S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

S2000 燃費 2010.09&10

2010年10月31日 | S2000 / Mileage
2010年 9月 3日(金)給油
・走行距離  154.6km
・数量    24.92L
・燃費    6.20km/L
・価格    @136円
・ODO    120,150km

2010年 9月11日(土)給油
・走行距離   49.6km
・数量    10.90L
・燃費     4.55km/L
・価格    @136円
・ODO    120,205km

2010年 9月12日(日)給油
・走行距離   426.7km
・数量    36.51L
・燃費    11.68km/L
・価格    @136円
・ODO    120,632km

2010年 9月18日(土)給油
・走行距離  163.4km
・数量    21.76L
・燃費    7.50km/L
・価格     @136円
・ODO    120,795km

2010年 9月29日(水)給油
・走行距離  253.8km
・数量    31.32L
・燃費    8.10km/L
・価格     @136円
・ODO    121,049km

2010年10月20日(水)給油
・走行距離  197.9km
・数量    29.32L
・燃費     6.74km/L
・価格    @139円
・ODO    121,247km

2010年10月27日(水)給油
・走行距離  293.7km
・数量    34.93L
・燃費     8.40km/L
・価格    @137円
・ODO    121,541km

S2000 燃費 2009.09
コメント

DVD「SUPER GT 2007」&「特別編 GT-R復活」

2010年10月31日 | 雑記
2010年10月30日(土)
先週のツインリンクもてぎで購入した(ワゴンセールの)DVDの
「SUPER GT 2007SERIES Round5 SUGO」と
「SUPER GT 2008 特別編 GT-R復活」を
ようやく見ることが出来ました。

「SUPER GT 2007SERIES Round5 SUGO」は
雨のSUGOで2台のNSXとSC430の3台並んでホームストレートを
駆け抜けて1コーナーに向かって行く迫力あるシーンが見所

「SUPER GT 2008 特別編 GT-R復活」は
2008年からSGTにカムバックしたR35 GT-Rの特集

どちらも見応えがあって面白いDVDでした

DVD「SUPER GT 2009 MOTEGI GT250KM RACE」
コメント

S2000 ナンバー変更

2010年10月27日 | S2000 / 雑記
2010年10月27日(水)
S2000の車検証の内容を変更する箇所があったので
ついでにナンバーも交換しました
人生初の希望ナンバー
この「数字」がラッキーナンバーとなってくれるのか?
それとも・・・

これから長い付き合いになるからヨロシク

S2000 走行距離121,536km
ナンバープレートに願いを・・・
コメント

2010年 ぶらり旅「東京 2010.10.26編」

2010年10月26日 | 周遊紀行 / 関東地方
2010年10月26日(火)
四ッ谷のホテルニューオータニへ行きましたが
周りは目上の方ばかりでしたので
流石に写真は撮れませんでした
堅苦しい仕事を終えたら
今度は地下鉄に飛び乗って汐留へ

着いたのは15時を回っていましたが
お昼を食べる時間がなかったので
有機野菜を使った健康的な中華丼を頂きながら
打ち合わせ
本日、2ラウンド目の打ち合わせの内容が
「奇蹟」のような話だったので
お味も忘れてしまいました
また次回、連れて行って下さい(笑)。

「信じて願えば叶う」とよく耳にしますが
人のつながりは無限の可能性が秘めていることを実感
話を聞いているだけで
鳥肌が立ち、武者震いがしました。

そして自分の無力さも痛感

自分が居るステージよりも
もっと上のステージで
自分を磨いて行きたいと
率直に思いました。

食事の後は、天気予報の生中継を見てから
宇都宮に戻りました。

2010年 ぶらり旅「東京 2010.8.3編」
コメント

2010年 ぶらり旅「鬼怒川温泉 2010.10.25編 」

2010年10月25日 | 周遊紀行 / 栃木
2010年10月25日(月)
仕事で鬼怒川、川治方面へ出掛けてきました。
紅葉を見るにはまだ早いですね。
今度は「遊び」で来たいネ。

半年ぶりに会った
取引先の番犬が
ボクのことを覚えてくれていた
大自然の中で
毎日、犬と散歩していたら
運動不足も解消するかな
将来は田舎に住もうか?

