参院選が7月21日投開票となった。各党候補者選びや公約の発表などが伝えられている。公約の一つが年金に関することだろう。年金食いと思われている団塊世代として一言。100年安心など必要ない(これは100歳まで生きても大丈夫なのか制度自体が100年は揺らがないという意味か)。それほど生きやしない。確かに年金食いだが納めてもきている。今更、どの政権の時はどうだったとかちゃんちゃら可笑しい。人口動態をみていればなど年金暮らし人口と、年金を支える現役世代が減って行くなど子供でも分かるだろう。それを経済成長による税収増という約束手形で補って説明してきたから問題なので政治全体の不作為と言わざるを得ない。高齢者の就労を増やして支え手を増やすとは今更何をである。60とか65で定年を迎え、再雇用では給与は3~4割に激減し、如何にもお荷物扱いにしてきた会社や社会は何だった。もっと早く高齢者が働く社会に向けて準備しておくべきだったろう。やる気満々、体力だって5年やそこら大丈夫という段階世代は山ほど居た。もう遅い。参院は任期6年ある。それこそ長期政策を練る院には適している。それなのに総選挙じゃあるまいしタレントさんがまたぞろ。もう懲りたでしょう、前例で。
高齢者の特徴は何か。食にある。若いころからコーヒーは好きで、今でも朝はパンとコーヒーである。ちょっと間があると昼間も飲む。だからといってコーヒー通ではない。あの色と名前が付いていればよいのである。コンビニの100円コーヒーすら随分美味いと思う貧乏舌だからお得である。最近は少し飲み方が変わってきた。良く飲むのでインスタントコーヒーではあるが一度に作る量はコーヒーカップの3分の一か4分の一である。カップ一杯は一度に飲む量としては多過ぎるのである。従って飲む量全体としてはそれほど多くはないと思う。思えばたまに飲むコカ・コーラも100円の小瓶である。昔はオロナミンCやヤクルトの容器は何故こんなに小さいのだろうと思っていたが今は適量である。食べ物についても似たようなところがある。若いころは肉などランクよりはグラム数優先であった。西部劇などでカウボーイが巨大な牛肉を串刺ししてバーベキューをするところなどは垂涎(すいぜん)の的であった。しかし良く考えてみると腹一杯食べることは最後の方は味も感激もない筈である。今はどんなものでも良いから小鉢に分けて種類が多い食事の方が好ましい。一鉢くらい美味くないものがあっても気にならない。かと言って多ければ良いというものでもないのは集団で歌い踊るアイドルだ。個々の名前は一切知らない、覚えられない。精一杯頑張っても3人グループまでである。
飲み物食べ物に対する執着は年とともに変わって行く。多分これは生活全般にも通じるところがあるように思う。何時手に入るか分からない大金より絶えることない小金である。多くの拘りが瓦解していく。量より質、質より種類である。若いころ本格的な京懐石をご馳走になる機会があった。膳に並べられているのではなく一品づつ運ばれいちいちこれは何処そこの産でとレシピまで説明される。俺は小鳥かと思ったが今なら堪能できる筈である。ところが残念ながら今はご馳走になる機会そのものが無い。小ォ~分けのコォ~ヒィ、ヒィ~トリで飲もおォッ・・・と。!