「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

JFA宮本新会長の時代と、J60クラブの時代

2023年12月07日 11時11分56秒 | FIFA、サッカー協会
このほどJFA・日本サッカー協会の新しい会長に宮本恒靖氏(46歳)が就任する見通しとなったことが報じられました。

日本サッカー協会会長といいますと、Jリーグスタート以降、1990年代前半から長沼健会長、岡野俊一郎会長、川淵三郎会長、犬飼基昭会長、小倉純二会長、大仁邦彌会長、田島幸三会長と受け継がれてきました。

この歴史をみますと、犬飼会長を除けば、いわば日本サッカー界における論功行賞的人選、あるいはスポーツ界特有の縦の人間関係で決まってきたと感じざるを得ません。

言い換えれば、その時代に日本サッカー協会のリーダーがどういう力量を備えていなければならないかとか、その時代の課題がどんなもので、リーダーがそれに対応できるのかどうか、といった視点を抜きに、次は誰にしようか、といった内輪の互選で決めていく時代ではなかったかと思っています。

その中で「犬飼会長を除けば」と申し上げましたのは、犬飼会長だけは外部から落下傘のように協会に招かれた方でした。もちろん、外部といっても、まったくの外部ではなく浦和レッズでのクラブ経営の手腕を買われ、Jリーグ専務理事を2年務めた後、会長に就任された方です。

この人選には、前任の川淵会長の「これだけ社会的影響力が大きくなったJFA組織は、経営者的感覚を備えた人でないと、率いていけない」という強い信念のもと、犬飼氏に白羽の矢を立てた大胆な決断が働いたものと解釈しています。

しかしながら、川淵会長が協会内に隠然たる影響力と人脈を築いている状況ならば、それを後ろ盾に犬飼会長も長期的視点で協会経営に当たれたと思いますが、いかんせん、犬飼新会長を支えるはずの幹部たちにしてみれば、あたかも霞が関中央官庁のトップ人事のように「次はあの人、そのあとはこの人と描いていたシナリオを崩された突発人事」のようだったのではないでしょうか。

犬飼会長の2年間は、周りが面従腹背、思うような協会経営ができなかったことでしょう。2年後の役員改選で、どのようなシナリオが描かれ犬飼会長が辞任することになったのか、当「サッカー文化フォーラム」は、いまからでも、詳らかにしなければならないテーマに据えています。会長交代に暗躍した人もいたに違いありませんので。

ある意味、犬飼会長が2年だけで辞任されたことで、会長人事は、元通りの「禅譲路線」に戻ったことが、そのあとの会長選びに現れていると思います。

それから10数年、このたび、田島会長は3期6年をもって勇退することを決意されました。現在66歳だそうです、当・夢追い人は、もう少し在任されるのではないかと思っていましたが、何が勇退を決意させる要因だったのか、ご本人の言葉を待ちたいと思います。

そして、後任に白羽の矢を立てたのが宮本恒靖氏というわけです。
もちろん、田島会長の独断で決められる時代ではありませんから周到に手続きを踏んで、また宮本氏にも助走期間にあたる日本サッカー協会の理事、専務理事の経験を踏んでもらってのことですが、犬飼会長就任時のインパクトをはるかに上回る人選だと思います。

今回の次期会長人選には、いくつかの特徴があると思います。
一つは、犬飼会長選出時と同様、協会内で昇進してこられた方ではなく、ある意味落下傘的な方であることです。
これが、犬飼会長が味わわれたご苦労と同じ状況を生まないのかどうか、少し見ていく必要があると思います。

次に、宮本氏には、協会内で長くテクノクラートとして経験を積んだわけでもなく、犬飼会長のように企業経営者として卓抜した手腕を認められての選任でもないという特徴があります。

特に今の協会というのは、例えば日本代表のマッチメイクや各種大会参加でも巨額の資金を必要とする、いわば「カネをどうやって捻出するか」といった経営手腕が非常に重要な任務になっていることを考えると、宮本新会長の手腕が心配になるというより、一般的に言われる経営経験とか、協会運営経験などまったく無用の、新しい取り組みで「稼げる協会」にしてくれるかも知れないと期待したくなります。

3つ目の特徴は、若く、高い識見を持ち、しかも国際人であるという宮本氏のキャリアです。
これからの時代、年齢は組織のリーダーには関係ないかもしれません。特に世界規模のスポーツであるサッカービジネスの世界ではなおさらです。国際サッカー連盟(FIFA)の現会長であるインファイティノ氏も宮本氏と同じ46歳で就任しています。

現会長の田島氏も、筑波大学大学院を修了され助教授も経験された見識を持っておられる方ですが、宮本氏もガンバ大阪選手の傍ら同志社大学を卒業され、選手として現役引退すると、今度はただの大学院ではなく、国際サッカー連盟(FIFA)がスイスで運営する「FIFAマスター」(「スポーツに関する組織論、歴史・哲学、法律についての国際修士」の大学院コース)に入り見識を高められています。

加えて英語力はビジネスレベルで、2004年のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦のPK戦では、主審に「これはフェアじゃない。ピッチ状態がよいほうでやるべきだ」と通訳なしでPKの位置変更を申し入れ、前代未聞のPK戦途中でのサイド位置を実現させるという、日本サッカー史に残る離れ業をやってのけた実力の持ち主です。