2009年 ぶらり旅「鬼怒川温泉 編」
コメント

SUPER GT 2010SERIES Round8 最終戦 MOTEGI 決勝

2010年10月24日 | レース観戦記
2010年10月24日(日)
「2010 AUTOBACS SUPER GT 最終戦 MOTEGI GT250km RACE」の決勝です。

久しぶりにピットウォークも参加してみました。
最終戦ということもあって沢山の人が参加されたみたいです。
移動が大変でした


weider HSV-010のピットの前を歩いていたら
ロイック選手のサイン会が始まって
あっという間に人波に揉まれて
気が付いたら、目の前に本人が居ました(笑)。
急いでバックから同行人が買ったオフィシャルを
勝手に開いてサインを貰いました
その後に同行人は小暮選手からも
サインを貰っていました。
この日、唯一サインを貰ったのが
2010年のチャンピオンチーム
weider HSV-010がチャンピオンを獲るということは
まだこの時点では知る由もありませんでした。
(昨日の予選を見るとENEOS SC430が勝ちそうと
思っていましたから

MOTUL AUTECH GT-R のピットの前を歩いていたら
エンジンに火を入れていました。
ボクはメカに弱く
動画の取り方も良く分からないので(笑)、
同行人に撮ってもらいました
SUPER GT 8 MOTEGI (2010/10/24 PITWALK)


決勝レースは誰もがweider HSV-010と
ENEOS SC430のガチンコ勝負と思っていたでしょうが
ENEOS SC430のまさかのペナルティー
最後はPETRONAS TOM'S SC430とweider HSV-010の
勝負になり、PETRONAS TOM'S SC430が1位でフィニッシュ。
weider HSV-010が年間チャンピオン獲得で幕を閉じました。

レース終了後、表彰式を見てから
帰路に着きました。


駐車場に着いた頃には
周りの車も少なく、真っ暗でした(笑)。
存分に楽しむことができました

10月23,24日 S2000走行距離 216.1km
ODO 121,503km

フォトチャンネル「ピットウォーク編」


フォトチャンネル「走行シーン編」


SUPER GT 2008SERIES Round7 MOTEGI-2008.09.13&14
コメント

SUPER GT 2010SERIES Round8 最終戦 MOTEGI 予選

2010年10月23日 | レース観戦記
2010年10月23日(土)
「2010 AUTOBACS SUPER GT 最終戦 MOTEGI GT250km RACE」の
予選を観に行って来ました。
久しぶりに茂木で観るSGTです
ここからS2000をオープンにして
ツインリンクもてぎまで気持ち良く走って行きました
朝は晴れていましたが、お昼を過ぎてから
風が吹いて来て、予選が始まる頃には寒かったです。


予選が始まるまで場内を散策して
第5コーナーのトンネルの上の撮影ポイントで
写真を撮りました。
フリー走行ではイイ感じだったMOTUL AUTECH GT-R 。
でも予選では元気を無くして9番手。


GTカーの写真撮影を堪能し終えた後は
ポルシェカップを観戦しました。
7月のSUGOでも楽しませてくれたレースなので楽しみにしていました。
茂木でもNo.10の青いポルシェは速かったです


GT500の予選は、No.18 weider HSV-010の小暮選手が
一日で二度もコースレコードを塗り直して
No.6 ENEOS SC430とのポール争奪戦を制しました
HSV-010で調子が良さそうだったのはNo.18とNo.17のKEIHIN 。
ARTAとEPSONは調子が今一つな感じ
RAYBRIGもタイムがなかなか伸びずに8番手。


SC430はNo.6が速かったのはモチロン、
PETORONAS TOM'SもMJ KRAFTも速かった。
車体がブレていないと言うか安定してるように見えた。
SC430の安定感が際立った予選のレースでした。

予選終了後はトークショーを見て来ました。
四者四様のレース人生。
「栄光の裏側には苦悩有り」
‘熱い’話が聞けて良かったです。




体が冷えたので
帰り道に
ちゃんこ屋に立ち寄って
ちゃんこ鍋で暖まって帰りました。
ごちそうさまでした。

S2000走行距離 114.2km
ODO 121,401km

SUPER GT 2008SERIES Round7 MOTEGI
コメント

強運ですか・・・? / Part4

2010年10月22日 | 雑記
2010年10月22日(金)
昨晩、真夜中の戦いに

競り勝ったそうです

その頃ボクは夢の中

楽しい週末が待っています

ありがとう

強運ですか・・・? / Part3
コメント

今日の宇都宮

2010年10月22日 | 雑記
2010年10月22日(金)
今日の宇都宮市は、明日に開催されるジャパンカップ一色
朝から明日出場する選手達が通りを自転車で走っていました。


