はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

笠ヶ岳に登りました その1

2015-07-31 22:00:07 | 山歩き
笠ヶ岳(2,898M)は、穂高岳の近くにある山ですが、知名度は低いようです。穂高などのメインとなるルートからは離れているので、訪れる登山者も少ないようです。しかし、深田久弥さんの「日本百名山」にも選ばれている山の一つです。
(弓折岳付近からの笠ヶ岳)
笠ヶ岳には、3年前の夏にも登りに行ったのですが、途中で足がつってしまい断念した山です。そんなことがあったので、今回は少しだけトレーニングをして登山に臨みました。一人では不安だったので、30年来の山仲間のアラちゃんに同行してもらいました。
(山旅仲間と新穂高を出発)
今回は、小池新道から鏡平山荘に1泊して、笠ヶ岳をめざす初心者?コースです。体力もないので、ちょうどのコースかな。
7月28日午前7時、小雨の降る中を出発しました。今回も天気には恵まれませんでした。自慢ではありませんが、30年間、山で雨具を着ないで済んだのは三分の一ぐらいです。
(車止めのゲート)
わさび平の小屋を過ぎると、いよいよ本格的な登山道がはじまります。
今年は残雪が多いのか、いつもの登山道が雪で覆われていて、巻き道が作られていました。
(雪渓が残る1500M付近)
途中で沢を渡ります。涼しい風が吹いています。(大阪は厳しい暑さだったとか。)曇りの天気も上りにはいいものです。頂上が天気だったらいいやと、都合のいいことを考えながら登ります。
(秩父沢にかかる橋)
今年の山登りの一番の収穫は、たくさんの高山植物に出会えたことです。花の名前は10種ぐらいしか知らないのですが…。とくにコバイケイソウは当たり年だったようです。(注:花の名前は怪しいです。)
(ハクサンシャクナゲ)
(ミヤママンネングサ)
(ソバナ)
(ミヤマキンポウゲ)
(クルマユリ)
(コバイケイソウは当たり年)
きれいな花に励まされながら、足もつることがなく、ゆっくりゆっくりと、3時30分頃に、無事に鏡平の小屋に着くことができました。標準時間よりは、かなりオーバーしていましたが、これでいいのです。「ぼちぼちいこか」です。
(鏡平山荘)

つづく。

越前紀行 平泉寺(白山神社)

2015-07-26 10:15:26 | 寺社めぐり
福井県勝山市に行ったので、前から行きたかった平泉寺(へいせんじ)を訪れました。平泉寺といったら、東北の「ひらいずみ?」と思われるかもしれませんが、まったく違います。越前にあったお寺で、戦国時代には48社、36堂、6千の坊院が立ち並び、僧兵は8千人もいたと言われる大きなお寺でした。
白山信仰とも深い関わりのあるお寺で、越前側の禅定道の拠点でもありました。
(平泉寺への入口)
平泉寺を訪ねるにあたって、我が司馬遼太郎さんの『街道をゆく18 越前の諸道』を読み返しました。司馬さんはかなりのページをさいて平泉寺のことを書いています。
(参道と菩提林)
1574年(天正2)一向一揆の攻撃を受け全山が焼失します。(天正2年というのは、越前の大名朝倉氏が織田信長に滅ぼされた翌年です。)ちなみに、「勝山」という地名は、一揆方の城塞のあった「村岡山」を、勝利の喜びからあらため命名したそうです。
(一の鳥居)
その後、再興されましたが、明治の神仏分離令にもとづき、白山神社となりました。ということで、今は、平泉寺白山神社と呼ばれています。
 (苔におおわれた参道)
司馬さんも書かれていますが、苔がまことに美しい寺です。「十余年前、ここにきたとき、広い境内ぜんたいが冬ぶとんを敷きつめたようにぶあつい苔でおおわれていることに驚いた。京都の苔寺の苔など、この境内にひろがる苔の規模と質からみれば、笑止なほどであった。」
 (苔におおわれた境内)
これほどの寺なのに、訪れている人はまばらで、しばし中世の静寂の世界に浸ることができました。
 (ひっそり佇む拝殿)
この平泉寺では、現在も発掘調査が続いており、山林や田畑の下から、坊院跡や、石畳道が発見されているそうです。


越前に行けば、越前そばを食べたいですね。今回は、北陸道福井北インターからすぐの所にある「けんぞう蕎麦」という蕎麦屋さんでいただきました。もちろんおいしかったです。
(おろし蕎麦)

地車囃子にさそわれて(天神祭)