何といっても「FIFAマスター」研修の1年半で築いた人脈は、これからの会長としての活動に大きな力になるであろう国際人であり、単に日本の会長にとどまらず、アジアそしてFIFAの舞台に飛躍できる期待を抱かせる方です。

4つ目の特徴は、JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないかということです。今回、宮本氏とともに会長選に立候補の意思を示した方が、現在、 Jリーグチェアマン室特命担当オフィサーの鈴木徳昭氏という方だそうです。

鈴木徳昭氏といえば、ご存じの方はご存じかと思いますが、オフト監督当時、通訳として日本代表の活動に活躍された方です。
その後の、その語学力を買われFIFA派遣当時は、2002年日韓W杯招致活動に尽力され、AFC・アジアサッカー連盟にも派遣され、近年は2020東京五輪招致委員会の戦略広報部長として活躍されたそうです。

JFAのテクノクラートとしてはピカ一のキャリアと語学力、国際人脈を持った方ですから、その点では宮本氏と勝るとも劣らないキャリアと言えます。

したがって、会長選に立候補されるのも頷ける方です。最終的には立候補を断念されるそうですが、願わくば、この豊富なキャリア、人脈、語学力を生かして宮本会長と二人三脚で活躍していただきたいものです。

宮本新会長が、鈴木徳昭氏を副会長に起用するのでは、と考えるのは、当・夢追い人だけでしょうか?

さきほど「JFA内部のテクノクラートから協会幹部を窺うほどの野心的な人材が少ないのではないか」と申し上げたのは、以前のように協会内部の人材について話題になることが少なくなり情報として持ち合わせていないだけのことで、鈴木氏のような有能な人材が数多くいらっしゃるのかも知れません。

それにしても昨年2022年、Jリーグ村井チェアマンの後任として、コンサドーレ札幌社長の野村芳和氏が選任された時もインパクトがありましたが、今回もそれ以上のインパクトです。

つくづく思うのは、従来の序列型人事にとらわれず、誰に託すべきなのか、という組織が直面する「使命」や「課題」から逆算して相応しい人物を選ぼうとする考え方がサッカー界に定着しつつあるのではないかということです。

以前あったように、2年やそこらで、時計の針を元に戻すような力学が働くことがないことを願いつつ、新会長就任の暁には、心から拍手を送りたいと思います。

今回の書き込みに「JFA宮本新会長の時代と、J60クラブの時代」というタイトルを付けましたが「J60クラブの時代」のほうは、次の書き込みに譲りたいと思います。

お楽しみに。





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日本がW杯で優勝するようになる条件、公園でのサッカーが日常風景に、それだけでしょうか?

2023年12月04日 18時01分03秒 | サッカー文化
前回の書き込みで「日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」」と申し上げました。

書き込みの最後近くでは「サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうです」と付け加えましたが、そもそも、公園でのサッカーが日常風景になれば、それだけで「サッカー文化が根付いた」と言えるのか、についてもよく考えてみる必要がありそうです。

といいますのは、ヨーロッパにしても南米にしても、スポーツ全体を見渡した場合、他のスポーツが「サッカー」に肩を並べている、もしくはそれ以上になっている状況が、あまりないということも考慮していく必要がありそうだからです。
それを考えると、ヨーロッパや南米は、日本とずいぶん違う事情ではないかという気がします。

日本には昔から「相撲」という、まさしく日本の文化の一つと言えるスポーツがあった他、野球も戦前からの長い積み上げで、すっかり日本に定着しており、文化といえるレベルのものだと思います。

もちろんヨーロッパでもイギリスならクリケット、フランスからロード自転車というように国によって、サッカーに勝るとも劣らない人気スポーツがあるようですが、大きなスタジアムに大勢の観客を集めて、テレビ放送なども含めて圧倒的なマーケットを形成しているのは、やはり「サッカー」であり、それは南米でも同じです。

日本ではメディアの露出を含めた国民的スポーツに位置付けられているのは「プロ野球」であり、そこから巣立っている大谷翔平選手をはじめとしたメジャーリーガーも、サッカーで欧州に活躍の場を求めている日本人選手たちとは、注目度がまるで違う状況になっています。

大谷翔平選手が世界ナンバーワンの地位に登り詰めている活躍は喜ばしく誇らしい限りですが、サッカーと比べた場合の世界ナンバーワンの意味合いは、少し違うのではという気もしないではありません。

やはり世界最大のプレー人口と世界最大の祭典を持つサッカーの世界や、そしてヨーロッパの各国リーグチャンピオンが集結する欧州チャンピオンズリーグなどの規模感、マーケット感を見れば、サッカーの世界でナンバーワンを目指すことも重みは断然違うように思いますが、日本人のメンタリティはそうではないように思います。

冒頭申し上げた「公園でのサッカーが日常風景にしていく取り組み」は連綿と続けられると思いますが、サッカーに携わる人々の飽くなき努力が、なかなか実を結ばない、何かが引っ掛かるのではないかと思うのです。
その要因として、日本人の「スポーツ全体の中でサッカーをみるメンタリティ」にあるように思うのです。

ですから、サッカーをプレーで楽しむ人々の裾野を広げる努力を後押しする形で、日本人のサッカーに注目するメンタリティも高めていくことも重要なのではないかという気がします。

サッカーに注目するメンタリティを高めるって、どういうことかを考えてみます。
わかりやすいのが、昨年11~12月に行われた2022年カタールW杯と、そのあと年明けすぐに行われたWBC、すなわちワールドベースボールクラシック、これに対する日本人の熱狂度の差を見ると、日本人のメンタリティが、よくわかると思います。

