ジローのヨーロッパ考

デンマークやドイツの農家に長期(?)滞在、体験したり感じたことを綴ります。

ドイツ・ラーデンに到着

2014-02-21 15:04:15 | 日記
2013年8月22日、環境先進都市のミュンスターを離れ、ノルトライン・ヴェストファーレン州の最北部にあるラーデン(Rahden)と言う街に移動します。

駅のチケットセンターで行先を告げて鉄道チケットを入手しました。同一州内の移動と言うことで使用時間の制限(9:00~15:00)が付いていますが1日乗車券のようなものを発券してくれました。値段は30.5ユーロで個別に買うチケットよりはいくらか安いようです。ケルンからジーゲンに日帰り旅行した時も似たような配慮をしてくれました。感謝です。

発車時刻までしばらくあったので駅の構内で朝食をいただきました。4.05ユーロです。ついでに駅のトイレを利用してみました。ここは1ユーロで、これまでで一番高いトイレでした。

10時頃の列車に乗り約1時間20分でビーレフェルト(Bielefeld)と言う都市に着きます。そこで乗り換えです。乗り換え時間は20分ほどありましたのであわてる必要はありません。そして、11:50発のローカル列車に乗って終点のラーデンに向いました。約1時間の乗車時間です。3両編成の列車でしたが車両は外も中もとても綺麗でした。



定刻の12:50分にラーデンに到着しました。小さくて簡素な駅ですが綺麗な印象です。人口6千人の街と聞いているので相応の駅なのかも知れません。後から知ったのですが駅員は常駐していないそうです。

そしていよいよホストの人とのご対面です。予めメールで到着時刻を伝えてあったので、ホストのご主人(以下、Oさんと呼びます。アルファベットの”O”です。)がプラットフォームまで迎えに来てくれました。お互いに事前に顔写真を送っていたので容易に相手をみつけることができました。もっとも、降車する人で東洋人は一人でしょうから相手は間違えようがないのでしょうが・・・。

握手をして初対面の挨拶を交わします。Oさんは身長180cm強でしょう。年令は47才です(これは事前に聞いています)。重い荷物を車まで運んでくれました。愛車はアウディ、走行距離を見たら22万kmを超えています。いや~使い込んでいますね!

駅とホストの自宅は直線距離で500mぐらいなので、ものの数分で到着です。ラーデンそのものが大きくはない街で、その中心部分に近いのですが街外れに位置していると言う感じの場所にありました。到着して最初に私の寝泊りする部屋に案内され、荷物のみ置いて食堂に向います。この家では13~14時が昼食時間帯とのことで、ちょうどその時間に到着したのでした。(これは偶然です)


フランス人と聞いていた若者男女が1人づついました。お互いに軽く挨拶です。で、早速ランチの開始です。驚いたことにOさんが「味噌汁」を作っているのです。しかも主食には米のご飯が炊き上がっています。メインディッシュは野菜を炒めたようなものでした。いきなりの先制パンチを食らった感じです。(内心、ドイツなのだからドイツ料理がいいのに・・・)

但し、Oさんには申し訳ないのですが、確かに見た目は味噌汁ですがお味はと言うと正直言って今一です。彼は日本通でもあることは事前のメールで知らされていたのですが、「本当の日本食の味」は知らない可能性が高かったのです。彼は「精進料理」の本を持っているので作り方を教えて欲しいとも事前に言っていました。また、ご飯は明らかに「タイ米」でパサパサに近い炊き上がりだったので、味噌汁もそうですが、本当の味を知ってもらいたいとその時思った私でした。

もう一つ忘れてはならないことがあります。それは、到着直後に日本から持参したお土産を色々渡した時のことです。私の知人が作った有機栽培の味噌を800gほどハンドキャリーで持って行ったのですが、これを手渡すと。その場でパックの蓋を開けていきなり指を味噌の中につっこみ、少し指ですくってそのまま口へ・・・、そして「うまい!」。これも驚きでした。味噌のことを本当に知っているし、しばしば使っていることも事実のようでした。

昼食後は自宅でもある農場を案内してもらいました。先ずはこの家の歴史からです。先祖がこの地に暮し始めたのは1650年頃とのことです。そのことを示す書類が代々伝えられているようです。これは偶然のことですが、ミュンスターで締結されたヴェストファーレン条約は1648年のことで30年戦争を締めくくるものでした。Oさんの先祖が1650年頃からこの地に住み着いた云々は、想像するに30年戦争と関連があったに相違ありません。

ちょっと脱線しますが、30年戦争が終わった当時のドイツ人口ですが、それまでは2千万人以上であったものが8百万人程度に激減したとのことです。そのことから考えると、Oさんの先祖はその生き残りであったと言い切っても間違いではないでしょう。日本のその時代を思い起こしても類似の戦乱の世を経験していたかのようで、複雑な気持ちを抱くことになりました。

さて、Oさんは家の玄関付近を案内してくれました。そして木組みの太い梁を指差して言います。この家を先祖が建てたのは「1782年」だと。そうです。太い梁には1782の文字と建てた人の名前が刻まれています。つまり、この家そのものは約230年間使用していると言うことです。正直言って驚きでした。写真の黒い梁の最下段、左端に1782の文字があります。


母屋の他に、作業小屋、かつての家畜の飼育小屋、来客用のゲストハウス。全部で大小合わせて4棟あります。そして母屋には小部屋に分けられた地下室があります。母屋の真下のことなのでこれらも1782年当時に作られたことは間違いありません。今、その地下室を利用してマッシュルーム栽培をしているのでした。

庭も案内してもらいました。ここには花もたくさん咲いていますがメインはハーブの栽培です。1棟の温室(グリーンハウスと言う)がありました。中には数種類のトマトやメロン等の果実、そしてハーブ類もありました。

この自宅農場は面積で2700㎡とのことです。農場としてはとても狭いです。しかし、専業農家だとご本人は言い切っています。後から聞いたことですが、別の場所に農地が2ヶ所、その内の1ヶ所は貸していて、残りの1ヶ所は遊んでいる(休耕地)とのことです。その他としてアパートを4軒分保有しているとのことでした。

そして、マッシュルーム栽培は始めて5年経ったところで、これはOさんが専門に取り組んでいます。ハーブ関係は奥さん(Eさん)が専門に取り組んでいてお互いにあまりその面では干渉していないようでした。

当日はこうした案内をしていただいて一日を終えたようなものです。原則として作業は10時開始、昼休みが13~14時、午後は14~17時で合計6時間/日の作業時間です。月曜日~土曜日の週6日間は作業があって日曜日はフリーとなるのでした。

また、朝食と夕食がセルフサービスで、昼食はホスト側が調理等してくれると言うシステムでした。明日から具体的な作業に入ります。 ~続く~

最新の画像もっと見る

コメントを投稿