はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

日課となった淀川散歩

2020-04-30 19:31:31 | 淀川散歩
久しぶりにカメラを持って歩きました。と言ってもいつも歩いている淀川散歩です。
外出自粛をはじめてから、かれこれ3週間以上になりますが、毎日1時間ほどの淀川散歩は続けています。
夏山に向けて(登れるのでしょうか?)少しは体を動かしておかないいけません。

この間、思い出シリーズでつないできましたが、今日は久しぶりにとれたてブログです。(明日からは、また思い出になりそうですが。)

土手に上がると、梅田方面のビル群が目に飛び込んでくるのが良いのです。



草の穂が風に揺れて綺麗だったのですが、上手く捉えられません。



これはナヨクサフジです。花アプリをとったというマエクミさんに調べてもらいました。スマホの花アプリは便利なもののようですね。



橋梁の手前の高さ制限の柱です。



ここに来たら必ず撮ってしまいます(笑)



赤川橋梁をおおさか東線の電車が走ります。各車両に1〜2人の乗車でした。この鉄橋も何年か前までは、人も歩いて渡れたのですが。



水際のナヨクサフジです。



河川敷の道路から川へ下りて行く道です。釣り人が通っている間に出来た「けもの道」みたいなものです。



この白い花は‥(?)アプリで調べてください。



土手を自転車で走る子どもたちです。家に閉じこもっているのは、本当に可哀想です。



何かわかりませんが、新芽です。



こちらは枯れても味があります。



土手に不動明王さんが祀られています。毎日ここで疫病退散をお祈りしています。



毎日、1時間程度のウオーキングでは体力づくりにはなりませんが、家でじっとしているよりはマシです。
山や川に行きたい気持ちをおさえて、我慢の日々はまだ続きそうです。
そんな折、八ヶ岳で遭難があったそうです。滋賀県でも‥。登る人は「自分の勝手でしょう」で済むかもしれませんが、救助に向かう人たちや医療関係者はどんな思いだったのでしょう。
今は、じっと我慢でしょう。ステイホームです。

※訪問日 2020.4.30

思い出のネパール(最終回)

2020-04-29 19:15:15 | 海外の旅
「思い出のネパール」も今回が最終回です。
ポカラから再びカトマンズに戻って来てました。カトマンズでは2日間、町歩きを楽しみました。

私たちは目玉寺と呼んでいましたが、ボダナートです。



マニ車を回します。1回まわせばお経を1回読んだことになるそうです。



灯明がすごかったです。



カトマンズの町の向こうにうっすらとヒマラヤが見えていました。



1月4日、ネパール最後の日です。最後の半日を必死に楽しみました。アンナプルナ寺院です。



カトマンズの町もこれが見納めです。



これも寺院です。笛売りがいました。



私もすっかりネパーリーになりました。



チベット仏教のストウーパです。カトマンズは「人よりも神々のほうが多く住む町」といわれています。



リクシャにも乗りました。最初の交渉では50Rでしたが、いろいろ走り回ってガイドをして、最後に100Rといわれました。まあ、いいでしょう。



カトマンズ空港からバンコク行きのタイ航空に乗り込みます。



さらばネパール、さらばヒマーラヤ。



このあと、バンコクでも2泊して観光地もまわりました。しかし、ネパールの印象が強すぎたのか写真もほとんど写さなかったようです。
そして、1月6日に無事に大阪空港に到着しました。

33年も昔の旅でしたが、いまでも印象に残る旅です。ネパールで出会った風景も、人々の素朴な心も忘れることはありません。
再び訪れたいと思うのですが、もうネパールを旅する気力や体力はありません。若いうちに行って良かったと思います。

<完>

思い出のネパール(5)

2020-04-28 19:53:11 | 海外の旅
ポカラには、ゆっくりと6日間滞在しました。毎日、ヒマラヤを眺めて幸せな日々を過ごすことができました。
あれから33年が経ち、今のネパールは随分変わったことと思いますが、当時は本当に長閑な町でした。

カンティプアホテルの朝です。1月1日ですが、ネパールではお正月のお祝いはありません。



イミグレーションオフィスへビザの延長の手続きに行ったら、飛行機で一緒だったT夫婦と再会しました。



息子はホテルのお兄ちゃんとすっかりお友達になりました。後ろのおばさんは、アンモナイトを売っています。
この日の写真はこれだけしか残っていませんでした。もう撮るところも無くなったのかもしれません。