昨年11~12月のカタールW杯で、日本代表はグループリーグでドイツ、スペインといったW杯優勝経験国を撃破するなど歴史的な活躍でしたが、年が明けてワールドベースボールクラシック(WBC)が始まるとテレビも新聞もネットも連日連夜、WBC日本代表の活躍を取り上げ、まさにお祭り騒ぎのレベルに達しました。

そして日本が劇的な形で優勝を果たしましたから、日本列島の興奮は頂点に達しました。
2023年はその後も大谷選手のメジャーリーグでの活躍、国内プロ野球では阪神タイガースの日本一などが続き、まさに野球の1年になりました。
こうしたメディアの扱いに乗せられた日本人のメンタリティというものは、そう簡単にサッカーに向けることが難しいと痛感した次第です。

「サッカーも野球のように強くなれば注目度はあがるよ」という意見もあるかも知れませんが、これも鶏が先か卵が先かのような議論になりそうです。

かつて2002年日韓W杯で、私たちは「サッカーを愛する人間」であることの喜びを、これでもか、これでもかというほど味わいました。メディアの扱いは、まさにサッカー一色だったのですから。当時のプロ野球関係者をはじめ他のスポーツの多くの人たちは、サッカー、サッカーの毎日に無力感を味わったに違いありません。

それほどメディアの扱いによって、日本人のメンタリティは動かされていたように思います。あの大会に先立つこと4年前、とうとう日本はフランスW杯で初めてW杯の舞台に立ちました。そこに至るまでの苦難も道も日本中の人たちが知っていますから、それだけ厳しいW杯の舞台が日本にやってくるとなれば、メディアも別格の扱いだったと思います。

今年初めのワールドベースクラシックのメディアの扱い、ニュースやスポーツ系番組はもちろんのこと、朝、昼のワイドショー系番組、スポーツ紙なども含めて日本列島WBC一色の状況をみて、あの、2002年日韓W杯の期間を思い出しました。

サッカー日本代表は、その後も24年間、7回連続でW杯連続出場を続け、2002年をはじめ4度もグループリーグを突破してますが、多くの日本人のメンタリティは「まだ、そこまでだよね」ということになるのでしょうか。

そこから一つ勝ち上がることがどれだけ難しいことか、2002年までの苦難の歴史を知っていれば想像がつくのですが、それはサッカーの世界を知っている人間だけの話で、多くの日本人には関心の薄いことなのかも知れません。

サッカーが、世界の舞台で結果を出せばメディアの注目も集め日本人のメンタリティが変化するのか、あるいは、サッカーという地球上最大のスポーツにメディアも日本人のメンタリティも関心を示してくれればおのずと結果もついてくるのか、これまた鶏が先か卵が先かのような問答になりそうです。

ただ一つ確かなことは、欧州や南米の国の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティと日本の人たちがサッカーをみたり語ったりするメンタリティには明らかな違いがあり、「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」という欧州や南米の国で普通に見られる風景を、日本で実現させるのは、そう簡単なことではないと思います。

日本がW杯初出場まで68年もの歳月を要したように、初出場から優勝までも、それぐらいの苦難の道になるであろうと肝に銘じて、サッカーを愛する人の輪を広げ裾野を広げ、親子・孫の3世代にわたってサッカーを愛する人たちを増やしていくんだという、息の長い時間軸で取り組むことにしようではありませんか。

「W杯優勝」が先でも「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景」が先でもいいではありませんか。できるだけ早く、そういう喜びが到来するように、私たちは、ただ、ただ頑張りましょう。
こうやって語り合い、志の輪を広げながら・・・。
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日本がW杯で優勝するようになる条件、二人の指導者が語る共通のキーワード「親子3世代が公園で楽しくサッカーに興じている風景が全国どこでも普通になれば・・・」

2023年12月01日 18時24分33秒 | サッカー文化
日本がサッカーW杯で優勝できる日はいつ来るのか、もうすぐなのか、まだまだ先なのか、まだ見ぬ未来に思いを馳せて、我が日本代表が世界一に上り詰める姿を「サッカーを愛する」多くの日本人が夢見ていることと思います。

そんな未来の夢に明確に道筋をつけてくれるような考えを、最近、二人の指導者が持っておられることを知りました。

一人は、東京国際大学サッカー部の前田秀樹監督、もう一人は大阪・興国高校サッカー部の内野智章監督です。

前者は、元日本代表のキャプテンも経験され現役引退後は、それこそジュニア世代から、ユース、そしてプロクラブまで、すべてのカテゴリーでの指導経験を持つ稀有なキャリアの方です。

前田監督の著書に竹書房刊の書籍『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』という書物があるようですが、うまい具合に「REALSPORTS」社のサイトが「変わりつつある『大学』の位置付け。日本サッカーの大きな問題は「19歳から21歳の選手の育成」」というタイトルで、この書籍からエッセンスを抜粋してくれました。

その中で前田監督が述べているのは、
「スポーツは社会にとって必要なのか、必要ではないのかと考えた時にスポーツが必要だということを多くの人に理解してもらわないといけない。だから、サッカー経験者を増やすことが大事なんだと私は考えています。」

