太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

再生可能エネルギーを使わない幸せ

2015-08-09 21:42:08 | 仕事に関すること

TVのコマーシャルで空撮した洋上風力発電(北海と思うが)が映った時、ふと「もし世界中が風力発電に頼らなければならない時が来たらどうするのだろう。」と思った。風力に限らず太陽もそうだが「再生可能エネルギーしか頼るものが無い世界」は石油や天然ガスも枯渇が明らかになり、近未来のアメリカ映画に見る荒廃した都市でならず者がそれを奪い合い、国家間ではエネルギー確保の戦争が起こり、途上国の車は高級官僚だけが使える物となり、温暖化は生態系を一挙に変える臨界に達し、原発はゴミの山や大事故が世界的問題となり、化石燃料から再生可能エネルギーへの転換が待った無しの状況だったらどうする。シェルシナリオを読み返すまでもなく化石燃料は確実に枯渇と温暖化という道筋を歩む。そして化石燃料の次は太陽エネルギー(PVも風力もバイオも)というシナリオも誰も否定できない。代替再生代替エネルギーは残念ながら地球規模では開発もされていないし、想像の領域にも無い。我々は現在、化石Eと再生可能Eを結んだ線上の何処かに居る(原発は限られた地域で過渡的に使われる)。逆説的であるが、あの洋上風力に頼らなくとも済んでおり、太陽光発電の系統接続問題を議論しているとき、サーチャージが高いと文句が言える時、それは大きな意味で地球的危機には至っていない間接的証明といえる。それは化石と再生の線上ではまだ化石に近い所に居ると言うことである。再生可能E世界の到来は一部の人達の逞しい想像力と多くの人たちの確信なき希望の上に描かれる。この線上の中間点を過ぎ、多くの人達が現実のものとして再生可能E世界を描くとき、それが絶望と破滅の結果として「描かざるを得ない」ものならそれは人類にとって不幸である。1976年にAmory Lovinsが提唱した「ソフトエネルギーパス」から40年、化石E時代に近い今、再生可能Eを使わなくとも世界が何とか回っている幸せなときに、そろそろ真剣に考えなくてはならないのでは!!?



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