S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

S2000 洗車 2009.9.26

2009年09月26日 | S2000 / 雑記
2009年 9月26日(土)
S2000を洗いました
洗い終わったと思ったら、突然の雨。
止んだかと思えば降り出して、降って来たと思えば止んでいる。。。その繰り返し。
関西の方では雨が降らなずに水不足と聞く。
環境破壊が知らない所で進んでいるのかな?


信州産?の虫の屍骸がたくさん付いていました
お寺もたくさん行って来たから成仏してるよね

S2000 ODO 111,228km

S2000 洗車 2008.05.03 
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遅れた御彼岸

2009年09月26日 | 雑記
2009年 9月26日(土)
今日は、お彼岸に祖父母のお墓参りに行けなかったので行って来ました。
手を合わせると心が癒されるというか和みますね。


墓前には祖父が大好きだった煙草を供えてきました。
一度決めたら最後までやり抜くという頑固な面を持っていたので、最後の最後まで吸っていたRockな人でした。
ボクは辞めて7年近く経ちますが、久しぶりに口にくわえて火を付けるとキモチ悪くなりました(笑)。

自分の書物好きは、この人からの遺伝でしょう。
生前は本当に色んな本を読んでいました。
頑固な知識人でした。


ここの若さま住職はロードスターを乗りまくるFunkyなお坊さんです。
オープンカーの醍醐味を知っているならば、ぜひS2000にも乗って頂きたいですね(笑)。


秋ですね。
来週からはもう10月に突入!
時の流れは早いモンです。


お墓参り
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いつの間に、こんな人気に!?

2009年09月25日 | 雑記
2009年9月25日7時57分配信 産経新聞より

「レモン牛乳」ブレイク!注文殺到!OL中心に人気!ヨーグルトも登場!(栃木)

栃木県民にとっては懐かしの味「レモン牛乳」が、全国から注目を集めている。
人気芸人「U字工事」がテレビやブログで紹介したのをきっかけに、
製造元の栃木乳業(大平町)には注文が殺到。
何ともいえない甘酸っぱさがOLを中心に人気を呼んでおり、
今月15日からは「関東・栃木レモンヨーグルト」も
登場したほどだ。

レモン牛乳は、牛乳に砂糖とレモン香料を加え、
甘酸っぱく仕上げた乳飲料。
レモン果汁は牛乳に入れると固まってしまうため、
実は入っていないという。

戦後間もなく、関東牛乳(宇都宮市)が「関東レモン牛乳」を開発し、
同市内などで販売していた。
ところが、平成16年に同社が廃業し、一時は製造中止に。
しかし、「懐かしい味を復活させたい」との声を受け、
栃木乳業が製造法を引き継ぎ、
パッケージのデザインもそのままに製造を再開した。

同社によると、先月は前年同月と比べて、
約1.5倍に当たる1日平均約5千~7千パックを出荷したほど。
工場が1つしかないため、製造が間に合わない状態だという。

今回新たに登場したヨーグルトは、
開発までに約半年をかけた自信作。
レモン牛乳に乳酸菌を加えて発酵させており、
レモン牛乳のイメージを崩さないよう、
やはりパッケージのデザインはそのままだ。

通勤客や学生でにぎわうコンビニ
「セブン-イレブン宇都宮馬場通り店」(宇都宮市馬場通り)では、
買い物客の一番届きやすい位置にヨーグルトを陳列。
同店では「とてもよく売れており、特にOLたちに人気が高いようだ」と話す。

栃木乳業は
「注文が殺到して驚いているが、
知名度の低かった栃木を多くの人に
知ってもらえるきっかけになれば」としている。


いつの間にこんな人気モノに(笑)。
恐るべし「レモン牛乳」!!
餃子の次はレモン牛乳か・・・。
頼むから二つの合体だけはしないでネ

いつの間に!?ブラウンGP!?
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2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」

2009年09月23日 | 周遊紀行 / 総括編
今回の行路。

2009年 9月20日(日)・・・赤色
(行き先)宇都宮市→山梨県甲州市→山梨県甲府市
(1)山梨県甲州市 2009年 ぶらり旅「甲州 / シャトー勝沼 編」
(2)山梨県甲州市 2009年 ぶらり旅「甲州 / 恵林寺 編」
(3)山梨県甲府市 2009年 ぶらり旅「甲州 / ほうとうを食す 編」
・S2000 走行距離 313.3km
・S2000 ODO 110,650km


