はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

熊野を旅しました(熊野古道を少しだけ歩きました)

2024-03-16 18:15:15 | 街道歩き
今回の熊野の旅の目的は「里創人 熊野倶楽部」というリゾートホテルに宿泊することでした。
連れ合いさんの女子会の旅行に、私は運転手として参加したという訳です。
(熊野は大阪から遠く、電車で行くのも不便な所なんです。)
私はほとんど宿舎や料理の写真を撮らないので、興味のある方はホテルのホームページをご覧ください。

ホテルで写した唯一の写真は、熊野灘に昇る太陽です。



旅の二日目は、ホテルの近くにある丸山千枚田に行きました。


まだ水が張られていないので、パンフレットなどで紹介される美しさはありませんでした。


しかもメインの道路が通行止めで、狭い道を緊張しながら走ってきたので、写真も数枚撮っただけでした(笑)



丸山千枚田をあとにして、熊野の旅の最後に訪れたのは熊野古道の松本峠でした。前日に訪れた鬼ヶ城の近くです。


熊野古道といえば和歌山県側の中辺路や小辺路などが有名ですが、三重県側にも伊勢神宮から続く伊勢路があります。


松本峠には昔ながらの石畳が残っています。


見晴らしの良い峠のてっぺんまで歩きたかったのですが、10分ほど歩いたところで引き返しました。


私ひとりなら歩いたのですが、連れ合いさんがこれ以上進めなくなったからです(笑)


少しだけでしたが、熊野古道の雰囲気にも触れることができて良かったです。


2004年に世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は、紀伊半島を西回りする「紀伊路」と東回りの「伊勢路」があります。
紀伊路は平安時代から法皇や上皇らの通った道ですが、伊勢路は江戸時代以降盛んになったお伊勢参りを終えた人達が「熊野三山」のために巡った庶民の道といわれています。
いくつもの峠を越え長く苦しい旅の果てに、人々が熊野で見たものは何だったのでしょう。

※訪問日 2024.3.11

東高野街道を歩きました(富田林〜河内長野)

2021-12-24 19:30:30 | 街道歩き
東高野街道は、京都府の八幡市から大阪府の河内長野市を結ぶ街道です。
平安時代の頃から存在したようで、官道として造られた道路だそうです。
東高野街道はこれまで部分的に歩いて来ましたが、今回は富田林から河内長野までを歩きました。


富田林市の寺内町です。寺内町は大阪府で唯一「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。この寺内町の中を東高野街道が通っています。
下の写真は以前に歩いた時に撮影したものです。詳しくは「大阪で唯一の重要伝統的建造物群保存地区」(2020.6.10)をご覧ください。




寺内町を訪れた時に、もう少し先の近鉄川西駅まで歩いたので、今回はそこからのスタートにしました。




滝谷不動駅付近にあった案内板です。新東高野街道と書いてありました。巡礼街道とあるのは高野山への巡礼道であった証です。




街道を振り返ります。この曲がり具合が嬉しくなります。




今回歩いた区間は近鉄長野線に沿っているので、撮り鉄も楽しめました。




近鉄長野線は、古市駅と河内長野駅を結ぶ路線です。




汐ノ宮駅のあるあたりでは、街道は高台を通ります。




街道沿いにあった龍王大神です。道中の安全をお祈りしました。




途中で道に迷いましたが、河内長野駅の近くまでやって来ました。街道の面影を残す道路です。




駅前まで来ると高野街道のモニュメントがありました。ここで東高野街道と堺からくる西高野街道が合流します。




「いかにも」というお家が残っていました。




東西から来た街道が合流して高野街道となり高野山へと向かいます。左の道がそれです。




現在版の道しるべです。




歩いて行きたい衝動にかられますが、今回はここまでです。またいつか歩くことにしましょう。




帰りは、河内長野駅から南海高野線で帰りました。




※歩いた日 2021.12.21

京街道「関目七曲り」あたりを歩きました

2021-06-30 19:36:36 | 街道歩き
京街道は、豊臣秀吉が大坂と伏見を結ぶためにつくった街道です。
以前、関目5から守口の文禄堤までを歩いたことがあるのですが、「関目七曲り」のことは気になりながら忘れていました。
ところが、最近テレビで「関目七曲り」のことが取り上げられているのを観て、さっそく出かけました。


スタートは野江水神社です。京街道とはあまり関係はないようでした。




野江内代(のえうちんだい)駅から城北筋を少し北に行くと「京街道」の道標がありました。




右の道を進むのですが、雰囲気のある道です。




その道を進みます。




やがて都島通に合流して、国道筋商店街を進みます。これまた雰囲気のある商店街です。国道筋というものの都島通は国道ではないと思うのですが。




そして、いよいよ「七曲り」の始まりです。右は都島通で、左の枝道に入って行きます。




まずは右に曲がるようです。




ここにも道標がありました。




今度は左に曲がるようです。




そして、右に曲がります。




ゆるく左にカーブして、右に曲がります。




町内会の地図がありました。なるほどクネクネ感がよくわかります。




ここで都島通に合流ですが、京街道は都島通を渡った細い道に続いています。




都島通を渡ったところで碑を発見です。「明治天皇所聖躅(せいちょく)」明治天皇がここに来られたことを示す碑です。
1868年(慶應4年・明治元年)天保山での観艦式に臨むため大坂に向かう途中、このあたりにあった茶屋で休憩をとられたそうです。




