S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

S2000 燃費 2009.12

2009年12月31日 | S2000 / Mileage
2009年12月10日(木)給油
・走行距離  313.5km
・数量    44.22L
・燃費    7.08km/L
・価格    @127円
・ODO    112,933km

2009年12月20日(日)給油
・走行距離  77.9km
・数量    13.98L
・燃費    5.57km/L
・価格    @127円
・ODO    113,011km

2009年12月29日(火)給油
・走行距離  165.6km
・数量    25.64L
・燃費    6.45km/L
・価格    @127円
・ODO    113,207km

S2000 燃費 2008.11&12
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S2000 ODO:113,478km/2009.12.31

2009年12月31日 | S2000 / Mileage
2009年12月31日(木)
大晦日。
今年も終わろうとしている
以前読んだ書籍の中に、むかしの江戸っ子は「七味五悦三会」(しちみごえつさんえ)を考えながら年を越したと書いてあった。
「七味五悦三会」とは今年1年、7つの美味しかったもの、5つの楽しかったこと、3人の素敵な人に会えたかな?って考えること。

2009年は色んな事があった。
仕事では有りすぎる位?
ここ数年が「勝負」の年になりそうだ!頑張らなきゃ
来年は`違う’展望が開ける様に・・・(笑)意味深

S2000は今年は走行距離が少ない気がした。
昨年の12月31日の走行距離が104,561kmだったから
2009年は8,917kmの走行。
目安の「1年間で1万km」は走ってなかったんだね。
思いつきで(笑)信州方面へ出掛けてみたり、
気まぐれに(笑)東北地方へ出掛けてみたりしては同行人を困らせて
でも楽しい旅が出来たからイイよね
7つ以上の美味しかった食べ物にも出会えたし
5つ以上の楽しかった事もあった
そろそろメンテナンスも視野に入れながら
ハチャメチャ!?な自動車生活を楽しもう

出会いと言えば・・・
個人的にはiPhoneとiMacとの出会いが大きかった。
教えてくれた友人に感謝
自分の右腕となって仕事にプライベートにと活躍してくれる
このアイテムは2010年も手放せない

2010年も充実した一年が過ごせます様に
「七味五悦三会」になっていない

S2000 2008.12.31
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夢の続きは・・・

2009年12月30日 | 雑記
2009年12月30日(水)
後輩と食事に行きました。
お互い忙しくて久々の会食になりましたが、充実なひと時を過ごせました。

昨今の時代の混沌とした流れは、法律家をも巻き込んでいるらしいが
改正に次ぐ改正や、悪法!?の制定は危機的状況かも知れないけれども
捉えようによってはチャンスにもなる!
上京して都会の荒波に揉まれて成長したキミの姿を楽しみにしている!
頑張れ!!

君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く
正岡子規

真夏の夜の夢 2009
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2009年 S2000ぶらり旅「あんこう鍋を求めて」

2009年12月29日 | 周遊紀行 / 関東
2009年12月29日(火)
あんこう鍋を食べて来ました。
行った先は「海鮮処 森田 大洗店」です。
都内や埼玉県ナンバーの車も駐車場に停まっていて、人気のあるお店でした。


あんこう鍋です。
このお店の鍋は味噌仕立てではなく醤油ベースでした。
あん肝がスープに練り込んであるわけではなく、固形のまま大きいあん肝が入っていました。
最後はうどんを入れて頂きました。美味しかったです。

あんこう鍋(一人分)1,890円
うどん(一人分)150円
お寿司 2,400円
おこぜの唐揚げ 940円
生しらす 200円
どれもみんな美味しかったです。ごちそうさまでした。

食後に大丸屋へ行って、ほしいもを買って
ジェラートを頂きました。
美味しかったです。ごちそうさまでした。

株式会社 森田水産
海鮮処 森田 大洗店
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町5612
TEL029(264)6550

S2000本日走行距離 219.4km
S2000 ODO 113,423km

2008年ぶらり旅「あんこう鍋を求めて」
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2010年のF1は・・・

2009年12月27日 | 雑記
久しぶりに面白くなって来たね

一時は FOTA vs FIA のバトルが泥沼化してたけど

冬のストーブリーグの行方を見ていると

来年は久しぶりに面白くなりそうだ

シューマッハも復活するし

小林可夢偉選手も無事にシートを確保できたし

来年は鈴鹿でF1を見たいナ

ミハエル・シューマッハ復帰!
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S2000 ODO:113,185km/2009.12.26

2009年12月26日 | 雑記

今年も残り5日。
忙しさに追われて休日出勤
これで来週の仕事が少し余裕を持って取りかかれるかな?

