太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何故ネットニュースに反応するのか

2019-08-13 08:07:03 | 日記

これまで書いたブログには結構ネットニュースネタがある。特に興味があるという訳ではなく、毎日ブログを書くと決めた日からそう毎日珍しい経験や事件が起こるものではない。ロビンソンクルーソーのように毎日新しい発見や経験があればネットなど見ないだろう。いや、ロビンソンクルーソーだって日々の出来事とは別に自身の信仰心について結構紙面を割いている。きっと毎日のネタなど無かったのだろう。朝起きていつものように食糧捜しに出掛け午後は昼寝で過ごしたでは物語にならない。似たところと言えば食糧捜しの代わりにコンビニにいくところか。心の内を描写すれば幾らでも話は広げられる。日常生活では毎日新しいことが起これば結構疲れるだろう。ましてや事件、事故級の出来事が連日身に降りかかっては堪ったもんではない。小人閑居して為すこと無し状態である。不善よりはマシだろう。

お盆と終戦記念日を前にするとどうしても感傷的になってしまう。記録映像で平原を大勢の兵士が突き進んで行く場面を見ると毎回喉が締め付けられる。ありの大群のように突撃する個々の兵隊さんは、家族も、かって持ったであろう夢も、戦いにかける意気込みも数の通りにある筈だ。弾に当たって倒れた瞬間に全てが消え失せる。ほたるの墓だって毎回泣けてしまう。父親も戦争の世代だったが戦争の話は聞いたことがない。歩哨か何かで門の傍で銃を持って立っている写真はあったがそれが中国だとは言っていた。戦争末期であり国内で飛行機の整備しが不足だということで直ぐに内地に呼び戻されたそうだ。戦闘経験は無かったと思うが本人は目の上の傷跡を弾がかすめたと言っていた。戦争についてどう思っていたかなど聞いた事が無い。多分あまり深く考えていなかったのだろう。軍隊では若旦那とか分限者とかあだ名がつけられたようだが顔つきからきたのだろう。親が財産を食いつぶし、おまけに関東大震災で家屋敷も全て失って流浪に近い青年時代を送ったから若旦那には程遠い。私の世代では戦争と言えばベトナム戦争やカンボジアの内線、クメールルージュの方が身近に感じられる。これだけ平和になっても未だにベトナムやカンボジアに観光旅行などする気にならない。

年齢も近く同業だった仲間が二人も亡くなったのも夏である。彼らが先に逝く理由など何も無かった。二人とも病が見つかってから数か月しか経っていなかった。もしあの世があるならきっと今頃は下を眺めながら、ボーっと生きてんじゃねえよと叱っているだろう。最近戦中の極秘文書が日米で次々公開されている。知らなかった戦争、暑い夏の日、甲子園スタンドで応援するチアガールの屈託のない笑顔がなんだかシンドイ。