昨日、お隣の公園をお買い物のために通りすぎたところ。
鯉の棲む沼あたりでカメラマンの皆さんが三脚を立て、さざんかの花の咲いているあたりを狙っています。
そう、皆さんのお目当ては翡翠の映像を撮ることです。
翡翠は俳句では夏の季語ですが、四季折々飛んでいるコバルトブルーの、それはそれは美しい鳥です。
私も立ち止まり、そのあたりを眺めましたが、見あたりません。
「いまはいませんよ」
カメラマンのおひとりが、そう言ってお声をかけてくれました。
「翡翠の止まり木はどれですか?」
尋ねてみると、
「これです」
りっぱな望遠レンズのついたデジカメで、映像を出すと見せてくださいました。
「この枝ですか?」
「そう。この横に流れている枝が、翡翠の止まり木です」
と、そんなわけで、翡翠はキャッチできず、止まり木だけをパチリと。
鬱蒼とした沼の茂みは、さざんかの赤だけがやけに鮮やかで、止まり木はまるで翡翠の座る玉座のように、そこだけひかり輝いていました。
鯉の棲む沼あたりでカメラマンの皆さんが三脚を立て、さざんかの花の咲いているあたりを狙っています。
そう、皆さんのお目当ては翡翠の映像を撮ることです。
翡翠は俳句では夏の季語ですが、四季折々飛んでいるコバルトブルーの、それはそれは美しい鳥です。
私も立ち止まり、そのあたりを眺めましたが、見あたりません。
「いまはいませんよ」
カメラマンのおひとりが、そう言ってお声をかけてくれました。
「翡翠の止まり木はどれですか?」
尋ねてみると、
「これです」
りっぱな望遠レンズのついたデジカメで、映像を出すと見せてくださいました。
「この枝ですか?」
「そう。この横に流れている枝が、翡翠の止まり木です」
と、そんなわけで、翡翠はキャッチできず、止まり木だけをパチリと。
鬱蒼とした沼の茂みは、さざんかの赤だけがやけに鮮やかで、止まり木はまるで翡翠の座る玉座のように、そこだけひかり輝いていました。