そして、
「サッカーの輪を広げるために、東京国際大学は部員の枠を作らず、希望者全員を入部させることにしています。4年合計約350人の大所帯のチーム編成となっているのです。我ながら、すごい人数だと思います(笑)。毎年100人以上が入部してくるので、10年で1000人以上のサッカーファミリーを生み出していることとなります。」

さらに、
「すべての選手がプロの選手になるわけではありません。大事なのは、すべてのカテゴリーの選手がサッカーを好きであり続けること。卒業後にJリーグの試合を見に行くようになり、将来的に結婚をして子どもができた時にサッカーをさせて人口を増やしていってくれれば、サッカーはメジャースポーツに近づいていきます。」と述べています。

前田監督は、こう締めくくっています。
「普及活動はすぐに結果が出るものではありません。成果が表れるのは10年後か20年後かもしれません。でも、短期的なものではなく、長い目線で見ていく必要があると思います。ワールドカップで優勝することはそんなに簡単ではありません。

なぜ、ブラジルが強いのか。サッカーが国民に浸透していて、日常にあるからなんです。それが強さの秘訣だと思います。一人でも多くサッカーを経験する人を増やすことが大切なんです。そして、サッカーを文化にしていくことが大事なんです。それをこの大学でやっていきたいんで
す。」

次に大阪府の興国高校サッカー部の内野智章監督。
興国高校サッカー部は、冬の全国高校サッカー選手権の常連校ではない学校ですが、プロを目指す若き才能が数多く集まることで注目を集めています。

内野智章監督は、体育教師の傍ら2006年、監督に就任すると、同校を「関西のバルセロナ」と呼ばれるほどの強豪校に成長させました。

加えて、日本代表で、スコットランド・セルティックに所属して得点王に輝くなどの活躍をしている古橋亨梧選手を始め、この10年間で30人以上のプロ選手を輩出(Jリーガーは27人)していることから、その指導が注目を集めています。

今年6月、監督を退任して同校のジェネラルマネージャー(以下GM)に就任、部員の進路に関するサポートや有望選手のスカウティングをはじめ多岐にわたってFC KOKOKUのプロモーターとして尽力されることが学校から発表されました。そこで、ここからは「前監督」と表記します。

サッカーの技術だけでなく、高校生が高校生らしく、本来持ち合わせているべき感覚を尊重する指導法が特徴とのことですが、その内野前監督が、2020年8月15日放送のテレビ東京サッカー番組「FOOT×BRAIN」に招かれました。

番組でのトークのメインは内野監督(当時)の指導法でしたが、最後に「夢はどんなことですか?」と質問されて答えた内容が、

「日本全国どこの公園に行っても、おじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいるぐらいになるのが夢です。それぐらい裾野が広い、サッカーが日本の文化になってくればW杯で優勝することができるのでは・・・。いや、それぐらいにならないとW杯で優勝できないのではないかと思います。」というものでした。

前田監督も内野前監督も、それぞれの立場で違う考え方でサッカーの指導をされていますが、未来を見据える夢は同じだということに、目からウロコが落ちる思いでした。

前田監督がブラジルのことを例にしていましたが、実はお二人とも同じ体験をされていて、研修のためドイツに行った時「スポーツシューレ(複数の競技種目に対応できる大規模な滞在型総合型スポーツ施設)」で、まさに、おじいちゃんと孫が楽しそうにサッカーボールで遊んでいる光景を見て同じことを考えたそうです。

「日本もこうなればいいな、サッカーが日常にある姿、サッカーがその国の文化になっているというのは、こういうことを指すのだろう。日本がこういう姿になるように、自分も少しでも貢献したい」と。

当・夢追い人も「日本にサッカー文化が根付くために」という思いでおりますが、では「サッカー文化が根付いている姿」が実際にはどのような姿か、なかなか一言では言い表せないでいました。

これからは、わかりやすく「日本全国どこの運動公園に行っても、芝生の広場があり、そこでおじいちゃんと孫がサッカーボールで遊んでいる光景、サッカーが日常に普通になっているぐらい、サッカーを愛する人たちが多い状況、これが『サッカー文化が根付いている状況』です」とお話ししていきたいと思います。

お二人に共通だったもう一つの点は「それぐらいサッカー文化が根付いていないとW杯優勝は大変だと思います。ドイツもブラジルもサッカー大国なのは、サッカー文化が根付いているからだと思います。」というお話です。

サッカー文化が根付いたらW杯優勝できるのか、W杯優勝したらサッカー文化が根付いたと言えるのか、鶏が先か卵が先かの議論になりそうですが、少なくとも2023年末時点では、まだW杯優勝が現実味を帯びているようには思えません。

けれども次の北中米W杯までに森保ジャパンが私たちに大きな夢を見させてくれる期待感はあります。代表に招集されるレベルの選手たちがグングン成長して、しかも切磋琢磨して分厚い選手層が作られ、チーム内競争が高いレベルで続いている状況を見ると、このまま成長していって欲しいと願うばかりです。

日本中の津々浦々、芝の公園が普通になり、そこでおじいちゃんも、おばあちゃんも、孫とサッカーボールで遊んでいる様子が普通の光景、そして、W杯ではいつも優勝争いに絡む常連国になっている光景、どちらも、いつの日か現実になることでしょう。ここ3~4年後か、10年ぐらい後か、それ以上にまだまだ先か・・・。

