はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

京都に初詣に行きました(後編)

2019-01-06 18:00:00 | 京都をぶらり
知恩院に初詣に行きました。
日本1初詣の参拝者が多いのは明治神宮で、京都では伏見稲荷大社だそうです。どちらも神社なので、初詣は神社が多いのかというとそうでもなく、第2位の川崎大師は平間寺というお寺ですし、第3位の成田山も新勝寺というお寺です。日本人にとっては神様も仏様も大切なものなのですね。

阿弥陀堂の前に桜が咲いていましたが、もう終わりかけのようでした。



せっかくなので御廟まで行ってみることにしました。



また長い階段を上っていきます。知恩院は山に沿って造られているのがよく分かります。



法然上人の生きた時代は、平安から鎌倉へと大きく時代が変わる頃でした。



そんな不安定な時代背景もあり、専修念仏の教えが多くの人々に受け入れられたのでしょう。



法然さんの頃は、こんな立派なお寺では無かったようで、江戸時代になって今のような大伽藍になったそうです。



御廟の手前にある拝殿です。



拝殿からは、京都の市街地を眺めることができます。



経堂も三門と同じ江戸時代に建てられました。徳川家康は浄土宗だったそうで、そんな関係もあって徳川家では知恩院を盛り立てたようです。



これが「ゆく年くる年」でおなじみ「除夜の鐘」の大鐘楼です。



除夜の鐘は108の煩悩を取り払ってくれるそうです。最近、除夜の鐘がうるさいと苦情が来て、取り止めたお寺もあるとかで、今の世の中らしい話です。



舞妓さんがポーズをとっていたので、後姿をちょっと失礼しました。



最後は黒門に寄って、知恩院をあとにしました。すぐ隣にある八坂神社には、たくさんの参拝者が来ているようでしたが、知恩院では思った通り、静かにお参りをすることができました。



大阪では住吉大社が一番初詣の参拝者が多いそうです。私も若い頃は近くに住んでいたので、よくお詣りに行ったものです。大阪では住吉大社のことを親しみを込めて「すみよっさん」と呼んでいます。今は、「すみよっさん」もちょっと遠くなったので、近くの小さな神社にお詣りすることが多くなりました。

※撮影日 2019.1.4
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京都に初詣に行きました(前編)

2019-01-05 18:00:00 | 京都をぶらり
今年の初詣は京都に行きました。京都で初詣といえば、伏見稲荷や八坂神社などが思い浮かぶのですが、4日とは言え、まだまだ混んでいるような気がしたので、知恩院に行くことにしました。

四条通の混雑を避けて、祇園白川を抜けて行きました。思った通り、新橋通は空いていました。



新橋通は「重要伝統的建造物群保存地区」です。



「ラ・メゾン・ジュヴォー」という、洋菓子屋さんのようです。



白川にかかる一本橋です。



きれいどころでも、やって来ないかと思ったのですが‥。




知恩院の三門に到着です。1621年に徳川2代将軍秀忠の命で建立されました。日本でも最大級の木造の門だそうです。



我が家は、いちおう門徒(浄土真宗の信者)なんですが、知恩院は浄土宗のお寺です。でも、親鸞さん(浄土真宗)は法然さん(浄土宗)の弟子でもあるし、同じ「南無阿弥陀仏」なので許していただけるでしょう。



門をくぐると男坂が待っています。一段の段差が高いので、山登りをしているような気分です。昔の人には、バリア・フリーの考え方は無かったようですね。でも、安心してください。隣にはなだらかな女坂があります。



階段の途中から振り返りました。三門の間から祇園の街並みが見えます。



やっと登り切りました。三門の大きさが実感できます。帰りは女坂で下りました(笑)



お線香の煙がもうもうと立ち上っていました。どこかから読経の声も聞こえて来ました。



今年も良い年でありますように。



<つづきます>


※撮影日 2019.1.4
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西陣あたりを歴史散歩しました(3)

2018-12-26 18:05:05 | 京都をぶらり
西陣を散策しています。千本通の釘抜地蔵から少し南にやって来ました。

京漬物の近為があります。千本通を挟んで向かい側には五辻の昆布屋さんもあります。どちらも明治時代から続く老舗です。



渋い街並みを眺めながら五辻(いつつじ)通を西に進みます。



千本釈迦堂に到着しました。報恩寺というお寺ですが、千本釈迦の名で親しまれています。



千本釈迦堂の大根だきは有名で12月7・8日は大変な賑わいだそうです。



おかめ桜も有名ですが、この時期はこんな感じです。



千本釈迦堂は応仁の乱の際、西軍の本陣になったところです。応仁の乱で他の堂は失われましたが、本堂だけが奇跡的に残りました。1227年に建てられた京都で最も古い木道建造物です。道内の柱には、応仁の乱の時の刀傷が残っています。



