5月4日(水) 晴れ時々曇り
7時。ホテル出発。
朝の知立駅を踏切からみるとかなり多くの路線がここから出ているのがよくわかる。
ホテルでは朝食はつかない。どこかで喫茶店にでも、と思ったが、今日は宮まで歩く予定としたので時間節約のため、国道①沿いのコンビニ・ローソンでパンを買い車止めに座って済ませる。
今川町あたりで国道①から左に入るとすぐに下のような説明板。
「ひもかわうどん」は実はこの地の「いもかわうどん」が発祥とのこと。
わたしが育った家庭ではぺったらこにつぶれたうどんを「ひもかわうどん」と呼んでいた。
高校生くらいになって「ひもかわうどん」が名古屋の「きしめん」と同じものであるらしいと知ったのだが、はっきり同一のものであるかは今もって謎である。(ネットで検索することにしよう)
この町もまたところどころに古い家が並んでいる。静岡を越える頃から西はけっこう昔の街並みが残されているようだ。
そして境川に架かる境橋を渡る。文字通り三河と尾張の境の橋。いよいよ名古屋も近い。
しばらく歩いて阿野の一里塚。現在は旅人が一息つける昔のままの一里塚は殆ど残されていないが、ここは、正しく道の両側にあり、それも当時のままの場所である。
道を歩いていると、面白い地名に出くわす。「前後」駅という名前。いったいどこの(何の)前後なのだろう?
知立から鳴海あたりまでは馬市場で賑わった場所。広重の絵にも馬市が描かれている。馬で名を馳せたところから来るのか中京競馬場前の駅もあり、その手前の名鉄のガードをくぐると左手に今川義元と織田信長の戦いの場である桶狭間古戦場跡がある。現在は小さな公園になっており、まわりは新しい建物が多く今川義元の首塚が往時をしのぶよすがとなっているにすぎない。
←古戦場公園手前の横断歩道前にはこんな宣伝幕が掲げられていた。
さて、ここから歩いてほどなく、今回もっとも印象に残った街並みの「有松」に着く。ここは知立と鳴海の間宿(あいのしゅく)である。名にしおう絞り染めの産地で有松絞りによって財を築いた商人たちの意気込みが今に伝わる宿場町。店のノレンも絞り染め。
質問。この有松の街並みの写真を見て何か、気付きませんか?
そう!電線がないのです!持ち歩いていた2008年版のガイドブックには、まだ電線があるし、道路が舗装されたばかりだったので、たぶんごく最近地中に電線は埋め込まれたのだと思う。電線が見えない街は埼玉県の川越もそうだが、なんと広々として制約がないのでしょうか!?
(道の端にみえるゴミ袋が生活を語ってまた良き哉^^)
そしてそして、この優美さえ感じる有松の街が途絶えるとすぐさま眼前に立ち塞がるのが、できたばかりの名古屋第2環状道路の橋げた!これにはたまげた。
う~む、この時代のギャップはどうだろう。
有松を出るとまもなく鳴海の宿。ここでは鳴海城の曲手(かねんて)と思われる曲がり角の和菓子屋さんで柏餅を食べた。
いよいよ鳴海から宮宿へ向かう。
おおきな天白橋を渡って旧道に入るとすぐに笠寺の一里塚。ここで一服。
なぜかこの笠寺観音境内だけは、人で賑わっていた。
11時半。名鉄の踏み切りの近くの喫茶店で昼食。残念ながらモーニングタイムを過ぎていたので名古屋式おまけ満載の食事ではなかったが、カレーライスを食べて再び歩きはじめる。(朝はコンビニのパンとお昼はカレーで本日の食事は節約ムード)
地名は本当におもしろい。↓「よびつぎ」と読む。
まもなく山崎橋。「北あつた」の標識があり、熱田神宮も間近という嬉しさでゾクゾクする。
しかし喜びもつかの間、橋を渡って前の道を行くか、左に曲がるかで迷う。
左の道を行く。(これは今もって間違いだったか正しかったか判然としない)歩いて行くと高速の下の空港通りというだだっぴろい道に出くわした。名古屋の道は広いので横断歩道があまりない。迷惑千万な歩道橋を越え、車のブンブン走る国道①沿いのGSのオニイサンに道を聞いたりしながら、ようやく熱田神宮の参道に出た~。
熱田神宮は東海道中ではないのでパス!神宮を右に見て、またまただだっ広い道に架かる超迷惑千万な歩道橋をうろうろと行ったり来たりしながら宮の渡しを目指す。国道247号線を迂回して南下。道の右側に「ひつまぶし」の元祖「蓬莱軒」にお客が長蛇の列をつくっているのを眺めながらようやく宮の渡し公園に到着!!!!