忘年会の口角泡を飛ばす激論のテーマになればと思います。

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前回の書き込み「イニエスタが愛した神戸」であり「幸せな神戸サポーター」でもありました。を仕上げました。

2023年11月29日 21時52分53秒 | サッカー選手応援
前回11月14日に書き込んだ、「「イニエスタが愛した神戸」であり「幸せな神戸サポーター」でもありました。」を、本日、一部加筆、一部修正しながら仕上げましたのでお知らせします。
またお読みいただければと思います。
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「イニエスタが愛した神戸」であり「幸せな神戸サポーター」でもありました。

2023年11月14日 21時10分38秒 | サッカー選手応援
昨夜11月13日、NHK-BSで「イニエスタが愛した神戸」と題するドキュメンタリー番組が放送されました。
2018年に日本中はもとより世界中のサッカーファンを驚かせたバルセロナから神戸への移籍から丸5年間、途中、コロナ禍や自身のケガの影響など難しい状況の中でも、華麗なプレーでサッカーファンを魅了してきたイニエスタ選手。

今年7月1日の試合を最後に、神戸を去りました。
2022年シーズンの後半、そして今シーズン、出場機会が激減していたイニエスタ選手ですから、出場機会を求めての退団であることは明白でしたが、バルセロナを退団したときと同様、移籍先を決めないままの退団でした。

そこにはイニエスタ選手ならではの葛藤、苦悩があってのことだと、このドキュメンタリーは描いていました。
NHK大阪局の制作ですので、イニエスタ選手に寄り添い神戸に寄り添った作り方ではありますが、これまでの外国人選手とはずいぶんタイプの違う選手であること、それでいて、日本サッカー界がこれまで迎えた外国人選手の中でも、おそらくナンバーワンの実績とテクニックを持った選手であることを、伝えていたように思います。

当・夢追い人は、このドキュメンタリー番組のあらましも追いながら、私なりに、イニエスタ選手と神戸、イニエスタ選手と日本サッカー、スター選手とそのクラブサポーター、さらにはスター選手とホームタウン市民との幸福な関係について、感じたことを書き留めたいと思います。

【ここから先は、11月29日と11月30日に、部分的に加筆したり修正したりして、仕上げました】

イニエスタという選手は、有り余るサッカーの才能と、誰にも勝るサッカー選手としての栄光を手にしていながら、心の病にさえなりかねない繊細で、内向き志向の心優しいタイプのサッカー選手、という、およそスーパーなサッカー選手には似つかわしくないタイプの選手ではないのかと感じました。

それを確信させたのは、当・夢追い人の最も得意な「サッカーに関する映像の収録データ」にある、2014年8月24日に収録したWOWOWの番組「トップアスリートの肖像 アンドレス・イニエスタ、スペイン代表の頭脳と呼ばれる男」です。

この番組はスペインのカタルーニャテレビ局が2013年に制作した1時間番組で、地元局のインタビュアーがバケーション中のイニエスタの自宅をたずね、1晩泊めてもらいながらその妻子を含めたプライベートに密着したドキュメンタリー番組で、日本ではおそらくお目にかかれない作り方の番組でした。

さまざまなことを話題にしたインタビューの中から、イニエスタ選手の性格や人柄がよく出ている部分をご紹介しましょう。
子供という家族が増えて生活がどう変わったかを問われて、
「僕は頑固な人間なので、以前は家でも試合のことを思い出してビデオを何度も見直したり、ミスの原因を考えたりして長時間眠らないでいた。」奥さんが話を継いで「一晩中寝なかったこともあるのよ」
「でも、次の試合で200%の力を出して結果をだせばいいと、考えるようになった」

きみのオリジナルワインのラベルには「情熱は内に秘められている」と書かれているけど、それって君自身のことだよね? と問われて、
「そうだね、ワインが少し、人生が少し、スポーツ(サッカー)が少し、何でも少しづつ」
インタビュアーが、物静かに見えても内側を見たら・・・、と追い打ちをかけると、奥さんが「そうなの、何でも自分で仕切りたがるの、あれも、これも、何でも思い通りにしたがるの」と。

場所を公園に変えてインタビューは続きました。
インタビュアーが「アンドレス・イニエスタはサッカー選手には見えないサッカー選手です」というナレーションを挟んで「チームでタトゥーをしていない数少ない1人でしょう。彼の振る舞いが、あまりにも普通なので、かえって目に留まってしまいます」「常にありのままの自分を見せ、控え目で感受性の強い人です」

インタビュアーは、それを奥さんにぶつけてみました。「イニエスタは一般的なサッカー選手のイメージからかけ離れていると思いませんか?」「ええ、私もそう思います。私も普通の人間なので、似たもの同士、双子みたいだと思います。」

インタビュアーから「これまでのサッカー人生で泣くほどの辛いことはあったの?」と問われてイニエスタ選手は「2010年の4月にケガをした時は、これからどうなってしまうのかを考えて、ピッチを出るあたりから控室まで涙が止まらなかった」と話していました。

実は、前年の2009年7月、同じカタルーニャ地方のライバルチーム・エスパニョールのキャプテンをしていたダニエル・ハルケ選手が遠征先のイタリアで急性心筋梗塞のため26歳の若さで亡くなった出来事がありました。ダニエル・ハルケ選手とイニエスタ選手はU-16代表からU-20代表、そして五輪代表とずっとスペイン代表チームを共にしてきた親友でした。

