1月13日(月) 晴れ
8時30分に日本橋を発つ。
(中仙道は中山道の別名であるが、この道中記では「人の開いた道」という意味合いをもった「中仙道」と表記します。中仙道は京都まで約537㎞。六十九の宿場があります)
今日のルートです。
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中仙道は日本橋から中央通りをまっすぐ。今日はかなり寒いが朝のうちは風は弱いので助かる。
しかし東京駅・丸ノ内・日本橋の再開発に伴って高層ビル群の林立はまた拍車をかけたようだ。
ビル風は冷たく日陰が増えた。
休日でも賑やかな神田を過ぎ、湯島聖堂に沿って本郷、東大赤門正門前を通り過ぎやがて本郷追分。
街道を歩くたびに幾度も出会うこの「追分」・・この、わずか四文字の言葉の響きの中には地理的関係を示す点としての存在だけでなく、人々の旅道での出会いや別れの心情さえ含まれているような気がして、好きな言葉のひとつである。
さて、その追分、この酒屋が目印となってまっすぐ行けば岩槻に通じる日光御成街道。左に折れれば白山通り(中仙道)への分かれ道である。
左に折れて西片町を過ぎ、まもなく材木屋の角に「大円寺ほうろく地蔵」の案内板発見。
近づいてみると・・・。
向が丘高校の左にたたずむ寺でほうろくをかぶったお地蔵さまが立っていらっしゃる。
頭や脳の病にご利益があるとか・・。八百屋お七に関連あり。
今年の箱根駅伝優勝校、東洋大学の真新しいキャンパスの前を過ぎ
本郷台からずんずん下るような感じで広い白山通りに出る。
小腹がすきましたね、、通りに面した餅菓子屋さんで「焼き大福」(170円)を買いバス亭のベンチでパクつく。美味しい(^^)v
右手の路の奥に六義園の外壁と緑を見ながらやがて巣鴨。
とげぬき地蔵とおばあちゃんの原宿として一世を風靡した「巣鴨地蔵通り」に入る。
実は、この地蔵通りは現在の国道17号と別れる中仙道。
ここに来るとなんだか心が落ち着くのが不思議である。
世代的に近づいてきているにちがいない。
巣鴨の赤パン、いまだに健在!
とげぬき地蔵(高岩寺)はすごい混雑、一瞥して通り過ぎずんずん歩きます。
都電庚申塚の駅の踏切を渡るとまもなく、大正大学のモダンなサザエ堂。
さらに歩いて赤羽線の踏切。もう板橋である。
線路の向こうにみえる板橋の駅はなかなかに味わい深い。
板橋宿は日本橋を出て一番目の宿。
国道17号線の上には高速道路。今までの旧中仙道は一度ここで遮断され、渡ってから板橋宿の入り口となる。
板橋宿は、7年前くらい前にも一度訪れているが、その時とはかなりビルやマンションが増え通りの様子が変わっている。
道はなくならないから、急がなくても大丈夫、と街道歩きの際に言われたりするが、どっこい!道は無くなったり曲がったり遮られたり、人間様の思惑で変わってっ行くのである。
それでその変わったものも何十年か後には新しい歴史となって、後に生きる人の思い出になるのだろう。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず・・」・・なんて鴨長明さんは上手いことを言ったものです。
板橋宿は平尾宿、中宿、上宿の順につながっている。
11:50分。宿場通りの中華屋さんで昼食。担担麺650円。
街道歩きの昼食はだいたい日本蕎麦!と決めているが、この宿場殆どその蕎麦処が見当たらない。
宿場資料館のおじさんも、この数年で日本蕎麦屋はめっきり減ってしまった、と話してくれました。
今はコンクリートだが往時はこの「板橋」の名のもととなった石神井川にかかる板橋を渡る。
渡るとすぐに縁切り榎。人生の悲喜こもごもです。
板橋宿をあとにして、ここから荒川に架かる戸田橋までがだだっ広い国道を歩くかなり長い道のり。地下鉄三田線に沿うような感じで歩く。
志村の一里塚は立派。これだけ往時の場所に、正しく道の両側にちゃんと保存してあるのは稀である。
清水坂も道はきれいに整備されいる。
新河岸川を渡り、しばらくすると荒川。
ここは岩淵水門より上流であるから、放水路でなくまだ荒川が本流のままの姿で蛇行している。
(写真ではよくわからないが)上流には山々が美しいつらなりをみせている。
昔は「戸田の渡し」があって旅人は船で往来していた。なので橋の東京側の地名は今も
「舟渡」(ふなと)である。
現在はありがたく戸田橋を渡る。さいたま県である。
中仙道らしき道と国道17号を行ったり来たりしながらどんどん歩いて
14時30分。蕨の宿に到着。
ガソリンスタンドの前で国道17号と分かれ、宿場通りに入ってゆきます。
蕨は、昔の宿場町の風景を再現すべく、市も相当に力を入れているとみた。
資料館も充実しているらしいし、場所を推定して建てられた本陣の感じもなかなかいい感じ。
さて、そろそろおやつの時間。街道中の老舗のおせんべい屋「萬寿屋」さんで、くず餅(わらび餅に似ている^^)とおせんべいのセット。(370円)
お店のおばさんのあたたかいもてなしが嬉しい。
今日の予定ではこの蕨までだったが、宿場からJRの蕨駅までは1㎞もあるとおばさんに言われて思案し、このまま約5㎞先の浦和宿まで行ってしまおうと話が決まる。
もちろん蕨駅に行く方が近いのだが、次回来るときにまた駅からこの宿場に歩くのがもったいないし、まだ活力は残っているし、今の時季、日没までが少しづつ長くなってきているので、5Kmなら一時間チョイでつけるとふんだ。
↓ 蕨宿の道の端、排水口の落下防止板。「わ、ら、び、宿」と彫ってあります。
焼米坂を上り下り右に鳥居のない「調(つき)神社」で兎さんの絵を拝んでいきましょう。
ちょっと興味深い神社です。
なおも歩いてゆくと繁華街に入ってゆく感じで右手方向に浦和駅。ちょうど16時半であった。
帰りの電車の中で本日の歩程を振り返る。東海道、日光街道は殆どがJRは私鉄の線路に沿っていたのでわかりやすかったが、中仙道は必ずしもそうでないので車窓から暮れゆく外の景色をきても歩いてきた道を遡れないのが少しもどかしい感じであった。
本日の歩行距離:約25㎞。時間:約7時間(昼食、おやつを含む)。京都まであと513㎞。
なんてね。
とにかく、少し進化したのだね。 ふふふふふ
さっそく上に持ってきましたよ。
これにコメントや画像が入ったらなんだかブログ書く必要ないかもね(^^);;
私も、去年、2日ほど、一人で東京の街中を歩いてみて、「最新の物」と「古い物」が、案外「混在してる」状態なのには、驚きました。
「中山道」に関しても、こんなに「遺構」というか、記念のモノが残ってるんですね。(・o・;)
今後のレポも、楽しみにしてま~す。(^^)v
町は道はもう旧道の変わってしまったところだらけ。でもなんとか往時の雰囲気を再びよみがえらせようと、と自治体や民間ががんばっているのをみると、人間の力の大きさを感じます。
江戸時代の人がみたらきっと腰抜かしますね(^^)