清少納言の「枕草子」の冬の段。
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、・・ときて冬はどうするんだろう?と想像していると、
なんと「冬は早朝(つとめて)」と来る。
いやはや清少納言さま、おそれいりました。
いちばん寒い季節にいちばん寒い時間帯をもってくるとは。これこそ「いとをかし」の精神そのもの。
「雪の降りたるは、言ふべきにもあらず、
霜のいと白きも、また、さらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。」
今でこそ暖房器具があるものの、この時代は部屋を暖める器具は唯一、炭火。
昨日はお茶のお稽古、東京では53年ぶりの11月の雪でした。
雪の降る夕景を眺めながら、炉の中で燃え尽きる寸前の炭火の、真っ赤な色と匂いと音に心奪われ、
ぴーんと寒さの張りつめた今朝、この「冬は早朝」の一節が頭に浮かびました。
「白き灰がちになりてわろし」・・・なんとも言い当て妙でございます(^^)
彼女の才能がいかんなく発揮されたそうですね。
枕草子は、色も香りも音も、風や冷たい感触や肌触りなどが感じられますよね。
今とは違う感覚もありますが、基本的に五感は共感できます。
昔の小説も、あらすじは意外とシンプルなのに、
言葉と言葉の間からさまざまなものが匂い立つようで好きです。
しかし、冬は早朝(つとめて)・・・は、さすがと思いつつも
私は、ぴしゃりと閉めて生活しています。
無粋ですねぇ。
シンプルだからこそ受け取る方はかえってイマジネーションが膨らみますよね。
少納言の、ものを見る卓越した才能をかんじます。
情報は「核」の部分だけあればよい(^^)
昔はサッシはもちろん、ガラス戸もなかったわけですから(襖や障子はあったかなあ?)炭火ひとつでどうやって寒さをしのいでいたのだろうと思います・・。