今年は、何が残せたのだろう?
「後悔しないように」と言い聞かせて年初から走り抜けて来たけど
毎年この時期になると、残せたモノは実績や経験とかではなく
まだまだ全力を出し切れなかった様な虚しさを感じてしまう。

2010年のNHK大河ドラマは坂本龍馬の物語。
33歳の壮絶な人生を歩んだ。
自分の33年間は・・・と思うと比較するのも失礼すぎる位に情けない
来年はドラマも見て
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」も読んであやかろうかな?
もっと、もっと「熱く!」生きれる様に。

帰り道
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Book / PRESIDENT 2009.12.14号

2009年12月25日 | 雑記
PRESIDENT 2009.12.14号を買いました。1冊で二度楽しめる中身の濃い特集が載っていました。

特集1番目は「心の雲が晴れる!司馬遼太郎と幕末・明治の人物学。答えは「日本人」の中にある」です。ページの大半が司馬遼太郎氏と作品について書かれています。高校生の頃に何気に手にした司馬作品。初めて出会った司馬遼太郎の世界に引き込まれてむさぼる様に読んでは感動していたが、今思うとまだまだ浅い所で読んでいたのかも知れない。今年になって「坂の上の雲」を読んでいるがあの頃とは違う感動が胸を打つ。少しだけ!?大人になれたせいか(笑)、作者の問いかけにも少しずつ分かるようになった気がする。

特集2番目に「新・企業参謀の条件~竹中半兵衛、黒田官兵衛、児玉源太郎・・・頼りになるナンバー2に学ぶ」として参謀の条件というものが載っている。作家で経済評論家の江坂彰氏が書かれている特集。個人としては納得いく箇所が沢山あって読んでいてとても面白い特集でした。

プレジデント社「PRESIDENT 2009.12.14号」750円

坂の上の雲(一)&(二)
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Happy Xmas 2009

2009年12月24日 | 雑記
So this is christmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun

So this is christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young

And so this is christmas
For weak and for strong
For rich and for poor ones
The road is so long

And so happy christmas
Anda happy new year
Lets hope it's a good one
Without any fear

War is over
If you want it
War is over now

So this is christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Lets all stop the fight

So happy christmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun

And so happy christmas
And a happy new year
Lets hope it a good one
Without any fear

War is over
If you want it
War is over now

War is over
If you want it
War is over now

War is over
If you want it
War is over now

War is over
If you want it
War is over now

John Lennon「Happy Xmas (war Is Over)」

Happy Xmas 2008
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2009年 S2000ぶらり旅「花火の祭典~Lover's Xmas HANABI~ツインリンクもてぎ」

2009年12月23日 | 周遊紀行 / 栃木
2009年12月23日(水)
「花火の祭典~Lover's Xmas HANABI~ツインリンクもてぎ」へ行ってきました。
食事付きのVIP席が取れたので駐車場も入場ゲートから近い場所に停めることができました。
こんな近くに駐車できたのが初めてだったので、それだけでも嬉しかったです


入室する際にクッキーを頂きました。
食事も美味しかったです。ごちそうさまでした。


茂木の夜空は真っ暗で星がキレイに見えました
そんな夜空に打ち上げた7,000発の花火はとてもキレイでした


帽子、マスク、マフラー、コート・・・と寒さ対策を施した姿は見られたくないけど
また機会があったら観に行きたいネ
レース以外のツインリンク茂木もなかなか面白かったです
S2000本日走行距離 110.4km
S2000 ODO 113,152km

INDY JAPAN 2009 決勝
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HSV-010 GT

2009年12月22日 | 雑記
2020年のHONDAがSUPER GTへ参戦する車両が決まったみたい。

「HSV-010 GT」って最新の携帯電話の機種名みたいだね

速いのかな?

