「箱根の山は天下の険」と歌われているように、昔から箱根の山は、旅人にとって難所でありました。その天下の険を走る箱根登山鉄道に乗ってきました。実は2度目の乗車になります。前回は、箱根駅伝を見に行った時に乗りました。ただ、尋常ではない混み方だったので、その時は電車を楽しむどころではありませんでした。
さて、登山鉄道の出発駅は箱根湯本駅です。入線してきた電車は、モハ1形という1919年の開業時から走っている車両です。と言っても改造はされています。

箱根湯本駅では、一番後ろの車両に乗りました。実はこれが正解なのです。答えはあとでわかります。運転席です。大きなハンドルは手ブレーキです。

出発すると列車はいきなり急坂を上っていきます。しばらくすると駅でもないところで停車です。そして、運転手と車掌が入れ替わり、私の席が一番先頭になりました。そうです、ここ出山信号所でスイッチバックするのです。向こうから下りの電車がやって来ました。

こんなスイッチバックを繰り返しながら上っていくのですが、それにしてもすごい急勾配なんです。80パーミル(1キロで80メートル上る)というのですから、アプト式など補助的手段を使わずに自力で上る粘着式では日本一です。80パーミルの標識が見えます。

大平台駅が見えてきました。終点ではありませんよ、ここでまたスイッチバックです。

そして、大平台信号所で再びスイッチバックします。これで3回方向転換したことになり、あとは終点まで私の席が先頭車両となりました。

ポイントがわかりやすいですね。右下の方からやって来て、次は左上の方に進みます。

やがて電車は、思い出の宮ノ下駅に到着です。前回はここで下りて駅伝の応援に行きました。柏原選手が風のように走り去りました。

箱根鉄道のすごいところは、まだあります。半径30メートルという急カーブが続くのです。車輪とレールの摩耗を防ぐために、水をまきながら走っています。

箱根湯本駅から40分、終点の強羅駅が見えてきました。あっという間の短い電車の旅でしたが、箱根登山鉄道を十分に楽しむことができました。

今度は、箱根登山鉄道の「撮り鉄」もしてみたいです。強羅駅でお世話になった車両の連結器を写して箱根登山鉄道とお別れしました。

※乗車日 2016.11.10
さて、登山鉄道の出発駅は箱根湯本駅です。入線してきた電車は、モハ1形という1919年の開業時から走っている車両です。と言っても改造はされています。

箱根湯本駅では、一番後ろの車両に乗りました。実はこれが正解なのです。答えはあとでわかります。運転席です。大きなハンドルは手ブレーキです。

出発すると列車はいきなり急坂を上っていきます。しばらくすると駅でもないところで停車です。そして、運転手と車掌が入れ替わり、私の席が一番先頭になりました。そうです、ここ出山信号所でスイッチバックするのです。向こうから下りの電車がやって来ました。

こんなスイッチバックを繰り返しながら上っていくのですが、それにしてもすごい急勾配なんです。80パーミル(1キロで80メートル上る)というのですから、アプト式など補助的手段を使わずに自力で上る粘着式では日本一です。80パーミルの標識が見えます。

大平台駅が見えてきました。終点ではありませんよ、ここでまたスイッチバックです。

そして、大平台信号所で再びスイッチバックします。これで3回方向転換したことになり、あとは終点まで私の席が先頭車両となりました。

ポイントがわかりやすいですね。右下の方からやって来て、次は左上の方に進みます。

やがて電車は、思い出の宮ノ下駅に到着です。前回はここで下りて駅伝の応援に行きました。柏原選手が風のように走り去りました。

箱根鉄道のすごいところは、まだあります。半径30メートルという急カーブが続くのです。車輪とレールの摩耗を防ぐために、水をまきながら走っています。

箱根湯本駅から40分、終点の強羅駅が見えてきました。あっという間の短い電車の旅でしたが、箱根登山鉄道を十分に楽しむことができました。

今度は、箱根登山鉄道の「撮り鉄」もしてみたいです。強羅駅でお世話になった車両の連結器を写して箱根登山鉄道とお別れしました。

※乗車日 2016.11.10