1月2日の朝です。この日は、6日間滞在したポカラを出発する日です。お世話になったホテルの皆さんと記念撮影です。5泊6日ありがとうございました。



帰りもタクシーです。往路で乗ったタクシーの運ちゃんに迎えに来てとお願いしていました。本当に来てくれるのか心配でしたが、約束通り迎えに来てくれました。
朝もやの中、チェックポストを通過です。



さらばポカラ、さらばヒマーラヤ、さらば牛さんです。



道中のチャイ屋さん。ここのは美味しかったです。1杯2Rでした。
日本に帰ってからチャイを作ってみましたが、なかなかネパールのような味にはなりません。



幹線道路をカトマンズに向かいます。



幹線道といってもデコボコの悪路です。道路事情は今もあまり変わっていないようです。



トヨタです。帰りはT夫婦も一緒でした。ここのレストラン(?)でカリーを食べましたが、美味しかったです。ネパールで食べたカリーは、本当に美味しかったです。
カリーは基本は手で食べますが、外国人の私にはスプーンをつけてくれました。



そして、再びカトマンズです。次回は、カトマンズの町歩きです。



<つづきます>

思い出のネパール(4)

2020-04-27 19:16:16 | 海外の旅
この日は、ヒマラヤの展望台サランコットの丘に登りました。(1987年12月31日)

ポカラ4日目の朝です。息子の背負っているリュックは、中古で280ルピーで購入しました。



ホテルの前から相乗りのタクシーで登山口のあるお寺まで行きました。



サランコットへの登り道です。ちょっとしたトレッキング気分です。



勝手について来たガイドです。ガイド料10ルピーと言われましたが、4ルピーとボールペンで勘弁してもらいました。



少女が大きな荷を背負っていました。



頂上は、まだまだ遠いようです。



2時間半歩いて、やっと頂上です。頂上からは絶景が広がっていました。この景色を見るためにネパールにやって来たと言ってもいいくらいです。
左の白くて高い峰はアンナプルナサウスで、その右手がアンナプルナⅠ峰(8,091m)です。



一番高いピークがアンナプルナⅡです。



この写真では無理ですが、マナスルも見えました。マナスルは日本人が初めて登った8,000m峰です。



マチャプチャレまでは、直線距離で30キロだそうです。



息子はジュース売りの少年とサッカーに興じていました。子どもに国境はありません。



下山路の風景です。日本にもあるような段々畑のある山里の風景です。



パイナップル畑もありました。ペタワ湖が近づいて来ました。



後ろの山を下りて来ました。下りも2時間半かかりました。丘を下りた所からホテルまでは、ペタワ湖をボートで帰りました。



この日は大晦日なので、ディーナーも豪華にしました。ホテルのレストランで一番高いビーフバーベキュー(60R)にアメリカンチャプスイ(30R)、ダルバート・タル・カリー(20R)、ビール(50R)、ミルクティーです。



すっかり顔見知りになったホテルマンたちです。



<つづきます>

思い出のネパール(3)

2020-04-26 19:05:05 | 海外の旅
ポカラ、三日目の朝です。(1987年12月30日)

ヒマーラヤの風景です。左のマッターホルンのような山はマチャプチャレ、その右がアンナプルナⅢです。アンナプルナの方が高いのですが、マチャプチャレの方が近くにあるので高く見えます。
その右がアンナプルナⅡ、アンナプルナⅣと続きます。主峰はマチャプチャレの左手にあるのですが、ここからは見えません。アンナプルナは、初めて登られた8,000m峰として知られています。



この日は、自転車を借りてサイクリングを楽しみました。



牛さん、どいて。車より牛に注意です(笑)



チャイ屋さんで休憩、チャイをいただきます。ちなみに、昼食はチベタン食堂でモモをいただきました。



ヒマーラヤを眺めながらのサイクリングです。



ちなみにレンタサイクルは1日15ルピー(90円)です。



「バイシクルに乗せてくれ」あっという間に乗り込まれました。



参っている連れ合いさん。ネパールの子どもたちはみな人懐っこかったです。



ダムサイドといわれる所へやって来ました。なんとなく懐かしい風景です。この辺りに、スルジェ館があったそうです。



スルジェ館というのは、『ヒマラヤの花嫁』の著者の平尾和雄さんと妻のスルジェが営んでいた民宿です。



その日の夕方、牧草地で冥想です。ナマステ。



<つづきます>