近未来的なデザインが速そうに見える

2010年は何回、観戦に行けるかな?

今から楽しみ

Honda Racing

SUPER GT 2008SERIES Round5 SUGO
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Book / 坂の上の雲(五)&(六)

2009年12月21日 | 雑記
坂の上の雲の五巻と六巻を購入しました。

日露戦争の旅順要塞攻撃戦が佳境の場面。

言葉には表せないほどの惨劇が続く陸軍の戦い。

読んでいると生唾を飲んでしまう位に惨い。

日本陸軍きっての作戦家「陸軍大将・満州軍総参謀長 児玉源太郎」の奮闘ぶりを五巻の前半が描く。

戦火に散って行く陸軍兵士たちと同郷の乃木将軍を思う熱い心と

形勢逆転を生んだ冷静かつ緻密な作戦をはじき出す頭脳の思考回路。

参謀としての役割が書かれている。

この作品が、多くの企業経営者たちから愛された作品の理由が分かる様な気がする。

それにしても「明治人」の熱い思いというか、パワーには読んでいて圧倒される。

坂の上の雲(三)&(四)
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iTunesから1クリック/TOMOYASU HOTEI 「MODERN TIMES ROCK'N'ROLL」

2009年12月19日 | 雑記
2009年12月19日(土)
今月23日に発売される布袋寅泰氏の「MODERN TIMES ROCK'N'ROLL」をiTunesで先行予約を済ませました。歌詞カードが見れないのはすごく残念だけど、iTunesだけの特典として1曲がプラスされる

試聴で少し聴いたけど、最新のギターサウンドでかき鳴らした「BORN TO BE WILD」にホーンセッションを絡めて21世紀バージョン!?にしたり、「ジョニーBグッド」などの往年のROCKナンバーのぶっ壊しっぷりが面白いやっぱりカバーするならばココまで原曲を破壊しないと面白くないよネ!だってただ歌うでけのカバーじゃカラオケと変わらないモンね。一度、破壊して再度、構築する。破壊の先の、向こう側に「進化」が存在している。もちろん一音入魂の精神は忘れない!それが原曲を歌ったアーティストへの最大のリスペクトになる。そうとは知ってか知らずか、バカな頭を売り物にしてる芸能人が出したカラオケ風アルバムが今年は売れたみたいだけど買う人の気が知れないのはボクだけ?

早くダウンロードされないかな

TOMOYASU HOTEI 「GUITARHYTHM V 」
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「道は前方のみ」

2009年12月18日 | 雑記
昔、池宮彰一郎氏の書いた島津義弘を中心にして描かれた小説を読んで、島津義弘という戦国武将の生き様には心を討たれた。「あらにす」というインターネット上の記事に歴史家・作家の加来耕三氏が関ヶ原での「島津の捨てかまり」について書かれていたのをたまたま見つけたのでメモ書きにして保存しておこう・・・自分の気持ちを奮い立たせるために。決めた以上はもう前に進むしか道は無い。歩を進めよう。・・・と言っても玉砕覚悟の突撃じゃないけど

「捨てかまり」とは、部隊の左右に死を覚悟した兵を並ばせて、鉄砲を撃たせ続け、弾がなくなれば突撃させる。これを繰り返して時間かせぎをする間に本隊が敵陣を走り抜けながら戦場を脱出するという捨て身の戦法。


以下、抜粋。
 「今こそ経営者は島津義弘に学ぶべし - 加来耕三 - 」
 『孫子』の兵法に、「之(こ)れを亡地(ぼうち)に投じて……」という
 くだりがある。
 つづく文節は「然(しか)る後に存し」。
 つまり、自軍をもう亡びるしかない、という窮地に投げ込んで、
 はじめて軍のいのちを全うする働きが生まれる、との意になる。