旧東海道の愛知県はここまでで終わる。昔、旅した人々はここから渡し船で桑名に渡った。
↓ 「宮のわたし」の常夜灯に寄りかかる「宮に着いたわ・た・し」
さて、再び熱田神宮方面へ引き返して名鉄で名古屋にいくのも疲れた。タクシーを奮発し一気に名古屋駅まで乗る。
14時47発のぞみで東京へ。
三河~尾張は、それまでとははっきり文化の違いが感じられて面白い旅であった。
本日の歩行距離、約17、5㎞。京都まで約144㎞。
おまけ。名古屋駅ホームのお弁当屋さん。やはり名古屋は「きしめん」である。
呼続は、私も面白いと思って、アップした記憶がありますが・・・。
東海道に面した所に、お茶屋さんがあって、お茶をいただき、東海道歩きの話をして、一緒に写真まで撮ったことを思い出しました。
熱田神宮は、帰りに立ち寄って、名鉄で名古屋に出たと思います。
私の東海道中は、寄り道だらけ、贅沢な旅でした。
これから、三重県ですね。
鈴鹿越えは難所と言われているけれど、たいしたことないですよ。
京都まで早く着きたいけれど、終わってしまうのは寂しい。。。
そんな感じではありませんか。
どうぞ楽しんで歩いてくださいね。
東海道中では珍しくカメラを持って歩いている人に何人か出合いましたよ。
何か文化(有松では絞染め)を持っている場所は強いよね。
電線は地中ではなく、それぞれの家の中に配線されているとか、どこかで聞きました。現代の技術をもって過去を再現するって大変な人間の力だと思う。
「呼続」・・ちょっと哀しさや切なささえ感じる地名ね。由来が知りたいものです。(あとでヒポちゃんのところを覗きにいってみるわ^^)
>鈴鹿越えは難所と言われているけれど、たいしたことないですよ
それを聞いて一安心[E:note]
今度の楽しみは関宿かな。
>京都まで早く着きたいけれど、終わってしまうのは寂しい。。。
そんな感じではありませんか。
そうそう、その通り!50代最後の記念の旅になればいいなと思っています。
なかなかええ座布団やったなあ。
もうすこしで京都やね。がんばってや。
比叡山の坂を越えるのかな。
あれは大変だよ。
遠くからだったけれど、駅は近代的で賑わっていた様子。
有松では、娘と義母に膝かけを買いました。有松絞りの座布団、もったいなくて座れない~^^;
大津からゴールの京都三条大橋までは西への道だから比叡山は通らないよ[E:scissors]。
あ、それは名鉄(名古屋鉄道)が本線と三河線が交差する主要な駅だからですよ。
>そう!電線がないのです!
いずれ歩くことになる石塾も同じ状態ですよ。あそこはもっとすごいので当時の街並み再現という感じで驚かれると思います。
>地名は本当におもしろい。↓「よびつぎ」>と読む。
俺があんまり乗ることのない名鉄の呼続駅辺りを歩かれたんですね。俺は、読み方に違和感を覚えなかったですが、言われてみればそうですね。
>古戦場公園手前の横断歩道前にはこん>な宣伝幕が掲げられていた。
そうですよ。桶狭間の戦いは、1560(永禄3)年に起きたので、昨年、即ち合戦後、2010(平成22)年は450周年になるんですよね。合戦マニアの人なら周辺の砦、城跡とか歩かれるんでしょうね。
>三河~尾張は、それまでとははっきり文>化の違いが感じられて面白い旅であっ
>た。
どんな違いを感じられたのでしょうか?
