2010年10月22日(金)
今日の宇都宮市は、明日に開催されるジャパンカップ一色
朝から明日出場する選手達が通りを自転車で走っていました。
でもボクの頭の中はTRMで行われる「SGT最終戦」でいっぱい
自転車の大会は片山右京氏も参戦するらしい。
見たいけど明日は茂木に行かなくちゃ
(毎日新聞より)
「片山右京さん 自転車ロードレースで再起へ」
富士登山中の遭難事故で昨年、同行スタッフを亡くした元F1ドライバー、片山右京さん(47)が23、24の両日、宇都宮市で開かれる自転車国際ロードレース大会「ジャパンカップ」に初出場する。事故後、「自分はひどい人間」と自責の念にかられ苦悩の日々が続いたが、仲間に支えられ再起を決意。「自分の中で途絶えていたものを改めてスタートさせる形で、一歩一歩動き出したい」と話している。
攻撃的なドライビングから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた片山さんは引退後、登山家としても活動していた。トレーニングの一環として、自転車ロードレースに出場。08年に宇都宮市を拠点に発足したプロチーム「宇都宮ブリッツェン」のメンタルアドバイザーを務めてきた。
今年のジャパンカップにはもともと選手として出場するつもりだったが、訓練の一環の富士登山で昨年12月、経営する会社の社員2人を亡くしたことがきっかけで出場を断念。失意のまま自宅に引きこもる日々が数カ月続いた。
そんな時、支えになってくれたのがブリッツェンの仲間だった。誘われてチームの練習に参加。徐々に活動を再開していく中、広瀬佳正主将から出場の打診を受けた。事故で亡くなった2人を思い最初はちゅうちょしたが、9月上旬、遭難現場に1人で登ってみて、「みんながくれた大きなチャンス。前に進もう」と思った。
ジャパンカップは、世界トップクラスの選手が集まるアジア最高峰の大会。片山さんはチームの4人とともに、市街地に設定された周回コースを走る「クリテリウム」(23日午後3時半スタート)と呼ばれるレースに出場する。「みんなから頑張ること、生きること、戦うことを教わった。チームのために全精力をかけて燃え尽きたい」。熱い思いを胸にペダルをこぐ。
「カミカゼ・ウキョウ」と言えば・・・
懐かしい記事を発見
「草レーサーに夢を与えた片山右京、F1を引退」
(1997年10月17日/毎日新聞/夕刊)
F1ミナルディ・チームの片山右京選手(34)が、シリーズ第16戦・日本GPの初日(10日)に記者会見を開き、最終戦(欧州GP=26日決勝)を最後に6年間にわたるF1生活に終止符を打つことを明らかにした。
あまりに突然の引退発表だった。M・シューマッハー、ビルヌーブらと出席したGP恒例の木曜懇談会では、ジョークを連発、引退のそぶりなど全くなかった。それが翌日のフリー走行終了後、「1時間後に右京の引退会見を開く」とのチームリリースがプレスルームに届けられ、一同あぜん。
記者会見で、片山選手は「世の中には潮時というものがある。そろそろ後進に道を譲るべきだと思った」と引退の動機を語ったものの、その一方で「自分自身、体力やドライビングは全く衰えていないと思うし、モチベーションが切れたわけでもない」と、揺れる心を吐露。「いつ辞めると決めたのか」との質問に「ほんの5分前までは、まだ走れると信じてた」と漏らす一幕もあった。
34歳というのは、中嶋悟さんがF1にデビューした年齢である。高校時代、陸上部で駅伝選手だった片山選手は、世界を転戦しながらもトレーニングを欠かさず、心肺機能は現役F1ドライバーの中でもトップクラス。モンブランやマッターホルンに登るほどの体力の持ち主なのだ。それだけに、早すぎる決断に対しては、「スポンサーとの交渉が直前でまとまらなかったのでは」とか「(プロストチームの)シートを失う中野信治選手を救うために、自ら身を引いたのでは」などと、さまざまな観測をする関係者もいる。
6年間のF1生活のうち、2年目から4年間をティレル・ヤマハで走った。ヤマハF1プロジェクトリーダーの木村隆昭さんは「表彰台にぜひとも立たせてあげたかった。事実、勝ってもおかしくない時期があったし、我々の力が及ばず、すまないという気持ちがある」と無念の表情を見せた。片山選手が一番「乗れて」いたのはティレル・ヤマハ2年目の1994年。ブラジル、サンマリノの両GPで5位に入賞したが、惜しかったのは予選5位のドイツGP。3位走行中にスロットルトラブルに見舞われ、リタイア。「エンジンの故障さえなければ表彰台は確実だったし、そのてっぺんさえも狙えたはず」と木村さんは残念がる。
中嶋悟さんが日本人ドライバーにF1への門戸を開き、鈴木亜久里さんは日本人で初めて3位表彰台に上がった。先輩2人が確固たる足跡を残しているだけに、片山選手自身、じくじたる思いはあるだろう。
しかし、深いブレーキポイントから度胸よくコーナーに飛び込むドライビングは、我々ファンの心を確実につかんでいた。幼少時からカートに親しみ、フォーミュラレースへとステップする若者が増える中、片山選手は高校卒業後、アルバイトをしながら富士スピードウェイに乗用車を持ち込み、レースを始めた「苦労人」。フォーミュラレースの入門カテゴリー、FJ1600を始めた時は、鈴鹿サーキットに野宿、食事も取らずにがんばった。こうした片山選手の存在は、多くの草レーサーたちに「オレだって、努力すればいつかは……」という夢と希望を与え続けてきたと思う。
F1からは引退するが、「まだモータースポーツを愛しているし、いまだにレースで自分を磨きたいという気持ちはある」と片山選手は熱っぽく語る。99年にはトヨタから米・インディカーのCARTシリーズに参戦する計画も進められていると聞く。「度胸勝負」のオーバルコースは、片山選手向きともいえる。今度はアメリカン・モータースポーツで「カミカゼ」を吹かせてほしい。
アイルトン・セナが旅立ったのは34歳。
中島悟氏のF1デビューも34歳。
片山右京氏のF1引退も34歳。
比較してはいけないけど
34歳という歳月の流れを
「彼らと同様に熱く生きているか?」
自分自身に問いかけてみた。
アイルトン・セナ ~音速の彼方へ