 同じようないいまわしに、
 「之れを死地(しち)に陥(おとしい)れて、然る後に生(い)く」と
 いうのもあった。
 死ぬよりほかに道のない局面に追い詰められて、
 はじめて生き残る働きが生まれる、
 いわゆる、“死中に活”の理(ことわり)だが、
 その意味を正しく理解している人が少ないのではないか、と
 常々、思ってきた。

 筆者の管見(かんけん)だから、大してあてにはならないが、
 もし、関ヶ原の戦いで西軍に参加した島津義弘ならば、
 「“死中に活”は生易しいものではない」と、歯噛みせんばかりに、
 緊張するに違いない。
 義弘はわずか千五百の兵をもって、関ヶ原に孤立してしまった。
 まさに、「亡地」「死地」であったといってよい。

 彼にも、いい分はあった。
 去る天正十五年(一五八七)五月、豊臣秀吉の九州征伐に、
 自軍の不利を悟った島津氏は途中、降参した。
 秀吉は、ときの当主義久に薩摩国を、その弟・義弘に大隅国と
 日向国諸県郡を安堵してくれる。
 この処置に感激した島津氏は、豊臣大名となって朝鮮出兵に参加。
 泗川(しせん)の戦いでは、明と朝鮮あわせて二十万の軍勢を、
 わずか一万足らずで迎撃し、その武名を天下に轟かせもした。
 十数万の日本軍が、無事に祖国へ帰りつけたのも、島津勢の勇戦、
 それを指揮した義弘の、沈着豪胆な采配によるところが大きかった。

 にもかかわらず、帰国後の島津家は、財政の悪化が原因で、
 文禄四年(一五九五)に隠居した兄・義久と、弟の義弘の間に確執を
 生じてしまう。
 関ヶ原の一年前、慶長四年(一五九九)三月、義弘の子で
 島津氏の家督を継いだ家久(忠恒)が、支族であり
 筆頭家老でもあった伊集院忠棟を斬り殺す事件が勃発した。
 この事件の処理に忙殺され、中央の情報不足もあって、
 慶長五年四月に、再度上方に登った義弘は、東軍と西軍の中で
 翻弄される。

 当初、徳川家康率いる東軍に味方すべく、伏見城に入城を決めていた義弘は、
 これを留守居役の徳川の部将・鳥居元忠に拒絶されてしまう。
 拒まれた以上、島津勢は西軍につくしかなかったが、
 その西軍の義弘に対する扱いは、実に腹立たしいものであった。

 夜襲を進言して無視され、関ヶ原の前哨戦ともいうべき岐阜城攻防戦、
 この戦いと並行して進められた、渡合(どあい)の渡しでの戦いでは、
 島津の分派三百人が敵中に捨て石にされてしまう。
 幸い、全滅する前に大垣城に収容することができたが、
 義弘にとっては西軍の、事実上の総大将たる石田三成の、
 許せぬ仕打ちと映ったに違いない。

 賢明な義弘には、その理由が痛いほどよくわかっていた。
 上方における島津の兵力が、千五百しかなかったからである。
 どのように要請しても、国許からは増兵が来なかった。

 もともと再度上方へ来たおり、つき従っていたのは二百人ほどでしかなく、
 残りの兵たちは、島津家の「上方に登るのはまかりならぬ」との
 財政上の制止を振り切り、義弘を救うべく、三三五五、
 国を抜け出した“ぼっけもん”たちであった。

 もし今、五千の兵力が義弘の手中にあれば、
 関ヶ原での彼の扱われ方は、大きく変わったに相違ない。

 しかし、天下分け目の戦いで千五百しかもたない義弘は、
 一面、単独では動くに動けなかった。兵力をギリギリまで温存し、
 勝利のための、最後の一押しにこれらを用いる。
 それ以外、戦術的な用兵は考えられなかった。
 ところが、会戦の当日、勝ちかけていた西軍は、
 小早川秀秋の裏切りにより、戦局は一変した。

 さて、どうするか。
 すでに敗戦と決した中で、わずか千五百。
 すでに、三百まで減少していた。
 島津勢にできることは限られていた。
 義弘は瞬時に、決断する。
 このわずか三百の兵をもって前進し、家康の本陣前を横切り、
 伊勢街道に出て、堺へ向かい、国許へ戻る、というのである。