2009年 9月21日(月)・・・青色
(行き先)山梨県甲府市→長野県松本市→長野県長野市
(1)山梨県甲府市 2009年 ぶらり旅「甲州 / 武田神社 編」
(2)長野県松本市 2009年 ぶらり旅「信州 / 美味しいカレーが食べたい 編」
(3)長野県松本市 2009年 ぶらり旅「信州 / 松本城 編」
・S2000 走行距離 200.6km
・S2000 ODO 110,850km


2009年 9月22日(火)・・・黄色
(行き先)長野県長野市→宇都宮市
(1)長野県長野市 2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 編」
(2)長野県長野市 2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 南側参道 編」
(3)長野県長野市 2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県信濃美術館・東山魁夷館 編」
(4)長野県長野市 2009年 ぶらり旅「信州 / すき亭 編」
(5)長野県小布施町 2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県小布施町 葛飾北斎肉筆画美術館 編」
(6)長野県小布施町 2009年 ぶらり旅「信州 / 小布施の街を散歩 編」
(7)長野県長野市 2009年 ぶらり旅「信州 / 川中島古戦場 編」
・S2000 走行距離 316.3km
・S2000 ODO 111,170km


3日間 S2000 走行距離 合計 830.2km

2009年9月22日 長野県長野市小田島町 川中島古戦場駐車場にて(iPhoneで撮影)





作家、伊集院静 氏の言葉。
著書『旅行鞄のガラクタ』より抜粋。
「旅をする生き物は人間しかいないんです。
旅は日常から解放された時間と出会うことでもある。
そこで初めて発見できる何物かがある。
思い出に残る楽しい旅をするにはどうしたらいいかと問われると、僕は“五感で受け取る旅がいい”と答えています。
自分の目、耳、鼻、口、肌で感じ取る。
もうひとつ、いい旅をしたいのなら、“行くならどこがいいだろうか”と、毎日5分でもいいから考えることです。
そうしたら、必ずいい旅先に出会えるようになります。」







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S2000 走行距離111,111km到達

2009年09月22日 | S2000 / Mileage
2009年 9月22日(火)
長野県からの帰り道、上信越道(群馬県内)の渋滞中に111,000km到達。


同じく帰り道、東北自動車道を北上し宇都宮市を目指して走っている途中(西方町付近)で
ついに111,111kmに到達しました!


S2000 11万km到達!
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2009年 ぶらり旅「信州 / 川中島古戦場 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
川中島古戦場です。
言わずと知れた「川中島」。
あの「川中島」です。
とうとう「川中島」に足を踏み入れることができました。
今では八幡原史跡公園として神社や資料館が建っていて広い敷地の公園になっています。


八幡社境内。


武田信玄(左)と上杉謙信(右)一騎討像。




三太刀七太刀跡の石碑。


確か・・・
「合戦の悔しさのあまりに武田軍の武将が槍で着いた穴」との説明書きが書いてあった様な・・・(汗)。
向こう側が見えています。
大きな石が貫通しています(驚)。


大きな供養塔が建てられていました。
高坂弾正忠(高坂 昌信)が敵味方を分け隔て無く約6,000人の戦死者を手厚く葬って建てたらしいです。
この行動に感動した謙信公が御礼を兼ねて武田側へ塩を送ったみたいです。
戦国時代に味方の戦死者を葬ることはともかくとして敵兵まで・・・
そんな事をしたら即刻、裏切り者と呼ばわれて自分の命まで危うくなるでしょう。
そんな部下の勝手な振る舞いに目をつぶった信玄公の器の大きさ。
高坂弾正忠の勇気ある仁義な行動きっかけとなって「敵に塩を送る」という言葉が出来たと言っても過言ではないでしょうね。

弾正忠の「人を想う心」
謙信公の「相手を想う心」
信玄公の「部下を想う心」

「礼儀」には「礼儀」を尽くす。
そんな心使いが出来る様な人間で在りたいと心から願いました。

川中島古戦場
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2009年 ぶらり旅「信州 / 小布施の街を散歩 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
「北斎館」を見学した後に小布施の街並を散歩しました。

店舗のカベにまで北斎の作品が書かれています。

角度を変えて見ると、違った印象がしますね!