この親友の死はイニエスタ選手に大きな精神的ダメージを与え、心の病で専門家の助けを借りなければならないほど追い込まれてしまったといいます。そして後に奥さんになるアンナさんや両親の支えで何とか持ちこたえていた時に追い打ちをかけたのが2010年4月のケガだったのです。

2010年4月と言えば南アW杯でスペインが悲願の初優勝を決める決勝戦で劇的な決勝ゴールを決めた、わずか3ケ月前の出来事です。いわば「絶望の淵から歓喜の生還」といった経験だったでしょう。イニエスタ選手が「幸いサッカーというスポーツは、時には何もないところからすべてが変わるからね」と言ったのは、その劇的な経験があったからでしょう。「あのゴールを決めた日から、いいほうに人生が変わった。幸運にも、その前の時期は過去のものになった。僕をより逞しく、さらに良くしてくれた」と振り返っています。

あの2010年南アW杯決勝で、もはや延長に入ろうかという時間帯、劇的なゴールを決めたイニエスタがチームメイトと歓喜を共にした後、一人ピッチの外に向かって走り出し、とった行動が、ユニフォームの下の肌着に書いてあった「ダニ・ハルケ、いつも僕たちと一緒だ」のメッセージを、天国のダニエル・ハルケ選手に捧げることでした。

そして、それはチームメイトの誰にも明かさずにとっておいた行動でした。イニエスタ選手は「君の死から始まった僕の精神的なダメージは4月のケガで絶望のどん底まで沈んだ。その僕がケガから回復して、こうして試合に出られた。もし運よくゴールを決めることができれば、そのゴールは、不運にもこの世を去った、天国の親友ダニ・ハルケに捧げたい」と心に秘めていたのでした。

ワールドカップ史上初めてのスペイン優勝に導いた歴史的ゴールを決めた「華々しい」選手、周囲は本人の気持ちとは無関係に、そのようにイニエスタ選手を描きました。むろんイニエスタ選手自身も誇らしくはあったものの、決して「華々しい」スター選手でありたいとは思っておらず、優勝への貢献と同様に親友ダニ・ハルケへの思いも大切にする選手だったのです。

まるで、そのまま映画にしてしまいたい出来事です。

そういうメンタリティの選手であるが故に、バルセロナという世界に冠たるクラブ愛を誇る街で、小さな時から育った選手にとって、クラブを愛し、そして、その街を愛するサポーターの前で「相手チームの一員として戦う選択肢はない」と考えるところもイニエスタ選手の真骨頂であり、それが日本を選ぶことにつながっていくメンタリティだったのだと思います。

おそらくイニエスタ選手は日本もタトゥーをしている人が少ない、自分と同じメンタリティの国かも知れないと考えたと思います。

バルセロナを去ることを発表したイニエスタ選手の情報を聞いて、神戸のクラブオーナーである楽天・三木谷会長は、すでにバルセロナとスポンサー契約を結んでいることから、間髪を入れずバルセロナに飛んで、イニエスタの自宅を訪問して直談判をしましたが、そのスピード感と行動力に、三木谷氏のビジネスマンとしての凄さを感じます。

しかも、ただ直談判をすればいいとは思っておらず、三木谷会長の最も得意なプレゼンという形でイニエスタ選手の心が確実に動くプロジェクトを仕立てて談判をしたと思います。もちろん、そこには三木谷会長の故郷である神戸が大震災を受けた地であり、震災が起きた、その日がクラブの本格的な始動の日であったというドラマ性に満ちた話を加えたでしょう。プレゼンの「つかみ」の話としては、もってこいの材料だったに違いないですから。

当然のように、クラブをJリーグチャンピオンチームに、そしてアジア王者のチームにして欲しいというのが、誘い文句ですが、それはどのクラブでも同じことであり、それを、さまざまな準備の上で進めていく「クラブのプロジェクト」としてプレゼンすることが勝敗の分かれ目になります。三木谷会長は、そういうプレゼンターとしては超一級の腕前です。

イニエスタ選手獲得にあたっては、アメリカ大陸、中東、そして東アジアのクラブが対抗馬として考えられたと思いますが、仮に他のクラブが金満にモノを言わせたとしても、三木谷会長のプレゼン力であれば勝負ありだったと思います。なぜならイニエスタ選手にとっては、金の多寡が重要なのではなく「なぜ自分が必要なのか」という理由のほうが重要だからです。

その意味で三木谷会長はイニエスタ選手が説得相手であったことは、大変幸運だったと思います。

そうして加入した神戸で、描いたシナリオ通り2020年1月1日、しかも完成したばかりの新国立競技場の最初のスポーツ公式戦、いわば「こけら落とし」の試合、王者・鹿島を相手にした天皇杯決勝を制して、悲願のクラブ初タイトルをもたらしたことでイニエスタ選手の神戸での成功物語は順調に軌道に乗り始めました。

そんな矢先、コロナ禍による中断、自身も十分な準備が出来ないまま参戦したACL2021の試合で、右足太ももを負傷、選手生命を危ぶまれるほどの重傷を負ってしまいました。まさに好事魔多し、です。

長く辛いリハビリの期間を通じて神戸の街の人たちとのふれあいが生じ、神戸の人々の温かさを身に沁みて、心優しいイニエスタ選手は耐え抜きました。そして家族とともに神戸にいることの幸せをかみしめたことでしょう。

