な賑わい。
帰宅して調べたら、T字路に突き当たる前の不動尊の三叉路で右に折れればかなりのショートカットで駅に着けたらしい。
道を教えてくれたおばさんもお兄さんも、なぜT字路を目標にしたのかよくわからないが、きっといちばんわかりやすい道を教えてくれたのだろうと解釈することにしよう。
日光街道はここから4号から119号と名前を変える。なるべく間をおかないように次の旅立ちを予定しよう。
JR宇都宮から上野まで直行快速で約1時間半。殆ど暗くなった車窓に古河から歩いた道がときどき垣間見られるのであった。
本日の歩行距離:約30㎞。
日光まであと約35㎞。
R4は車がビュンビュン通るし、直線で先まで見通せるので歩いていると気が萎えてきますね。
あと2日間くらいで完歩ですね。楽しんできてください。
宿場の街道には必ず人が住んでいるから、いろいろ縁のある地名がでてきておもしろいね。
下古山一里塚(今はまったく痕跡なし)の交差点のあたりかな。
下古山には児山城などという古い城跡があったり、このあたりは昔は「祇園原」といって見渡す限りの森だったらしくてその名残が時々見られました。
そう、あと2日間くらいで終わらせないと日は短くなるし、雪が降るかもしれないし、来年になっちゃうし・・がんばるね(^^)v
教えてくれた人は東武宇都宮駅と間違えたのかも・・・。
ぜひ次回は一緒に歩きたいな![E:wink]
前にも書いたことがあるかもしれないけど岡本(この前は小山とまちがえたね^^;)には友達のお母さまの実家があって高校の頃一度いったことがあるのです。
そのときにわたしの中に初めて「森」という概念がはっきり形を持って現れました。あの光景はしっかり目に焼き付いています。
雀宮の前の宿場の石橋はグリムの出身地と姉妹都市だというのがなんとなくわかるような気がします。
JRの駅への道、たぶんわたしひとりなら不動前を右に折れたと思う(^^)
次は宇都宮から徳次郎まで歩いていったんバスで宇都宮に戻って一泊、翌日は徳次郎から今市まで歩こうかと予定しています。
大沢に旅館があるといちばん便利なんですけど、宇都宮から今市までは何もないので悩みの種です。
一緒に歩けるといいね☆