2015-07-25 21:30:03 | 大阪のまちをぶらり
大阪の祭りといえば、やっぱり天神祭ですね。それも本宮の船渡御(ふなとぎょ)と花火が有名ですが、昼間の陸渡御(りくとぎょ)も見応えのある神事です。

行列の先陣をつとめるのが、催太鼓(もよおしだいこ)です。太鼓を打つ人たちは願人(がんじ)といわれる人たちです。頭にかぶっている真紅の頭巾は「投げ頭巾」と呼ばれるものです。






次に地車囃子を響かせながら地車がやってきました。「チキチンチキチンチキチンコンコン」この音が天神祭の音ですね。鉦の音が頭に響きます。






つづいて、軽快なお囃子とともに、獅子舞・笠踊り・四つ竹などの行列が続きます。






天神さまといえば牛ですね。牛もやってきました。


暑い中での陸渡御でしたが、なかなか楽しめました。(天満宮を午後3時半スタートです。)
このあと、いよいよ船渡御がはじまるのですが、人もどんどん増えてきたので、帰路につきました。(あとは、テレビで見ることにします。)

昼間の大川では、船が一艘にぎやかに漕ぎ出していました。

ジュラ紀を旅してきました

2015-07-25 11:17:03 | 知らない街をぶらり
恐竜好きのお友達、クミさんのリクエストにお応えして、福井県は勝山市にある恐竜博物館に行って来ました。

いきなり恐竜さんがお出迎えです。恐竜さんの活躍していた頃は約200000000年まえ、もちろん人類はいません。(一、十、百、… 。お手数をおかけしました。2億です。)本当は、もっと詳しく分けられていますが、簡単に言うとです。地球の歴史は約40億年というのですから、恐竜さんの生きた時代は、地球の歴史から見ると、わりと最近ということですね。ちなみに人類の歴史は、20万年前(ホモサピエンスの誕生)といわれていますが、いずれにしても気の遠くなるような話です。

よく地球の歴史を、1年のカレンダーに表しているのがありますが、ホモサピエンスの誕生は、12月31日の午後11時37分にあたるそうです。こんなスケールで考えると、人間の歴史なんて実にちっぽけに見えてきますが、それはそれとして、やっぱり毎日の一瞬一瞬は大事にしたいものです。

NHKのスペシャル番組で『生命大躍進』というが3回シリーズで放送されていたのですが、人が人となるための決定的な鍵となった出来事があったようで、幸運が重なって今の私たちが生まれてきたことを教えてくれました。
そうして得た「高い知性」を今の人類は、賢く使っているのでしょうか?絶滅した恐竜さんにお聞きしたいですね。

ところで、この博物館は想像していたよりもすばらしい施設でした。恐竜マニアから子どもまで、誰もが楽しめるようにしてあり、広い建物の中には、たくさんの標本(本物も多い)や復原模型などもありました。
(エスカレーターで地下をめざす)
(恐竜さんの標本) 
(広いフロアー)

福井県は恐竜県として売り出しているようですが、お隣の石川県(峠をひとつ越したところ)にも白山恐竜パークというのがあるそうです。
きっと大昔、この辺りは、恐竜さんの王国だったのでしょうね。

この夏はどこへ行こう (青春18きっぷの旅)

2015-07-22 13:02:41 | 鉄道の旅
「青春18きっぷ」を買いました。(この切符の話は以前にしたので、詳しいことは書きません。)
ついでに、本屋さんで『大阪駅から行く青春18きっぷの旅』(京阪神エルマガジン社)という雑誌を見かけたので、買っちゃいました。


これまでに日帰りで、名古屋(3/16ブログ)・福井(4/7ブログ)・伊賀上野・橋本などを訪れました。
大阪からは、米原方面なら新快速、和歌山方面なら紀州路快速、奈良方面なら大和路快速を利用すれば、効率的に旅をすることが出来ます。その後は、ゆっくり各駅停車の旅になりますが。

ところで、「青春18きっぷ」のポスターはご存知ですか?JRの駅構内でよく見かけました。(阪急電車にはありませんが…。)すばらしい写真と泣かせるキャッチコピーで、すぐにでも旅に出かけたくなるポスターでした。過去形になっているのは、すでに作られなくなったからです。やっぱり新幹線の方が儲かるからなんでしょうか?こんな旅も大事にしてほしいですね。(新幹線の旅も好きですが…。)

2000年冬のポスターです。モデルは予讃線・下灘駅。キャッチコピーは「前略、僕は日本のどこかにいます。」

いつかは、こんな写真を撮ってみたいなと思っているのですが…。

この「青春18きっぷ」ですが、7月20日から9月10日が利用期間です。
さて、この夏はどこへ行こうかな。