「和紙の中條」
素朴で温かい和紙の工芸品が売られていました。
地場産業の手漉き内山和紙の障子紙を中心に和紙工芸品が並ぶお店です。
長野県上高井郡小布施町854-30
TEL.026-247-5196


「栗の木テラス」
栗菓子の老舗だそうです。
桜井甘精堂が経営する自家製ケーキが揃う紅茶専門店。
モンブランが名物。
お店はかなり混んでいました。
お茶をするのも、お土産を買うのも長蛇の列。
そしてそのほとんどが(全部がって言っていい位)女性客です。
女性のケーキに対する情熱は凄いですね(汗)。
ちなみに男性客(お父さん達)は、店の外に置いてあるベンチで放心状態(笑)。
皆様お疲れのご様子でした。
ボクもその中に居ました(笑)。
長野県上高井郡小布施中町784
TEL.026-247-5848


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2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県小布施町 葛飾北斎肉筆画美術館 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
長野県小布施町にある「葛飾北斎肉筆画美術館(北斎館)」へ行ってきました。
晩年の北斎が4年間を過ごした信州小布施にある博物館です。


詳しい説明は小布施町のホームページより抜粋しました。
以下。
「日本唯一の北斎の肉筆画を展示 。
当地小布施は、みずから「画狂人」と号した天才絵師葛飾北斎(1760年~1849年)が、
その晩年に長く逗留し、画業の集大成をはかった特別な場所です。
なぜ北斎の集大成ともいうべき作品が、小布施にあるのか。
その謎は、江戸天保の時代まで遡ります。
小布施出身の高井鴻山という商人が、江戸に遊学していた時のこと、
当時、浮世絵師として人気を集めていた葛飾北斎と知り合うのです。
その数年後、旅のついでとでもいった様子で、
北斎がふらりと小布施の鴻山を訪ねてきました。
実に北斎83歳の秋のこと。
以後、北斎は都合4回小布施を訪れ、鴻山の援助を受けながら、
肉筆画に全力を注いでいくのです。
北斎館は昭和51年(1976年)11月に開館し、
北斎が小布施滞在中に描いた掛け軸や額装、
屏風などの肉筆画40余点のほか、別館には2台の祭屋台を常設展示して、
北斎の画業を広くご観覧いただけることになりました。

春朗(しゅんろう)
宗理(そうり)
北斎(ほくさい)
載斗(たいと
為一(いいつ)
卍(まんじ)
と、画号をかえ、ひとつところに滞在することなく、
次々と新しい画域を切り拓き、
嘉永2年(1849年)4月18日、北斎は90歳をもって没しました。

みずから肩書して画狂人、不染居・・・等々。
森羅万象尽くして描かざるはなきかの北斎画業を、とくとご覧ください。 」


天才の息吹が感じられる位の迫力があり、
そして繊細すぎる位にまで繊細な作品がたくさん展示されていました。
風情のある日本画を見れて、心が洗われた気がします。
楽しかったです。


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2009年 ぶらり旅「信州 / すき亭 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
お昼を食べに、善光寺を後にして「すき亭 本店」へ向かいました。
このお店は「りんごで育てた信州牛」のすき焼きが評判です。


信州牛のすき焼きです。
美味しかったです。絶品!
ごちそうさまでした。


敷地内には、かつて渋温泉大湯だった見事な木造建築が移築されていました。


すき亭 本店
〒380-0872
長野県長野市字妻科112-1
TEL.026-234-1123
毎週月曜日定休
ホームページ http://www.sukitei.com/

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2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県信濃美術館・東山魁夷館 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)

東山魁夷(ひがしやまかいい) (1908―99)
日本画家。
明治41年7月8日横浜に生まれる。
(本名)新吉。
1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、
33年から35年までドイツに留学。
47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。
50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で
56年に日本芸術院賞を受ける。
65年には日本芸術院会員、日展理事となり、
69年に文化勲章を受章。
74年に日展理事長となった。
この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、
68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成させ、
翌年毎日芸術大賞を受ける。
また73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、
81年にこれを完成させた。
87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。
90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。
文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。
平成11年5月6日死去。
[執筆者:二階堂充]- Yahoo!百科事典より抜粋