きっと地元民には分からない何かを感じられたのでしょうね。教えてもらえたら幸いです。
>「宮のわたし」の常夜灯に寄りかかる
>「宮に着いたわ・た・し」
やまびこさんに座布団一枚[E:sign03]
熱田のほうもだいぶ埋立てられて、常夜灯がある辺りは、だいぶ内陸部になっていますね。
もうちょっと堀川を北上すれば、かつての愛知県の高校野球の聖地(今では死語になりつつありますが)である熱田球場がありますよ。以前、夏の予選の決勝戦を観戦に行ったことがあり、その時は、メ~テレ(ABC朝日放送系)やNHKで放送されるので中継車とかも駆け付けますよ。
あ、そういえば以前、マラソン解説でおなじみの増田 明美さんと誰かさん?が東海道を旅する番組があって、有松絞が有名な有松付近は歩いていましたね。
では、またお邪魔します[E:sign02]
赤い電車がいつでも歩く道々寄り添って見えるので心強かったです(^^)v
>どんな違いを感じられたのでしょうか?
わたしはずいぶん前から愛知県あたり、特に名古屋は日本のヘソ、だと思っていました。
戦国時代の雄たちは、三河、尾張から出て各地に足跡を残した。遺構も多く復元され、その土地の誉れみたいなものを地元の方々が守ろうとしているのが窺えて、旅の気分に華を添えてくれるような感じがするのです。
(風雲児さんにゴマをすってるわけではありませんよ^^)
名古屋出身の作家、清水義範の大ファン
でもあります。
>やまびこさんに座布団一枚
ありがとうございます。これからもがんばります。
関宿は、中山道の奈良井宿みたいな感じかなあ。奈良井でも昔から続く民宿に泊まりましたが、あそこもなかなかいいですよ。
6月になったら桑名から続きを歩く予定です[E:shoe]
そうですね。愛知県を[E:train]で東西に横切ろうとするとJRor名鉄での移動になりますね。特に東海道を歩くということにでもなれば名鉄を利用するのは必然的なことです。
>戦国時代の雄たちは、三河、尾張から
>出て各地に足跡を残した。遺構も多く復>元され、その土地の誉れみたいなもの
>を地元の方々が守ろうとしているのが窺>えて、旅の気分に華を添えてくれるよう>な感じがするのです
なるほど。三英傑のことですね。名古屋城、清州城、犬山城、安祥城、岡崎城、吉田城…と織田・松平氏とかに関係する城(跡)とかは多いですからね。桶狭間の戦い以外にも小豆坂の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦い…と合戦も多かったですからね。それだけ跡地も多いってことです。
ところで名鉄の乗り換えとかはスムーズに行ったんでしょうか?池鯉鮒や宮を訪れる場合だったら特急が停まる知立駅や神宮前駅で降りればいいから問題なかったでしょうけど、御油~藤川は下調べしておかないと乗り間違える危険性が大ですからね。俺が少し忠告させてもらったので十分に調べられたんですかね?
あ、しまったぁ~。池鯉鮒宿の国道1号線沿いの藤田屋の大あんまきは食べられましたか?
近鉄の名古屋駅とかにも売ってはいますが、種類はお店のほうが圧倒的に多いですからね。紹介が遅れてしまったのが残念です。ベタな名古屋のお土産だときしめん、天むす、ういろう、ないろうになりますけどね。
旧東海道を「歩く」という旅なので、弥次さん北さんたちと同じようにテクテクと歩きに歩き、道中は全く乗りものには乗りません。
乗りものに乗ったのは、前回に歩き終えた地点まで行くための行き帰りの新幹線と前東海道本線だけでしたよ。宮から名古屋は道中ではないのでタクシーでしたけど^^。
藤田屋のあんまき、狙っていたのですが出発が早朝だったのでダメでした。
名古屋でお土産に買ったのは、「みそまん」というお饅頭でした。美味しかったですよ[E:scissors]