この連休に歩くのはあきらめていたのだけど、17~18日の天気予報では琵琶湖東側は小雨か曇天。これはチャンス!と思い立ち遅い出発で出かける。
この出遅れが仇となり、また18日によもや梅雨が明けてピーカンの晴天になるとはつゆ知らず・・。
7月17日(日) 曇り
東京駅発10:33発の「ひかり」で米原まで。
「のぞみ」は米原には停まらないし、停まる「ひかり」は1時間に2本だけなのでこの時点ですでに予定が押している。
米原で近江鉄道に乗り換え、高宮まで。近江鉄道も本数が少ないのでここでも30分ほどの待ち。
でもホームでぼんやり待っていると風が心地よい。
高宮に着き、歩きだしたのが14時少し前。
だいたい街道歩きの最後は体力精神力とも疲弊するので、街の景色をよく見ている余裕もないが、
出発時はいろいろなものが良く見える。
高宮駅を降りてすぐに流れる川(生活用水?)の美しいこと。
朽ち果てそうな古びた街並みはなかなか風情がある。
この歴史的な家々や店は新しく建て替わって何年か後、再び訪れたときは街の様子は一変しているのかもしれない。
今回の街道筋はそう感じさせるところが特に多かった。
提灯やさん。
まもなく
まもなく多賀大社の参道入り口。
近江路に入るとたくさんの寺社がひっきりなしに続く。
道すがらの和菓子屋さんで栗まんじゅを買い、「むちんばし」(昔、お金を払わず只で通れたその名の通りの無賃橋)を渡りつつ食べる。
空は曇ってはいるが、湿気がすごい。じっとりと汗。でもまあこのくらいなら御の字御の字(^^)
田圃がきれいに続く。松並木も途切れ途切れではあるが残っている。
そうそう!今回はまだ宿も取っていなかった、ということでガイドブックにある愛荘町の農林商工課に電話し
近くに宿があるかどうか聞いてみる。
次の愛知川に一軒だけ街道歩きでよく使われるビジネスホテルがあるとのこと。そこの電話番号を聞いて
かけてみると宿泊OKとのこと(^^)V
もしなかったら大きな町の近江八幡まで行って泊まるしかないかと思っていたから、ラッキーであった☆
豊郷町に入ってさらに湿度が上がってきた感じ。
伊藤忠の創始者、伊藤忠兵衛の屋敷跡。そういえば近江商人だった。
やがて歌詰橋。平将門っていったい首がいくつあったんじゃろ@^^;?かなり宇曾っぽい。
さてこのような鳥居が見えて来て愛知川の宿。
「愛知川」は「えちがわ」と読む。「愛」と云う字が入るとなぜか女性らしく小さく雅な感じを想像する。
昔は寺子屋。今、進学塾?。
昔は「恵智」と表記したのか、このあたり勉学の志厚い土地柄だったのかしら。
旧滋賀銀行。
この建物を写真に撮っていると、「寺子屋」さんのあたりからひとりのおじ(い)さんが手を振りながらこちらへやってきて
昔の街並みの様子を懐かしそうに話してくださる。
「この建物はもとは滋賀銀行で、それがあった頃、この宿場通りは通行人でいっぱい。かき分けるようにしないと向かいの店にも行かれんかった・・」と柔らかい近江弁でホントに懐かしそうに。
「この塀の向こうはバス亭で火事があった時に銀行に火が燃え移らないようにこんな頑丈な壁を作ったんです」と。
今は閑散とした通りだけど、おじさんの話や、休憩所のおばさんたちの丁寧な呼びかけや、道で遊んでいた小さな兄弟が「こんにちは!」と元気にあいさつしてくれるのも嬉しい。
愛知川宿を出ると国道8号に沿ってすぐに本日の宿、「近江屋」さんを発見。
17時15分に到着。
一見、ふつうの居酒屋さんなのだが、一泊2食付、ひとり6300円!お風呂は屋上露天風呂風!
琵琶湖産のアユが美味しかった☆
ちなみに、もし昨日来たら、愛知川の花火大会で大混雑で宿泊は無理だったかも、ということでした。
本日の歩行距離:約9.8㎞。(出発が遅かったので短かった。)
京都まであと、約60㎞!
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