でもボクの頭の中はTRMで行われる「SGT最終戦」でいっぱい

自転車の大会は片山右京氏も参戦するらしい。
見たいけど明日は茂木に行かなくちゃ

(毎日新聞より)
「片山右京さん 自転車ロードレースで再起へ」
富士登山中の遭難事故で昨年、同行スタッフを亡くした元F1ドライバー、片山右京さん(47)が23、24の両日、宇都宮市で開かれる自転車国際ロードレース大会「ジャパンカップ」に初出場する。事故後、「自分はひどい人間」と自責の念にかられ苦悩の日々が続いたが、仲間に支えられ再起を決意。「自分の中で途絶えていたものを改めてスタートさせる形で、一歩一歩動き出したい」と話している。
攻撃的なドライビングから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた片山さんは引退後、登山家としても活動していた。トレーニングの一環として、自転車ロードレースに出場。08年に宇都宮市を拠点に発足したプロチーム「宇都宮ブリッツェン」のメンタルアドバイザーを務めてきた。
 今年のジャパンカップにはもともと選手として出場するつもりだったが、訓練の一環の富士登山で昨年12月、経営する会社の社員2人を亡くしたことがきっかけで出場を断念。失意のまま自宅に引きこもる日々が数カ月続いた。
 そんな時、支えになってくれたのがブリッツェンの仲間だった。誘われてチームの練習に参加。徐々に活動を再開していく中、広瀬佳正主将から出場の打診を受けた。事故で亡くなった2人を思い最初はちゅうちょしたが、9月上旬、遭難現場に1人で登ってみて、「みんながくれた大きなチャンス。前に進もう」と思った。
 ジャパンカップは、世界トップクラスの選手が集まるアジア最高峰の大会。片山さんはチームの4人とともに、市街地に設定された周回コースを走る「クリテリウム」(23日午後3時半スタート)と呼ばれるレースに出場する。「みんなから頑張ること、生きること、戦うことを教わった。チームのために全精力をかけて燃え尽きたい」。熱い思いを胸にペダルをこぐ。



「カミカゼ・ウキョウ」と言えば・・・
懐かしい記事を発見

「草レーサーに夢を与えた片山右京、F1を引退」
(1997年10月17日/毎日新聞/夕刊)
F1ミナルディ・チームの片山右京選手(34)が、シリーズ第16戦・日本GPの初日(10日)に記者会見を開き、最終戦(欧州GP=26日決勝)を最後に6年間にわたるF1生活に終止符を打つことを明らかにした。
 あまりに突然の引退発表だった。M・シューマッハー、ビルヌーブらと出席したGP恒例の木曜懇談会では、ジョークを連発、引退のそぶりなど全くなかった。それが翌日のフリー走行終了後、「1時間後に右京の引退会見を開く」とのチームリリースがプレスルームに届けられ、一同あぜん。
 記者会見で、片山選手は「世の中には潮時というものがある。そろそろ後進に道を譲るべきだと思った」と引退の動機を語ったものの、その一方で「自分自身、体力やドライビングは全く衰えていないと思うし、モチベーションが切れたわけでもない」と、揺れる心を吐露。「いつ辞めると決めたのか」との質問に「ほんの5分前までは、まだ走れると信じてた」と漏らす一幕もあった。
 34歳というのは、中嶋悟さんがF1にデビューした年齢である。高校時代、陸上部で駅伝選手だった片山選手は、世界を転戦しながらもトレーニングを欠かさず、心肺機能は現役F1ドライバーの中でもトップクラス。モンブランやマッターホルンに登るほどの体力の持ち主なのだ。それだけに、早すぎる決断に対しては、「スポンサーとの交渉が直前でまとまらなかったのでは」とか「(プロストチームの)シートを失う中野信治選手を救うために、自ら身を引いたのでは」などと、さまざまな観測をする関係者もいる。
 6年間のF1生活のうち、2年目から4年間をティレル・ヤマハで走った。ヤマハF1プロジェクトリーダーの木村隆昭さんは「表彰台にぜひとも立たせてあげたかった。事実、勝ってもおかしくない時期があったし、我々の力が及ばず、すまないという気持ちがある」と無念の表情を見せた。片山選手が一番「乗れて」いたのはティレル・ヤマハ2年目の1994年。ブラジル、サンマリノの両GPで5位に入賞したが、惜しかったのは予選5位のドイツGP。3位走行中にスロットルトラブルに見舞われ、リタイア。「エンジンの故障さえなければ表彰台は確実だったし、そのてっぺんさえも狙えたはず」と木村さんは残念がる。
 中嶋悟さんが日本人ドライバーにF1への門戸を開き、鈴木亜久里さんは日本人で初めて3位表彰台に上がった。先輩2人が確固たる足跡を残しているだけに、片山選手自身、じくじたる思いはあるだろう。
 しかし、深いブレーキポイントから度胸よくコーナーに飛び込むドライビングは、我々ファンの心を確実につかんでいた。幼少時からカートに親しみ、フォーミュラレースへとステップする若者が増える中、片山選手は高校卒業後、アルバイトをしながら富士スピードウェイに乗用車を持ち込み、レースを始めた「苦労人」。フォーミュラレースの入門カテゴリー、FJ1600を始めた時は、鈴鹿サーキットに野宿、食事も取らずにがんばった。こうした片山選手の存在は、多くの草レーサーたちに「オレだって、努力すればいつかは……」という夢と希望を与え続けてきたと思う。
 F1からは引退するが、「まだモータースポーツを愛しているし、いまだにレースで自分を磨きたいという気持ちはある」と片山選手は熱っぽく語る。99年にはトヨタから米・インディカーのCARTシリーズに参戦する計画も進められていると聞く。「度胸勝負」のオーバルコースは、片山選手向きともいえる。今度はアメリカン・モータースポーツで「カミカゼ」を吹かせてほしい。