細い道ですが、ここもよく曲がっています。




街道の雰囲気が漂います。この道を幕末の多くの有名人が行き来したのかと思うと感慨深いものがあります。




どこの町にもありそうな道ですが、ここが歴史街道とは、教えてもらわないとわかりませんね。




そして、前回のスタート地点の関目5に到着です。まっすぐに走るのが国道1号線、右に走るのが国道163号線、その間の斜めに走るのが京街道です。




今回はここまでとしました。




ところで、ここまでクネクネ道をなぜつくったのかは、大坂城の防御のためといわれていますが、本当にそれが理由なんでしょうか。
実際に歩いてみてそんな疑問が起きました。
京街道は、江戸時代になり東海道57次として利用されるようになりました。その宿場とは伏見・淀・枚方・守口の4宿です。

※訪問日 2021.6.29

春の山の辺の道を歩きました(3)

2021-03-20 18:05:05 | 街道歩き
山の辺の道を大神神社から石上神社に向かって歩いています。
約12キロ、3時間20分のコースタイムですが、写真を撮ったり花を観察しながらなので、なかなか前には進みません。


穴師の里あたりを歩いています。サンシュユも咲いていました。




額田王(ぬかたのおおきみ)になったつもりで、三輪山を振り返りながら歩いて行きます。




懐かしい「ひっつき虫」がありました。




ハッサクの無人販売所がたくさんありました。欲かったのですが、荷物になるので買わなかったです。




珍しい花を見つけたと思ったのですが、クサイチゴとのことでした。




トタン壁の味のある建物がありました。屋根についているのは煙抜きでしょうか(?)




満開の桜を発見です。




桜だと思うのですが、3/17に満開とはびっくりです。やはり桜ではないのでしょうか‥。




その桜と三輪山のツーショット。




柑橘類が植えられた山の辺の道を三輪山を振り返りながら歩いて行きます。




有名な額田王の歌碑に到着です。「三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなむかくさふべしや」
(名残惜しい三輪山をどうして雲があんなに隠すのか。人はともかく、せめて雲だけでもやさしい情があってほしい。あんなに隠すべきであろうか。)




菜の花が植えられていました。




やっと景行天皇陵に到着です。ここまで大神神社から約4キロです。




ユキヤナギの向こうに見えるのも古墳です。正しくは陪塚といわれています。




景行天皇陵も大きな古墳です。山の辺の道は古墳も多く、古墳ファンにも嬉しい道です。




今度は木瓜の花が咲いていました。季節の花が順番に楽しめます。




景行天皇陵から1キロほど行くと崇神天皇陵に到着です。すぐ近くに天理市トレイルセンターがあり、そこでコーヒーとクレームブリュレをいただきました。
トレイルセンターは数年前に行った時には、単なる休憩所だったのですが、レストランがあるお洒落な空間になっていました。
時刻は2時30分です。まだ半分しか歩いていないのですが、今回はここまでとしました。




トレイルセンターからJR桜井線(万葉まほろば線)の柳本駅までは15分ほどです。3時35分発の電車で三輪駅に戻りました。




今回は全コースを歩く事が出来ませんでしたが、春の花を観察したり、万葉人の心にふれたりと楽しいハイキングになりました。
何より6人のメンバーで賑やかに歩けたのが楽しかったです。
久しぶりの山の辺の道歩き、総歩数は18000歩を越えていました。

※訪問日 2021.3.17


<おまけです>

三輪といえば、三輪のうま酒です。いつも立ち寄る今西酒造さんでお酒を購入しました。特別純米酒 山乃かみ です。


春の山の辺の道を歩きました(2)

2021-03-19 19:15:15 | 街道歩き
この日は天気も良く、絶好のハイキング日和となりました。
山の辺の道はアップダウンも少なく歩きやすい道が続きます。

大神神社から1キロほど歩いたところにある玄賓庵にやって来ました。




塀の瓦屋根が味わい深かったです。




鳩がいました。




塀の向こうには紫木蓮が咲いていました。




屋根の上にホトケノザも咲いていました。




ここは、山の辺の道で一番好きな場所です。私がイメージする山の辺の道がこれです。




モデルさんに歩いてもらいました(笑)




大神神社から1.5キロの桧原神社に到着です。元伊勢とも呼ばれている神社で、珍しいミツ鳥居があります。




ここから見る二上山は美しい姿をしています。この日は春霞というか黄砂というか、山が霞んでいました(笑)




桧原神社でおにぎりを食べて出発です。この道は少し前までは地道だったと思うのですが。




再びモデルさん登場です。




この木はスモモでしょうか。




このあと、集落の中を通って行きます。この辺りは穴師の里と呼ばれるところです。




ヤマザクラも咲いていました。




来た道を振り返ります。土手には可憐なコミヤマカタバミも咲いていました。女性の皆さんは花好きで、花の名前も良くご存知でした。




ムスカリも咲いていました。写真は撮っていませんが、山の辺の道では沢山の春の花に出会うことができました。




道沿いには万葉歌碑がたくさん立てられています。石上神社から大神神社までに約30ほどの歌碑があります。
これは柿本人麿の歌碑です。「穴師川に川波が立っている。巻向山の由槻嶽に雲が湧きあがっているらしい。」という意味だそうです。




穴師川(今は纒向川ですが)がキラキラと輝いていました。




<つづきます>

※訪問日 2021.3.17