はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

天竜川に沿って

2016-02-24 17:00:57 | 本の話
3月になったら行こうと思っている旅があります。なぜ3月かというと、「青春18きっぷ」が使用できるからです。行き先は、「天竜川に沿って」走る飯田線の旅です。
飯田線は、「秘境駅」が多数あることで有名な路線です。実は、2011年の夏に「秘境駅号」で行ったことがあるのですが(「秘境駅号の思い出」15.6.22のブログ)、今回は普通列車の旅です。飯田線だけで7時間ほど乗るそうなので、行く前から躊躇している私ですが…。
 (飯田線普通列車 2011.8.28)

さて、私の敬愛する人物のひとりに民族学者の宮本常一さん(1907年~1981)がいます。代表作「忘れられた日本人」などの著作で知られ、73年の生涯に、16万キロもの行程を日本全国に印した、旅する民俗学者です。
その宮本常一著作集別集の中に『私の日本地図』全15巻があり、それが未来社から復刻刊行されています。今回紹介するのは、その1巻になっていた『私の日本地図 天竜川に沿って』です。(未来社刊では、14回目に配本されました)


今回、飯田線の旅を思いついたのも、この本を読んだのがきっかけですが、宮本常一さんは、飯田線で呑気に乗り鉄の旅を楽しんでいたわけではありません。沿線から何十キロも奥に入ったところにある村々に泊まり込んでの調査をしていました。
あとがきにこんなことばを書いています。
「たとえば静岡県水窪町の地頭方の村と領家方の村の住居、耕地のあり方の差にまず目がとまり、さらに杉の植林の仕方にも、両者に差のあることを発見したときは心を打たれた。一つの村の全体を見おろす場所に立ってジッと見ていると、いろいろのことを考えさせられ、またいろいろの疑問がわいてくる。しかも景観の語りかけている事実ほど正直なものはない。」
まさに宮本観察眼のすばらしさを感じさせてくれます。

 (平岡駅から見た天竜川 2011.8.28)

私の写真でもわかりますが、すでに天竜川には砂が堆積して浅くなっています。昔は、きれいな水が深いところを流れていたことでしょう。宮本さんが旅した頃も、すでに川が埋まってきていることを書かれています。

宮本さんは、この天竜川に沿った地域を昭和17年から39年にかけて旅をされたようです。(この本の写真は昭和34年と38年のものが多い)昭和36年に天竜川では大水害が発生しました(三六災)。とくに大鹿村の被害は甚大であったようです。宮本さんが旅したのは、その2年後のことで、災害の生々しい爪痕も写真に残されていました。宮本さんは、この災害の原因を上流部での広大な山林の伐採によるものだと考えています。しかも地元の人達には、何ら利益をもたらさなかった事業の。

飯田線のことにもふれています。まだ「秘境駅」という言葉がなかった時代です。
「飯田線は、水窪駅から長いトンネルをぬけて天竜川のほとりの大嵐(おおぞれ)に出ると、そこから飯田市の天竜峡駅までの間は、川沿いの断崖の下を走ってトンネルを出たり入ったりで、トンネルの数はおびただしい。そして、トンネルとトンネルの間に小さな駅がひっそりとある。乗降の客はごくわずかであるが、飯田線は外部から文化の光をみちびき入れてくれる重要な窓なのである。」
 (トンネルの数はおびただしい 2011.8.28)

飯田線の旅は、おびただしい数のトンネル(138あるらしい)をぬけて、また、おびただしい数の駅(途中駅は92)に停まりながらの鉄道旅になりそうです。宮本常一さんのような観察眼で景色も眺めてくるとしましょう。

※ただの風邪ひきだと思っていたら、なんとインフルエンザの判定がくだりました。従って、ただいま自宅謹慎中であります。



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今、忌野清志郎のこと

2015-09-18 20:19:36 | 本の話
私が大好きなミュージシャンに忌野清志郎がいます。正確には「いました。」です。2009年に58歳で亡くなっちまったんですが…。
日本の「キング・オブ・ロック」と言われた忌野清志郎が、10年以上も前にこんなことを書いています。

<日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ>
「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。阪神大震災から5年。(略)
この国は何をやってるんだ。復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ。とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。弟はドラムを叩くシーンで僕はロックン・ロールじゃありませんと自白している。政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。そのうち、リズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。(略)
いったいこの国は何なんだ。俺が生まれて育ったこの国のことだ。君が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、…この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。」


まるでリアルタイムで清志郎が言っているようです。

『瀕死の双六問屋』忌野清志郎著(小学館文庫)より。(もともとは、2000年に光進社から単行本で発売されCDもついていたそうです。)