アイルトン・セナが旅立ったのは34歳。
中島悟氏のF1デビューも34歳。
片山右京氏のF1引退も34歳。
比較してはいけないけど
34歳という歳月の流れを

「彼らと同様に熱く生きているか?」

自分自身に問いかけてみた。

アイルトン・セナ ~音速の彼方へ
コメント

Cinema / KNIGHT AND DAY

2010年10月20日 | 雑記
2010年10月21日(水)
「KNIGHT AND DAY」を見て来ました。

個人的な感想は。。。
「トム・クルーズがやれば何でもカッコいいワ
「キャメロン・ディアス。。。老けたネ
。。。と言ったら
同行人は呆れ返っていました

アイルランド、スペイン、オーストリアなどが
舞台になっているから風景がキレイ。

トム・クルーズが映画の中で
iPhoneを使っていたのにはビックリしたよ
さすがiPhone


(ストーリー)
ジューン(キャメロン・ディアス)はある日、えたいの知れない男(トム・クルーズ)と思いがけない出会いを果たすが、その男はジューンが夢に見た理想の男性どころか、重要任務を負ったスパイだった。予想外の裏切りや暗殺者による執拗(しつよう)な攻撃が日増しに強くなる中、ジューンは男に対して疑念を抱き始める。


iPhoneの可能性
コメント

S2000 ローター研磨

2010年10月20日 | S2000 / Breake System
2010年10月20日(水)
S2000が車検から戻って来ました。
今回、何故か?サイドミラーは大丈夫でした
GTウイングはダメだったので外して受けたとのことです。
車両整備の実務書を見せてもらいましたが
何とまぁ~細かい規定なコト
読んでいると目眩がしそう
年々、厳しくなって来ているみたいです

今回の車検で前後左右の4個のローターを
研磨してもらいました。
ピカピカです


ブレーキを踏んだ時に
多少、鳴っていたのですが
解消されました

ガチッとパットがローターを
掴んだ感じが右足から伝わります

「停まる」楽しみが増えました


S2000 走行距離121,247km
S2000 車検 2010.10.16
コメント

S2000 車検 2010.10.16

2010年10月16日 | S2000 / 雑記
2010年10月16日(土)
S2000を車検に出しました。

今回も不安箇所があるけど

後はプロにお任せしよう


S2000 走行距離121,210km
S2000 車検中
コメント

S2000 ドアパネル

2010年10月15日 | S2000 / Interior
2010年10月15日(金)
S2000の内装のドアパネル(窓のスイッチ部分)のカーボン柄が剥がれそうになっていました
3年経ったから老朽化?
接着剤を使って応急処置をしました
やっぱり「カーボン風」じゃダメなのかな?
「本物」じゃないとネ
気に入っていただけに残念。