しかし、クラブの成績が思わしくなくイニエスタ選手がピッチに復帰してもクラブを押し上げる力にはなりませんでした。次第にベンチを温める時間が多くなりJ2降格さえちらついてきた中、イニエスタ選手は「自分に何ができるのか」「自分は何をしなければならないのか」を必死に模索しました。

そして意を決して、ある試合の前にロッカールームに全員に集まってもらいゲキを飛ばしたのです。
いつもは穏やかなイニエスタ選手の強い言葉にチーム全員が目覚めました。その試合から5連勝、降格の危機を脱しました。

翌2022年、今度はチーム方針として、イニエスタ選手に頼らないチーム作りを始めたことから、イニエスタ選手の出番はますます減ってしまいました。この街でサッカーを続けたいけれど、それがままならない。まだ引退しようという気持ちにはなれない。どうすればいいか思い悩む日々が続きました。コロナ禍で長らくスペインに戻れないでいたイニエスタ選手。

Jリーグの中断期間を利用して、ひさびさに両親のもとに帰ったイニエスタ選手。ご両親はイニエスタ選手の出身地であるスペイン南部の農村・フエンテアルビージャ地方にあるイニエスタ選手の自宅から割と近いところに住んでおられる。もちろんバルセロナにも自身の居宅はあるが、フエンテアルビージャの自宅で生活することも多いようです。

先に紹介したスペイン・カタルーニャテレビ局のインタビューで「君はもうカタルーニャ人かな」と問われてイニエスタ選手は「僕はフエンテアルビージャ人であり、カタルーニャ人でもあり、スペイン人だ」と答えています。決して自分の故郷は失いたくない、とも答えています。

そんな、心の拠り所とも言える故郷に久しぶりに戻り、いま日本で自分が抱えている葛藤に、つい眠れない夜、両親の部屋をノックして、ここで寝てもいいかと言ったそうです。

若い頃は頑固なまでに突き詰めて考えてしまう性分で、つい朝まで寝ないでしまうことがあった自分も、百戦錬磨の試合経験を重ねていくうち、次第に気分転換が上手になっていたのですが、いま抱えている葛藤にうまく答えが出せないでいるうちに、久々に眠れない夜になり、両親の部屋をノックしたのです。

数々の栄光を手にしたイニエスタ選手でも、やはり自分が岐路に立たされてしまうと、葛藤に思い悩み、それを両親や妻と子供たちとの時間の中で癒し、心のバランスを保ち続けたのです。

なんという出来事でしょう。幸福な形でサッカー人生を締めくくりたいと希望に満ちてやってきた日本で、拠りによって「去るか留まるか」葛藤に苦しむことになろうとは。こんな歌詞の歌がありました。「何が悪いのか今もわからない、誰のせいなのか、今もわからない・・・涙で・・」

2023年、今シーズンこそはという思いで臨んだが、チーム作りは着々と進み、皮肉にもイニエスタ選手抜きで首位に立つほどになりました。まだまだ選手としてやれる、神戸で選手を続けたい、しかし現実はイニエスタ選手抜きのチームが強くなっている。イニエスタ選手に決断の時が迫ってきました。

そしてついに、イニエスタ選手は決断します。神戸を去ることを。
当・夢追い人は、三木谷会長が慰留したという話は寡聞にして知りません。イニエスタ選手の入団を成功させた時のような熱は、もはや三木谷会長にはなくなっていたようです。ビジネス的には、もう不要ということなのでしょう。

イニエスタ選手が「ホームタウン神戸になくてはならない選手」なのではなく、もしリーグ制覇、アジア制覇に役立ち、それが楽天グループのビジネスに還元されるうちは必要だが、それがなくなれば不要になる。それが三木谷会長のビジネスにおける鉄則のようです。

イニエスタ選手は、大好きな「神戸」なのに「神戸」を去らなければならない、「ホームタウン神戸」は自分を必要としていない。皮肉です。まるで映画のストーリーのようです。

退団表明から7月1日のラストマッチまでの日々、神戸に家族と暮らすイニエスタ選手は、あらためて自分を大切にしてくれたサポーターそして「ホームタウン神戸」の人たちの思いを感じながら過ごしました。一人の偉大な選手が異国の街に来て、そのクラブと街を愛し、またサポーターも市民も、その選手に心から敬意を持つ関係、ここまでの深いつながりは、おそらく初めてのことではないでしょうか。

よく鹿島に愛されたジーコが引き合いに出されますが、決定的に異なるのは、ジーコは鹿島に住んだわけではなかったということです。ジーコにとって「鹿島」は、あくまで仕事場であったという点です。

ただ、イニエスタ選手自身も「鹿島におけるジーコさんのようになりたかったが、自分はなれなかった」と述懐しています。つまり、決してジーコを手離さなかった鹿島のクラブ首脳陣と、イニエスタ選手をあっさり手離してしまう神戸の首脳陣との違いが、不幸な別れを生んでしまったのです。

それらも含めて、イニエスタ選手と神戸の関係性というのは、イニエスタ選手という選手が極めて日本人的な穏やかさ、心優しさを持った人であることから生まれた関係性なのかも知れませんが、そんな情緒的なことを思いやる神戸の首脳陣ではないという、ねじれた関係でもあったということです。

