太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

旬と言っても良いものかどうか

2019-06-07 07:40:42 | 社会観察

連日お年寄りによる重大な交通事故が頻発している。3日くらい同じような事故が続いている。殆どはアクセルとブレーキの踏み間違いによる運転操作ミスが原因だ。ニュースを見ながら、まさか自分には起こらないだろうと思った人は100%だろう。これを旬と言って良いものかどうか。旬は基本的には1年の中でのことだから適確ではないが、昔に比べて高齢ドライバーが増えている社会だから来るべきものが来たと言える。反射神経や視力の衰え、飛び出してくる、曲がるかも知れないなどの、かも知れない運転の予測範囲も狭まり、場合によっては運転中の急病だってありうる。お年寄りは突然どこかからやってきたわけではない。人口動態を見ていれば明らかに時間通りやってきたのである。ところが社会は意外とその準備がなされていない。精々目に付くのは駅近くにあった豪華結婚式場は葬儀屋と入れ替わって年寄を待ち受けている。駅前にやたら体操教室とリハビリの整形外科が増え、1円パチンコも増えた。明らかにこれらはお年寄り狙いである。

車社会は意外と対応が遅れている。車の各種安全装置は今頃売り出し始めたところで、標準装備は限られている。後付けではお金も掛かるし今日明日はまだ大丈夫だろうと思ってしまう。宝くじは当たるかも知れないと思っても交通事故を起こすかも知れないと考える人は極々稀であろう。人口動態と社会の動きを見ていれば高齢ドライバー故の事故が増えて来るというのは容易に想像できたはずである。車の事故に限らずお年寄りが増えてくるとこういう事が起こるという事例は沢山あるだろう。非生産的な年金や医療費喰らいと言われ、すぐブチ切れるというのは悪しき側面である。この悪しき側面は何れピークを過ぎて駅前の施設のお世話になると考えるのは余りに消極的対策である。人口動態から来るべき近未来はある程度予測できる。負の側面に備える社会を作らなければならない。それにしても一つくらいは積極的な、お年寄りが旬と言われるような良い出来事は無いだろうか。お年寄りの犠牲的奉仕精神によってのみ為し得るとしたらこれから向かう身としては些か寂しい。お年寄りが増えるとこんなに良い事が起こるという社会的発見運動でも起こらないだろうか。