さらに西に進んで上七軒にやって来ました。ここは京都五花街の一つです。



室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶屋を建てたのが「上七軒」の由来だそうです。



毎年春になると上七軒歌舞練場で「北野をどり」が上演されます。一度見て見たいものです。



「五つ団子」の紋章を下げた花街らしい格子戸の街並みがつづきます。



花街には縁のない人間ですが(ランチを食べられるお店もあります)、街並みを見て歩くのは楽しいです。



何年か前に電柱を撤去し、石畳を敷いてこんな景観になったようです。北野天満宮の東門が見えて来ました。西陣の散策もここまでとします。



※訪問日 2018.12.21
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西陣あたりを歴史散歩しました(2)

2018-12-24 18:30:00 | 京都をぶらり
西陣を散策しています。烏丸今出川を出発して、白峰神社や三上家路地に立ち寄りました。次にめざすのは千本通の釘抜地蔵です。

紋屋図子を後にします。正面に見えているのは本隆寺です。現在は改装中のようです。



以前にもこの辺りを歩いて、本隆寺の塀の写真を取りました。練り込まれた瓦が特徴的です。



中古カメラ屋さんもいい雰囲気です。



こちらは、ちがうパターンで瓦が入っています。



ここは岩神ホールという建物で、織工場だったところを改装したそうです。みかんの木やポストが面白いです。



古いのか新しいのかよく分からない京町家でした。



千本通までやってきました。ちょっと探しましたが、釘抜(くぎぬき)地蔵:石像寺(しゃくぞうじ)に到着です。
門を入ると大きな釘抜が迎えてくれます。



ここには初めて来たのですが、ちょっと感動しました。観光寺では無いので観光客はいないのですが、近所の人でしょうか数人のお参りがあり、本堂の周りを熱心に御百度参りをされていました。



弘法大師が持ち帰った石を刻んだとされる地蔵が、身体や心の苦しみを抜き取ってくれるそうです。



2本の釘と釘抜をくくりつけた絵馬には正直驚きました。



本堂やまわりにある仏様や地蔵様にも歴史を感じます。



お堂の壁には絵馬がびっしりと貼られ、庶民の信仰の深さとともにご利益の大きさを感じました。



※撮影日 2018.12.21
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西陣あたりを歴史散歩しました

2018-12-23 18:00:00 | 京都をぶらり
京都の西陣あたりを歩きました。西陣という地名は、応仁の乱の際、西軍総大将である山名宗全が陣地を構えたことから由来します。高級絹織物の西陣織はよく知られていますが、私にはあまり縁がありません。

京都地下鉄の今出川が出発点です。はじめは今出川通に沿って西へと向かいました。すぐに、室町将軍室町第跡を示す石碑があります。この辺り一帯に「花の御所」とよばれた御殿があったのでしょう。その御殿も応仁の乱で焼けてしまいます。

しばらく行くと、白峰神社があります。この神社は明治になってできたものです。祀られているのは保元の乱で敗れて讃岐に流された崇徳上皇です。崇徳上皇は天下滅亡という呪いの言葉を書き残し、我は日本の大魔王となるといって死去したといわれています。その後の日本の様々な災いは、崇徳上皇の祟りかもしれませんね。



堀川今出川を北に進むと、応仁の乱の西軍の総大将の山名宗全の邸宅跡がありました。応仁の乱は室町時代後期に京都市街を主戦場として勃発した戦いですが、なかなかややこしい戦争です。以前、中央新書から出版された呉座勇一著「応仁の乱」を買って読み出したのですが、20ページから進んでいません(笑)



京都には、ちょっと入ってみたくなるお家(お店)が多いです。



典型的な京町家です。「登録有形文化財」に指定されていました。



元西陣小学校です。京都市内の古い小学校にはモダンな建物が多いです。



元西陣小学校から大宮通を少し下がった所に、いい感じの街並みがあります。ここは紋屋図子とよばれているところです。随分以前に、路地と図子のことを書きましたが(「京都の路地と辻子で遊ぶ」2016.1.9)、こういう路が大好きです。



その紋屋図子の中ほどに、三上家路地とよばれる素敵な路地があります。



江戸時代の職人長屋がそのまま残っているようです。



現在は、陶芸家や写真家など芸術家が住む長屋のようです。奥には蜂蜜専門店もありました。



「路地裏」という言葉の響きに魅かれます。



<つづきます>

※撮影日 2018.12.21
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