さあ、「くたばっちまう前に 旅に出よう もしかしたら君にも会えるね」かも知れませんね。(忌野清志郎『JUMP』より)
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『黒部の山賊』と黒部の岩魚

2015-08-06 19:43:14 | 本の話
『黒部の山賊』伊藤正一著(山と渓谷社発行)という本があります。

この本は少し前までは、山小屋でしか売っていなかった本なのですが、最近はどこの本屋さんでも買えるようになりました。
伊藤正一さんとは、本の著者紹介によれば、「大正12年(1923)生まれ、8歳の時に木曽御岳へ登って以来、北アルプスをくまなく歩いて現在にいたる。昭和21年(1946)、三俣蓮華小屋(現在の三俣山荘)、水晶小屋を譲り受け、「山賊」たちの協力を得て湯俣山荘、雲ノ平山荘を次々と建設し、昭和31年(1956)には北アルプス最後の楽園「雲ノ平」への最短ルート、伊藤新道(現在は一般道としては使われていない)を独力で完成させた。」という人です。
なかみは読んでのお楽しみということにしておきます。昭和20年代の北アルプス登山黎明期の話が楽しめますよ。本当に山賊がいたんですよ(笑)
表紙の畦地梅太郎さんの版画が、またいいんです。
(鷲羽岳から見た三俣山荘の赤い屋根 2011.8)
現在は登山道も整備され、適当な所に山小屋があり、安心して山登りができる時代になりました。これも先人の苦労があってのことですね。(感謝!)

さて、今夜からその黒部に出かけます。「平の小屋」に泊まって、周辺の沢でイワナ釣りを楽しむ予定です。
(黒部湖のほとりに建つ平の小屋)
今は、渡し船が対岸の針ノ木沢まで出ていますが、ダムのない頃は、吊り橋が架かっていたそうです。
(黒部の岩魚 2012.9)
こんなイワナさんに会えればいいんですが。11日頃の報告をお楽しみに。
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本で旅する日本の秘境

2015-03-17 16:44:41 | 本の話
「秘境」という言葉はいい響きを持っています。

ヤマケイ文庫から出ている『定本日本の秘境』岡田喜秋著は、すばらしい紀行文だと思います。
昭和30年代(1955年)に日本各地の山・谷・湯・岬・海・湖を歩いた記録です。

はじめの章「山頂の湿原美と秘湯ー赤湯から苗場山へー」を読んだ瞬間から、ガツンと一発パンチを食らった感じがしました。
赤湯は前々から一度は行ってみたい秘湯で、地図やネットで調べていた温泉です。
赤湯に行くには、関越自動車道の湯沢インターでおりて、苗場プリンスホテルスキー場前から林道を6キロ走って、そこから徒歩2時間という行程です。(赤湯温泉は今でも秘湯です)

さて、苗場スキー場が出てきましたが、まだ行ったことはありませんが、おしゃれなリゾートスキー場という感じがします。
ところが『日本の秘境』では、「私がこの一般コースをとらずに、わざわざ迂回コースを選んだのは、その途中に、赤湯という忘れられたような古めかしい温泉宿があることに心ひかれたためだったが(中略)元橋という集落はその入口にあった。 バスを降り立ったとき、道端に一軒しか家がないのにちょっと驚いたが(中略)予期に反してここには電気がなかったのだ。夏のさなかに赤々と燃えるいろりのかたわらに座っても暑さを感じないのは、ここがすでに海抜1000メートルに近い高地であることを物語っていたが、ランプをたよりに夜食をとるひとときは、さらに都会から遠い時代錯誤な旅情を感じさせた。」

どうですか、60年前の元橋(苗場スキー場)周辺はこんな感じだったようです。60年も経ったら変わるのも当然ですが、近くに新幹線や高速道路ができ、いろりの宿からリゾートホテルへの変化は、日本の60年間を象徴しているようです。

昭和34年(1959年)の「夏油(ゲトウ)という湯治場へー奥羽山中の秘湯ー」では、「日本のあらゆる山の中でダムがつくられ、谷らしい谷間はすべて電源開発の名のもとに水がたたえられている今日だ。山中に住む人々はその文明開化を文化の進展として、よろこんでいるだろう。煙を吐く汽車が次第に姿を消してゆく。それを残念だと感じるのは、「現在」に食傷した人間の酔興だろうか。」と書いています。

当時は、いたるところでダム工事が進められていた時代で、この本にも度々そのことが書かれています。
時代が動いていたのがわかります。それは不便が便利になったのと同時に、何かが失われた時代だったような気がします。

なんか深刻な話になってしまいました。
でも、この本を読むと昭和30年代の日本の原風景のようなものが見えてきます。


(鷲羽岳から望む三俣蓮華岳と黒部五郎岳 2011年夏)

ここも秘境といえるでしょう。
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