お気に入りの内装パーツ
コメント

F1 日本GP ・2010 = 鈴鹿 =

2010年10月09日 | 雑記
鈴鹿サーキットで
F1日本グランプリが行われています

今年もテレビで観戦
またLiveでF1を観たいネ
来年こそは行ってみたいな鈴鹿サーキット


(メモ)
2010年10月7日(木)イベント→

2010年10月8日(金)フリー走行→

2010年10月 9日(土)予選日→/中止。10日の午前中に順延。

2010年10月10日(日)決勝日→

(10/10追記)
今年の決勝は面白かった!
レッドブルは速かったネ
でも何と言っても小林可夢偉選手のオーバーテイクは最高
F1からHONDAも去り
彼の所属しているTOYOTAも去って
24歳の肩にはとてつもないプレッシャーが
のしかかっていたであろう。
本当に孤独の戦い。
インタビューでは
「次に世代に繋げる為にもF1に乗り続けなくてはならない」と言って
自身の気持ちを鼓舞している姿を見ると
泣けてくるよ
残りあと3戦!ガンバレ

F1 日本GP ・2009 = 鈴鹿 =
コメント

Cinema / アイルトン・セナ ~音速の彼方へ

2010年10月08日 | 雑記
2010年10月 8日(金)
公開日の今日、仕事を無理矢理に定時で終わらせて
映画館へ駆け込みました。
奇しくも今日は鈴鹿サーキットで
2010年シーズン第16選 F1日本グランプリの
フリー走行が行われた日



30代以上の車好きならば誰もが知っているであろう
最速のF1ドライバー「Ayrton Senna da Silva」。

カート時代、トールマンからのF1デビューの映像から始まり
ロータス、マクラーレンでの戦いの日々、
そして1994年5月1日イモラサーキットの
タンブレロコーナーでの事故を収めたドキュメンタリー映画。

懐かしいシーンが流れて
夜更かしながらテレビでF1中継を見ていた頃を
(今も昔も変わらずに見ているけど)思い出しました。

映画が進行するにつれて
1994年に近づいていくと
胸が痛みましたが
彼が人間味が溢れた偉大なドライバーであり
モータースポーツファンにとって
特別な存在の人ということを
改めて認識をしました。



今のマシンは電子工学を駆使して
飛躍したテクノロジーの恩恵を受けているので
ある程度のドライバーであったら
それなりに走れてしまう。
ドライバーの腕というよりも
エンジニアの技術の方に比重があるように思われる。
そのため、その年のマシンの出来具合によって
代わるがわりに最速のドライバーが誕生している。
だからチャンピオンシップが混戦となって
面白いという意見もあるかも知れないが
往年のドライバー達と比べると
個性が欠ける様にもみえてしまう。

昔は今よりもテクノロジーが劣っていたから
ドライバーの腕次第でマシンのパフォーマンスは違っていた。
パフォーマンスを充分に引き出すために
リスクを顧みずに勇気を振り絞り
わずかなチャンスを取りに行くという
ギリギリのドライビングに心を奪われた。
そんな80年代に活躍した個性溢れるドライバー達が
スクリーンに映し出されて
大好きだったマクラーレン・ホンダの映像が流れると
熱いモノが込み上げてくる。
エンドロールでは
周りからすすり泣く声も聞こえていました。

「アイルトン・セナ ~音速の彼方へ」公式サイト





(追記)
とても興味深い映画でした。
もう1回観に行こうかな?

白色の映像が多い中で
(マシンのカラーリング、服など)
字幕が白い文字だったので
ちょっと読みにくい面もありました。

雑誌でS2000のメーター周辺のデザインは
セナが乗っていたマシン「マクラーレン・ホンダ(MP4/4)」を
モデルにしたというデザイナーの話を読んだ事がありましたが
オンボードカメラの映像(映画の中で沢山使われていた)を見た時に
自分のS2000と似ていたので嬉しくなりました。

オンボードの映像は
今見ても凄まじく速かったです。


いつの間にか
T-REXのマーク・ボラン(享年29歳)よりも長生きして
気が付けば
アイルトン・セナ(享年34歳)よりも生きている。
流されて、流されたままに・・・。

もっと自我を強く持ち目標に向かって歩こう。

世界中のどこの国でも、30歳以上の人に「1984年の5月1日に何をしていたか」と訪ねてみれば、おそらくほとんどの人が「その日のことはよく覚えているし、これからも決して忘れない」と答えるだろう。
コメント