 さすがの島津将兵も、一瞬、顔色を変えた。
 前方には敵があふれている。
 そこへ突っ込んで逃走するというのは、明らかに自殺行為に思われた。
 後方の近江へ退却してはいかがですか、との具申もなされたが、
 義弘はこれを撥(は)ねつける。

 「道は前方のみ」
 なぜ、この無謀な決断に、彼はこだわったのか。
 それは、このあと予想される、家康の島津征伐を念頭に置いたからだ。
 できれば天下人となる家康を躊躇(ちゅうちょ)させ、
 戦わずに外交でけりをつけたい。
 そのためには、ここで島津の恐ろしさを今一度、
 徹底して知らしめておく必要があった。

 わずか三百となった島津兵が、鬼羅刹と化して戦い、
 ここで死ねば、国許にはいまだ五万の侍を擁する島津家である。
 さしもの家康とて、無闇(むやみ)には討ちかかって来まい。
 これが、義弘の“死中に活”であった。

 島津勢は関ヶ原を横断した。
 東軍の大勢を相手に、
 彼らは「島津の胡座陣(こざじん)」=決死の殿軍(しんがり)を決行。
 徳川方では、家康の第四子・松平忠吉と
 徳川四天王の一・井伊直政が負傷(これが原因でその後、病没)。

 ついに家康は、追撃中止を命じた。
 帰国できた島津勢は、わずかに八十数名でしかなかった。
 が、戦後、西軍についた毛利氏の所領が大きく削られたのに比べ、
 島津家は自領を手付かずに保持することに成功する。

 悲運の名将・島津義弘は、
 元和五年(一六一九)七月二十一日、この世を去った。享年八十五。
 彼の敵中突破の決断=死中に活は、その後も薩摩藩の中に語り継がれ、
 明治維新の起爆剤となった、と評価されている。

 日本の中堅企業・零細企業の経営者たちよ、顔を上げ、前へ進め。


本能寺
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2009年 ぶらり旅「東京 2009.12.17編」

2009年12月17日 | 周遊紀行 / 東京
2009年12月17日(木)
今日は朝から東京出張でした。
東京駅に着いた頃に、ちょうど通勤ラッシュと同じ時間帯で混んでいました。

そんな構内で見つけた大きな看板が・・・


「幸せって、何だっけ?」

それを見つけるために
我武者羅に突っ走っているのかも知れません。

好きな人と出掛ける楽しいひと時

友人との食事と会話を楽しむ有意義な時間

S2000のステアリングを握ってドライブしている時

心を震わせてくれる素晴らしい音楽や小説、映画に出会えた喜び

そんな「温かい小さなhappy」を集めて行くと「幸せ」に繋がるのかな?
そんな事を考えながら足早に東京駅を後にしました。

今回も慌ただしい出張になってしまいました。
「ぶらり旅」じゃなくなってきてる
本当は、都内で奮闘している友人と一緒に息抜きしようと
期間限定のBarに行こうと企んで(笑)いたのですが・・・
たまにはこんなBarもイイでしょう?
またの機会にしましょう

打ち合わせも無事に終えることが出来て
国会議事堂の真裏を急ぎいで・・・。

色んなニュースが流れていて、不安が募るばかりですが
民主党が何をしてももう驚かないだろうなぁ~。
「自民党よりは少しはマシ」と自分に言い聞かせて(笑)
見守ることにしましょう
敷地内にある伊藤博文の像も泣いてるだろうね。。。

東京駅に戻り、GOODTIMES CHINA店で急いでお昼を食べて・・・

頂いたのは「牛肉あんかけ炒飯」。
安くて量も多くて旨かったです。ごちそうさまでした。

新幹線に飛び乗って宇都宮に戻りました

2009年 ぶらり旅「東京 2009.11.10編」
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S2000 ODO:113,000km/2009.12.16

2009年12月16日 | 雑記
2009年12月16日(水)
寒いが続いています。


S2000の走行距離が113,000kmになりました。



S2000 ODO 100,777km
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