西日本の方には悪いがこちらは朝夕少し涼しくなってきた。秋はそこまで来ている。秋だから何かをという事も無いが酷暑で水分を取り過ぎた秋口に胃腸の調子が悪くなることがあるから気を付けなければならない。と言ってももう取り過ぎているからどうしようもないが。凡夫でこれだから首相は持病を抱えて大変だろう。実は首相と同じ病気で3年前に可愛がっていた部下を亡くしている。その知らせが届いたのはこちらがリタイアして3年も経っていた頃だ。新入社員のころから面倒を見ていた男なので気を利かして社員が連絡してくれたのだろう。彼が難病を患っていたことは入社後何年も経ってから知った。入院したことも痛いと言ったこともなく休暇を取った記憶も無い。それどころか筋骨隆々だったので持病を知った時はまさかと思った。ただ極端な偏食だけは気になっていた。弁当に鰹節をかけただけの所謂猫マンマを弁当に持ってきたり、クラッカーだけを何日も続けて昼食代わりにしていたからだ。病気を知ってからは、今日は食べられるかと聞いたりしていたが、大概は大丈夫ですという返事だった。その日に今日はこれが食べられるという物がハッキリしていたようだ。偶に肉など食べているのを見ると、大丈夫と聞くと今日はOKですと元気に答えていた。
持病があることなど知らず新入社員だった彼を海外プロジェクトのメンバーに加えた。5年くらいの間に数十回海外に連れて行ったことはブログに書いた。食料事情の悪い国だったので日本からある程度自分が食べるものを持参していたのだがこちらは缶詰やら即席めんだったが彼は子供の遠足のおやつのようなものばかりだった。自分は食べないのに彼がホテルの部屋で電気ポットを使ってつくるお粥は絶品だった。標高が少し高くご飯は上手く炊けない。お粥は焦げ付かないように適度に箸でかき混ぜるのがコツだが実に手際が良く中国のホテルで朝食にあるお粥と遜色ない。時々日本から役人が一緒に行くことがあったが最高のもてなしは部屋で作るお粥だった。この国に来て一番うまいものだと感謝されたことは人が変わっても何度あった。現地は何を食べてもマトンの匂いがついているから新鮮だったのだろう。
海外プロジェクトが終わり彼は別部署になったが丁度こちらが本社に単身赴任していた頃彼は精神的に病んでしまった。真面目一本鎗で不平不満など一切口に出さない性格で責任感も強い方だった。年もいってグループのリーダーをしていた。営業からの容赦ない要求や客先訪問など、ある意味最も不得手ば仕事だ。長期に休養が必要となった頃彼に偶然会う機会があった。君に能力があることは若い頃から分かっていた。焦ることはない。何時出て来ても直ぐに皆に追いつく。一旦仕事のことは忘れて治療に専念するようにと言ったらありがとうございますと短い返事だった。彼の上司のところにも行き、持病のことは知っているだろう、生真面目で手を抜くことも知らない。技術屋としては大変優れている。復帰したら職場を考えてやれと進言した。こちらの本社勤務の間に復帰し、少し負担の軽い部署になったようだった。しかしこちらがリタイアして間もなく彼が亡くなったと連絡があった。持病の悪化であった。40歳になった頃だ。海外では白系ロシア人に間違われるような端正な顔立ち、無口で決して愚痴や弱音を吐かなかった彼だが最後は病気に勝てなかった。勿論最高の医療スタッフがついてあるであろう安倍さんは大丈夫だろうがストレスが溜まるような仕事は早めに避けた方が良いと思う。目に見えないストレスは最大の敵である。多分日本で一番ストレスの溜まる職業だと思うが最高責任者には職場を変えよと命令する人はいない。また溜めようと思っていないのに溜まるのがストレスである。
持病があることなど知らず新入社員だった彼を海外プロジェクトのメンバーに加えた。5年くらいの間に数十回海外に連れて行ったことはブログに書いた。食料事情の悪い国だったので日本からある程度自分が食べるものを持参していたのだがこちらは缶詰やら即席めんだったが彼は子供の遠足のおやつのようなものばかりだった。自分は食べないのに彼がホテルの部屋で電気ポットを使ってつくるお粥は絶品だった。標高が少し高くご飯は上手く炊けない。お粥は焦げ付かないように適度に箸でかき混ぜるのがコツだが実に手際が良く中国のホテルで朝食にあるお粥と遜色ない。時々日本から役人が一緒に行くことがあったが最高のもてなしは部屋で作るお粥だった。この国に来て一番うまいものだと感謝されたことは人が変わっても何度あった。現地は何を食べてもマトンの匂いがついているから新鮮だったのだろう。
海外プロジェクトが終わり彼は別部署になったが丁度こちらが本社に単身赴任していた頃彼は精神的に病んでしまった。真面目一本鎗で不平不満など一切口に出さない性格で責任感も強い方だった。年もいってグループのリーダーをしていた。営業からの容赦ない要求や客先訪問など、ある意味最も不得手ば仕事だ。長期に休養が必要となった頃彼に偶然会う機会があった。君に能力があることは若い頃から分かっていた。焦ることはない。何時出て来ても直ぐに皆に追いつく。一旦仕事のことは忘れて治療に専念するようにと言ったらありがとうございますと短い返事だった。彼の上司のところにも行き、持病のことは知っているだろう、生真面目で手を抜くことも知らない。技術屋としては大変優れている。復帰したら職場を考えてやれと進言した。こちらの本社勤務の間に復帰し、少し負担の軽い部署になったようだった。しかしこちらがリタイアして間もなく彼が亡くなったと連絡があった。持病の悪化であった。40歳になった頃だ。海外では白系ロシア人に間違われるような端正な顔立ち、無口で決して愚痴や弱音を吐かなかった彼だが最後は病気に勝てなかった。勿論最高の医療スタッフがついてあるであろう安倍さんは大丈夫だろうがストレスが溜まるような仕事は早めに避けた方が良いと思う。目に見えないストレスは最大の敵である。多分日本で一番ストレスの溜まる職業だと思うが最高責任者には職場を変えよと命令する人はいない。また溜めようと思っていないのに溜まるのがストレスである。