はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

武奈ヶ岳で田中陽希さんと出会いました

2015-10-31 20:51:34 | 山歩き
秋真っ盛りの武奈ヶ岳に登ってきました。


なぜ武奈ヶ岳かというと、理由があるのです。今、「200名山ひと筆書き」をしている田中陽希さんが10月31日に武奈ヶ岳に登る予定になっていたからです。だから、ちょっとミーハー登山なんですが…。

とりあえず、頂上で出会えた田中陽希さんの写真です。
(頂上はえらい人盛り)

(写真を写すのも大変です)

(テレビで観てるのと同じ顔です)

(スターですね)

 (180余山登頂の貫禄)

(ドローンを準備中のスタッフ)

さすがに人気者の田中陽希さんです。山頂にはたくさんの人がいました。田中さんも終始笑顔で対応していました。私は遠くから写真を撮るだけにしました。

秋の武奈ヶ岳は、なかなかすばらしかったです。けっこうきつい上りもありました。詳しい山登りの記録は、また明日にします。

阪急電車の記念列車に

2015-10-30 21:50:42 | 鉄道
いつものように阪急電車に乗っていたら、偶然に40周年記念列車に乗車しました。


十三で阪急神戸線に乗り換え、三宮行きの普通列車に乗ったら、その列車の写真を写している人がいました。鉄ちゃんが阪急電車の写真でも写しているんだろうと思っていました。それでも気になるので、塚口駅で降りた時に列車を見てみると、40周年のヘッドマークが付いているではありませんか!


ネットでそのことを調べてみると、「1975年(昭和50年)より開始したワンハンドル運転台も、今年で40周年を迎えました。これを記念して2200系として登場し、改番されつつも現役営業車両として活躍し続けているC#6050、C#6150に注目し、同編成にヘッドマークおよび「Hマーク」、1992年まで使用していた旧社章を復活させた列車を運行します」とありました。


そういえば、昔はこんなマークだったですね。なつかしいなあ。これって確か大阪市と京都市と神戸市の市章を組み合わせたデザインですよね。


まあ、列車自体はいつもの列車でしたが…。

正倉院展と秋の奈良をぶらり

2015-10-28 21:23:23 | 古代史の舞台を歩く
奈良国立博物館で開催中の正倉院展を訪れました。
雨上がりの奈良のまちは、すっかり秋の気配につつまれていました。
 

混雑が予想されたので開館の1時間前から並んだこともあって、ゆっくりと展示品を見ることが出来ました。
(入場券の紫檀木画槽琵琶)

実物は、なかなか重量感のある琵琶でした。この琵琶はポスターにもなっていて、今回の目玉のようですね。ところで、この琵琶の模様ですが、どこかで見たことがあるような…。そうそう、あの高級バッグのガラによく似てますよね。

(会場から出る頃には長蛇の列が)

正倉院展に来たので、正倉院にも寄ってみました。ここを訪れるのははじめてです。そこには、想像していたよりも大きな正倉がありました。




しかし、この正倉はよく残ってくれたものです。平氏による南都焼打ちや戦国時代の大仏殿炎上にも耐えて、今の世に奈良時代の貴重な品々を伝えてくれたのですから。月並みな言葉ですが、まさに奈良時代からのタイムカプセルです。
※正倉院は外観が平日、公開されています。正倉院展の期間は土日も公開されるようです。正倉院展とちがって、ここは静かです。

正倉院のすぐそばに戒壇堂があります。戒壇とは受戒のおこなわれるところです。詳しくは書けませんが僧侶になる重要な儀式です。そのために、鑑真和上も来日したのです。歴史によれば、754年に鑑真が、大仏殿の前に戒壇を築き、聖武天皇はじめ440余人に戒を授け、翌年に戒壇院が建立されたとあります。
(均整のとれた美しいお堂です) 

堂内には四天王がまつられていました。天平時代の傑作といわれる四天王は、まことにすばらしい作品で、その迫力に見入ってしまいました。

そろそろお腹もへってきたので、昼ご飯を食べましょう。戒壇堂からすぐのところに有名なおそば屋さんがありました。(友人に教えてもらったのですが)店の佇まいからしておいしそうです。
(売り切れご免のようです)

(美味しいお蕎麦でした)

最後はお酒で締めましょう。
ならまちに春鹿という酒蔵があります。そこでは500円でグラスに5杯試飲ができます。酒好きの私としては見逃せません。


どのお酒もおいしかったです。グラスはおみやげに持って帰ることができます。

(純米吟醸封印はANAの国際線ファーストクラスで出されるとか)

秋の気配が進む中、奈良を堪能することができた一日でした。感謝。




 








山代温泉で米寿を祝う

2015-10-25 17:57:06 | 知らない街をぶらり
土日と母親の米寿のお祝いで、山代温泉を訪れました。
孫たちも一緒のにぎやかな旅になりました。

せっかくなので、金沢まで行って、兼六園にも寄ってきました。
北陸新幹線開通に伴うお祭り騒ぎが続いているのか、金沢は大にぎわいでした。

(金沢駅の新しいシンボル)

(兼六園で紅葉を発見)

(噴水を止めてみました)


その後、山代温泉で柔らかいお湯に満足しました。もちろん、美味しいお料理と地酒にも大満足でした。

(山代温泉には寒桜が)

(北陸へはお約束のサンダーバード)



米寿とは、字が表しているように八十八歳の年祝いの一つです。日本人の平均寿命は、女性が86.61歳、男性が80.21歳だそうです。私も80歳までは、まだまだ遠い道のりですが…。まだしばらくは長生きして、旅を楽しみたいと思っています。

今回は、これだけです。(写真は250枚ほど撮ったのですが、ほとんどが家族写真なので…)







高野山へ…(続編)

2015-10-22 20:28:41 | 寺社めぐり
18日(日)の高野山参拝の続編です。
(高野山のシンボル根本大堂)

前回は高野山を開創した空海さんのことに少しふれましたが、今回は、高野山を訪れた旅する歌人と俳人のことです。
歌人とは、西行さんのことです。以前、「名残の桜をたずねて」(4/11)で弘川寺のことを書きましたが、桜をこよなく愛した西行さんです。西行さんといえば吉野山と思いがちですが、実は30年ちかく高野山に庵をむすんでいたのです。1147年から1179年のことです。(その間に、吉野にも住み、京にも出かけて行ったようです。)
高野の山中から、保元の乱・平治の乱とつづく歴史を眺めていたのですね。



ひとり住む 庵の月の 射し来ずは なにか山辺の 友とならまし (山家集)
高野の山の中で月を友とした西行さんの歌です。



そして、俳人とは我が芭蕉さんのことです。芭蕉さんも高野山を訪れています。奥の院への参道を歩いていると「芭蕉句碑」に出合いますよ。

ちちははの しきりにこひし 雉の声 (笈の小文)
この句は、行基さんの詠歌「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」をふまえているそうで、さすが物知りの芭蕉さんです。



ついでに?もう一人、与謝野晶子さんの歌碑も建っています。堺に住んでいた与謝野晶子さんは何度も高野山を訪れたそうです。今も南海高野線は堺市内を通っているので、高野線で行ったのかもしれませんね。ただし、高野線の開通は1928年なので…。
やわはだの あつき血潮に 触れもみて さみしからずや 道を説く君
高野山で修行する若い修行僧を見て詠んだといわれています。



私も大阪市内の中学生だったので、林間学校で高野山に泊まった思い出があります。夜は奥の院で肝試しをしたり、宿坊で枕投げをしたり…。あんまり文学的ではありませんね。