善光寺のすぐ隣にある「長野県信濃美術館・東山魁夷館」へ行ってきました。


そこには美しい青の世界が待っていました。
透き通った青色と引き込まれそうな深い緑色がとても印象に残りました。
青色は冷たいイメージや涼しいイメージが一般的ですが、
東山魁夷 氏の青色は見ていると、なぜか暖かくて、どこか懐かしさを感じさせてくれる優しい青色でした。

「自然は心の鏡」

信濃路の自然を愛した風景画家の言葉が感動の余韻をさらに響かせます。

若かりし頃に信州で触れた心の温かさを、ずっと忘れずにいた東山氏の心の優しさが
自然と作品に移入されているからこそ、作品を見た人に優しい青色が伝わるのでしょうネ。

素晴らしい作品に出会えると心が豊かになれます。

東山氏から「優しさ」を頂けた気がしました。

今日は、昨日よりも優しくなれるかな?







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2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 南側参道 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
善光寺の南側参道には両側に沢山のお店が並んでいます。
沢山の観光客が溢れて全部のお店を見て回れなかったけど、美味しいお土産を買うことができました。



「長野風月堂」(注/風は虫でなく百)
明治19年、門前通に開業した老舗菓子店。
銘菓として知られるのが、信州の杏を羊かんに練り込み、求肥で巻き込んだ「玉だれ杏」。
すべて手作りでこの店でしか味わうことが出来ない。
故 池波正太郎 氏も愛した和菓子。
長野県長野市大門町510番地
TEL.026-232-2068


おやきの「いづみや」
優しいオバチャン達が店頭で焼きたてを包んでくれる。
人の温かさが隠し味!



「たきや」の 信州銘菓きなこもちも絶品!
きなこの香りとほのかな甘みが漂って美味しい!
この銘菓もこのお店でしか売っていない。


「根元 八幡屋磯五郎(こんげん やわたやいそごろう)」で名物の七味唐辛子を購入。
江戸中期、初代勘右衛門が善光寺境内で七味とうがらしを売り出した事に始まり、
現在では、善光寺参りの代表的なお土産にまで成長したとのこと。
長野市大門町83番地
TEL.026-232-3966


その他、とうふソフトクリームにチャレンジしてみました!
後味が豆腐でした。


参道から脇道を抜けると・・・
お釈迦様も休憩中(笑)。


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2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月22日(火)
「遠くとも一度は詣れ善光寺」
「牛に引かれて善光寺参り」



善光寺です。
今年、2009年(平成21年)は御開帳でした。
4/5~5/31の間には6年前の四善光寺に加え、
岐阜市の岐阜善光寺、関市の関善光寺を加えた史上初の六善光寺同時開帳となり、
過去最高の673万人が訪れたそうです。
正式名は、善光寺前立本尊御開帳。
7年に1度(開帳の年を1年目と数えるため、実際には6年に1度の丑年と未年)、
秘仏の本尊の代りである「前立本尊」が開帳されます。
狙うは7年後(6年後)です!!

朝8時には宿を出て、8時20分頃に到着しました。
近くの有料駐車場にもすぐに停められました。
善光寺を訪れるには朝早くに出掛けた方がスムーズに事が進みますね。
それでも広くて見学する場所はたくさん有ります。
次回は一日かけてゆっくりと時を過ごすのも良いかもしれません。
今回はキンモクセイの香りが漂う中、見て回り楽しみました。

善光寺を見学中に、善光寺の職員の方に教えて頂いたのですが、
「善光寺」は約1,400年前に善光(よしみつ)サンという一般の普通の方が建てたお寺だから
「善光寺」と言うそうです。


こんな可愛い仏様も参道にいらっしゃいます。


大本願。
浄土宗一山の本坊です。
内部には本誓殿(本堂)・光明閣・明照殿・奥書院・宝物館などがあります。
尼公上人のおすまいにふさわしい静けさと気品にあふれています。
昭和24年には貞明皇后さまがお泊まりになられました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)


大勧進。
天台宗一山の本坊です。
内部には万善堂(本堂)・無量寿殿・不動堂・聖天堂・紫雲閣・宝物館などがあります。
室町時代の様式を伝える庭園の中には行在所があり、明治・大正・今上天皇がお泊まりになられました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)


