太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

もう少しのところで

2020-08-17 06:59:36 | 思い出話
昨日は猛暑続きの中で曇天となり気温は2度くらい低かった。少し凌ぎやすい日だったが雨が降りそうで降らない。空気中の水蒸気はこれでもかと溜まり湿気の圧力が全身を圧迫するような感じだった。もう少しのところで打ち水がわりの夕立になるとろこが残念であった。昔は全国で講演をする機会が良く有った。一般市民の方々に太陽光発電を理解してもらい普及促進に資する目的である。講演後会場から質問を受けることが常であった。ある時「太陽電池は儲かるから元は直ぐに取れると聞いて設置したがとても取れそうにない。騙されたのではないか。」というものだった。確かに儲かるとは行かず20年くらいでやっと元が取れるかどうかの時代であった。「確かに営業マンのオーバートークがあったかも知れません。ただ儲からない損をしたと考えるよりも近所の方はどう思うでしょう。あの家は儲かりもしない太陽光発電を環境貢献のために設置している。見上げたもんだと心の中で賞賛、尊敬されているのではないでしょうか。多少の利益を得るよりもずっと価値がある、これこそプライスレスというものです。」我ながら上手い返しだった。質問者は納得が行ったようないかないような不思議な顔をして座ったがもう少しのところで詭弁だと罵られるところだった。
昨日は「GOTOは割増に」というブログを書いた。GOTOトラベルの発案者とか言われている経産省の幹部の方が所管部署の部長だったころグーの音も出ない説明を受けたことがある。「確かに環境貢献とかブランティア精神で太陽電池を設置されている方々は立派なものです。しかし市場を見るとボランティアの限界でもあります。皆さん方も今の普及状況に満足しているわけではないでしょう。私はこれに経済性を加えて普及させたいと思っています。」と。この人がFIT制度発足に多大な貢献をしたことは業界の一致するところである。確かに経済性さえ克服すれば普及することが証明され(技術課題はない)市場は飛躍的に増大した。もう少し長く親しく付き合えていたら菊池桃子さんにお目にかかれたかも知れない。このままで行くとジャンボも前後の前後賞くらいが限界だろう。良い事も悪いこともいつももう少しという人生である。