仁王門。
大正7年(1918)再建。
大門町から境内にはいって最初の門です。
高さは13.6メートルあり、昭和52年銅板ぶき屋根に修復されました。
定額山の額は伏見貞愛(さだなる)親王のお筆になります。
仁王像は高村光雲・米原雲海の作で、千仏守護の仏といわれております。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)

仁王像。
 

山門。
二層の入母屋(いりもや)造りです。
屋根は檜皮(ひわだーひのきの皮)ぶきで、高さ20メートル。
善光寺の額は輪王寺宮公遵(こうじゅん)法親王のお筆になるものです。
寛延3年(1750)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)
拝観料(500円)を支払って門の二階へ入れて頂きました。
大きな部屋になっていて、大きな仏像と四国八十八箇所のお寺の名前と小さな仏像が飾られてありました。

鳩が居ます。
二階部分から間近で見ると感激します!
感激のあまり写真を撮ろうとしてはいけません(笑)。


経蔵。
四つ棟の宝形造りで、内部には一切経(鉄眼版)を納めた輪蔵があり、
伝教・慈覚大師の木像が安置されている。
輪蔵の腕木を押して一回転させると、中の一切経全てを読んだと同じ功徳(くどく)が
得られると言われている。
宝歴9年(1759)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)

輪廻塔。
経蔵前に設けた一対の石柱で「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。
石柱の中央にはめ込まれた輪廻車を回すと極楽往生できると言われています。
いくら極楽往生できると言われても回し過ぎはいけません(笑)。


本堂。
入母屋(いりおもや)造りで、横棟の内陣と縦長の礼堂が丁字形になっていて、善光寺独特の建築様式です。
江戸中期の仏殿建築の代表的な傑作です。
高さは30メートル。建坪は1,766平方メートルで日本最大を誇っています。
宝永4年(1707)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)
本堂の中、内々陣の右側を通って奥へ進むと「お戒壇(かいだん)めぐり」の入り口があります。
お戒壇めぐりは、御本尊の安置される瑠璃壇(るりだん)下の真っ暗な回廊を通り、
中程に懸かる「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏の御本尊と結縁する道場です。
右手で腰の高さの壁を伝って暗闇を進んで行きます。
暗闇は「死の世界」の疑似体験で、出口から出た時に差し込む光によって「光のありがたさ」を感じられるのです。




忠霊殿。
戊辰の役から太平洋戦争に至る戦役将兵をおまつりします。
前面三重の塔様式の礼拝堂と三階建ての霊牌堂からなり、高さ42.5メートル。
関野聖雲作の一光三尊如来像が安置されています。
昭和45年(1970)改築落慶しました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)




「善子(よしこ)さん」と「光子(みつこ)さん」
乳牛親子像。
樹脂で作られた乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像です。
「牛にひかれて善光寺参り」に登場する雄牛とは異なりますが、
微笑ましい姿で広く親しまれています。
善光寺のホームページより)


善光寺
2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 松本城 編」

2009年09月21日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月21日(月)
松本城です。


黒門。
本丸に入る正門です。本丸防衛の要です。


本丸が見えて来ました。下には本丸入場の順番待ちの長蛇の列がありました(汗)。
離れて見る本丸の立たずまいは、美しかったです。
ここまで来た苦労も吹き飛ぶくらいに美しいものでした。


本丸は戦う為の要塞の色合いが強く出ていました。
華やかというよりは剛健というイメージ。
人がゆっくりと出来るスペースも少なく、はしごの様な急な傾斜の階段があったりして、
そのために展示スペースも少なく、連隣している資料館に展示されていました。
福島県会津若松市にある鶴ヶ城の方が広く感じました。




数々の火縄銃が展示されていました。
同じ日本で作られた銃でも場所によってデザインも性能も変わったそうです。
薩摩藩の銃は銃身が短く重厚なイメージで、仙台藩は薩摩藩とは逆に銃身が長くスリムなイメージ。
薩摩隼人の島津と、伊達男の伊達。
火縄銃にまでその生き様というか心意気というか、作り手の魂が乗り移っているようで面白かったです。
右の写真は拳銃型の火縄銃。
坂本龍馬も持っていたのと似ているリボルバー式の拳銃も展示されていました。


天守閣最上階から見た景色は眺めが素晴らしかったです。


松本城はお堀の外から見るのが一番ですね!
本当に美しい!


松本市ホームページ「松本城の案内」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 美味しいカレーが食べたい 編」

2009年09月21日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月21日(月)
武田神社のある山梨県甲府市を後にして。長野県松本市に向かいました。
目指すは「国宝 松本城」です。

甲府市から中央自動車道に乗り、諏訪湖の横を通り抜けて長野自動車道を北上して松本市に入りました。
連休中ともあって松本市内は色んなナンバープレートの車が溢れて大渋滞でした。
何とかお昼を過ぎた頃に市営駐車場に停められました。
お城を見る前に腹ごしらえです。

松本城のすぐ近くにある「ナワテ通り」に行きました。
露天から始まったという女鳥羽川沿いの商店街には小さなお店がひしめき、
おいしい香りにつられた多くの人で賑わっていました。
風情のある商店街で歩いているだけでも楽しいですね。


商店街の中心では「カエル大明神」が鎮座されていました。


商店街からすぐ近くにある蔵造りのカレー専門店「デリー」で昼食です。
同行人が食べようとしていたカニコロッケカレーを奪い(笑)ボクが注文をし、
同行人は半強制的にチキンインドカレーに代えてもらいました。
理由は簡単・・・メニューの中でカニコロッケカレーが一番辛くないから(笑)。
コクのあるカレーで美味しかったです!
アツアツのカニコロッケも最高でした!
ごちそうさまでした。
「デリー」
長野県松本市中央2-4-13
TEL.0263-35-2408


辛い物を食べたら甘い物を食べて中和?しよう!と言う事で(笑)、商店街に戻ってたい焼きを購入。
「たい焼き ふるさと」
鋳物の焼き型を使った昔ながらの「一本焼き」のたい焼き。一本150円。
外はパリッと香ばしく、中はあんこの他にウィンナーがありました。
行列も出来ていて、中々の人気店らしいです。
美味しかったです。
ごちそうさまでした。


2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「甲州 / 武田神社 編」

2009年09月21日 | 周遊紀行 / 甲信越
2009年 9月21日(月)
甲府市にある武田神社へ行って来ました。
武田神社は武田家の躑躅ヶ崎館跡にある神社です。
周囲の道端には武将の屋敷跡の立て札も立ってありました。
お堀も張り巡らされてして館というよりも平城のような感じがしました。

この躑躅ヶ崎館(跡)が堅固な城だったら、
もしかしたら歴史が変わっていたのかも知れませんね。
武田勝頼は織田軍を返り討ちにしていたかも知れません。
信玄堤を作った信玄公、築城術に通じた山本勘助が
知恵を出し合えば難攻不落の城を建てられるのは分かりきったことですが、
そんなお城を持たなかった信玄公だからこそ家臣団の心を掴み
結束力を高め、あれほどの甲州軍団を作ることが出来たのでしょう。

「武田信玄」と「城」。
二つの言葉を並べると・・・
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。
(どれだけ城を堅固にしても、人の心が離れてしまったら世を治めることはできない。
情けは人をつなぎとめ、結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びる)」という
信玄公の名言が思い浮かびます。






甲陽武能殿。


名水・姫の井戸。
竹筒に耳を澄ますと、何とも風流な音色が聞こえました。


武田神社宝物殿にも行きました。
(信玄公の銅像のみ写真撮影が可能でした)

そして、何と!ここにも武田家の孫子の旗
「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山
(その疾(はや)きこと風の如く、
その徐(しず)かなること林の如く、
侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、
動かざること山の如し)」が展示されていました。

旗がホチキスで止められて、額縁が斜めに展示されていて・・・
ちょっとショックを受けました(涙)。
真っ直ぐに立て直してやろうか!と思い周囲を見渡すと天井に当たりそうでした。
昨日、恵林寺で見た旗よりも少し小さくてかなり古ぼけていましたので、
どちらが信玄公の本陣で使用された旗なのか?と考えながらよ~く見ていたら
同行人が「こっちの方が古そうだから本物じゃない?」って、まさか!!(笑)。
・・・だとしたら昨日、目の前で初めて旗を見て心の底から感動したボクの思いは・・・(泣)。






武田神社の裏側には大きな山々が連なります。
信玄公もこの景色を見ていたと思って眺めていると感慨深いものがありました。


武田神社

2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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