冒頭にも触れたように、神戸退団もバルセロナ退団の時と同じように行き先を決めないでのことだった。番組では7月に退団しているにもかかわらず、その後、イニエスタ選手がどうしているかについては触れませんでした。
ネットで調べてみると、中東UAEの中堅クラブ、エミレーツで、UAEリーグを戦っているという。ここも、そう簡単には神戸と相まみえる可能性が低いのかも知れません。

このほかネットには、イニエスタ選手の持つスポーツ・エンタメ会社と、つい最近、J3クラブのYS横浜と資本提携を結んだというニュースが載っていました。
日本とスペインとの懸け橋になりたいと願っていたイニエスタ選手が、神戸で叶わなかった思いを、よりによって、同じ港町のライバル都市・横浜で叶えようとしているのかも知れません。

今にして思えば、三木谷会長のプレゼンというのは、神戸という地域に根差したプロジェクトにイニエスタ選手が必要だったのではなく、三木谷会長の描いているビジネスプランの一つの駒としてイニエスタ選手が使えるというだけのことだったのです。イニエスタ選手は、自分が「『神戸』に必要とされている」と感じたでしょうから、三木谷会長は罪深いと思います。

イニエスタ選手には、ぜひ何らかの形で日本との関わりを持ち続け、ぜひ日本とスペインとの懸け橋になっていただきたいと
思います。

今回、イニエスタ選手の書き込みをしてみて、つくづく、この選手は映画かドラマにしたくなる人だと感じました。スペイン南部の農村からFCバルセロナの育成組織、ラ・マシアの一員に選ばれてから始まったサクセス・ストーリーだけの物語ではない、両親・妻子などとの愛情物語、ダニエル・ハルケ選手との友情物語、FCバルセロナ、スペイン代表を栄光に導く神ゴール、そして異国の地・神戸での希望と絶望の交錯、さまざまなファクターに満ちたストーリーを歩んだ選手でした。

スペインの映画人やドラマ人が手掛けなくても、日本人が手掛けるべきだと思いますし、当・夢追い人も脚本をモノにしたいものです。
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「ワールドカップをめぐる冒険」のことを9月29日「小野選手引退表明」の書き込みのあとに加筆しました。

2023年11月09日 22時54分36秒 | サッカー選手応援
フジテレビの番組で以前放送されていた、小野伸二選手、高原直泰選手、稲本潤一選手の3人を追ったドキュメンタリー番組「ワールドカップをめぐる冒険」のことを、9月29日の書き込み「小野伸二選手が引退を表明しましたね。「日本サッカー史上最高」と評する人たちが多い選手でした」の後ろに、加筆する形で書き込みました。
結構、記事1本分ぐらいの文量になりましたので、ぜひ、そちらにお立ち寄りいただき、お読みください。
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2019年12月15日放送、テレビ東京「その日、人生が変わった。サッカーがくれた未来」を昨日見ました。

2023年11月04日 17時04分56秒 | サッカー文化
昨日、2019年12月15日に放送された、テレビ東京の番組「その日、人生が変わった。サッカーがくれた未来」というドキュメンタリーを見ました。かれこれ4年も前の番組です。

当「夢追い人」がサッカー関係の番組などを収録し続けてきたことは、何度か紹介しました。最終的には今年(2023年)1月初めで、一切の録画作業を終了しました。昨年暮れのカタールW杯の収録と、その余韻が残った番組の収録をもって終了した感じです。

その後は、収録済の試合、番組等のHDDへの格納と、データベースである「ファイルメーカー」への記録作業に全力をあげているところです。
今回ご紹介するテレビ東京のドキュメンタリー番組は、その点検作業で出てきたものです。

もともとテレビ東京さんは「FOOT×BRAIN」という番組で「この国にサッカー文化を」を合言葉に、当「夢追い人」が考えている「サッカー文化フォーラム」を、番組上で体現してくれています。この「FOOT×BRAIN」という番組をフォローしておけば「サッカー文化」として扱うべきテーマの太宗を掴むことができる感じです。

この2019年12月15日放送の番組は「FOOT×BRAIN」の拡大版というか、年末特集版といった趣きで、4人の方を紹介しながら、その方が「サッカーというものに出会って、いかに人生が変わったか」を伝えてくれています。
その4人は、
①「熱血課長、街とクラブをつなぐ51歳」というタイトルで、FC東京のホームタウンの中心地であり「味の素スタジアム」の所在地でもある東京都調布市役所の、産業振興課長をされている方
②「夢は日本一の芝」というタイトルで、湘南ベルマーレの本拠地である「レモンガススタジアム・平塚競技場」のピッチメンテナンスに心血を注ぐ湘南造園の社長さん
③「会計士からJリーグ理事へ」というタイトルで、「Jリーグを使おう」とJリーグの改革と社会連携に全国を飛び回っている若き女性理事の方
④16歳「僕はあきらめない。アンプティサッカーで日本一の夢」というタイトルで、足に障害を抱えカナディアンクラッチ(松葉づえのような用具)で体を支えながらアンプティサッカーに青春を賭けている16歳の方

どの方も、何かの縁でサッカーと出会い、サッカーの持つスポーツとしての素晴らしさ、世界的な広がりを知り、特にJリーグが地域との関わりをとりわけ重視していることに、人生が変わるほどの大きな刺激を受け、サッカーの世界にのめり込んでいる方々です。

当「夢追い人」は、中年に差し掛かった頃、サラリーマンとして終わる人生に見切りをつけ、当時、仕事で関わることができた「まちづくり、むらおこし」の分野で、自立していこうと脱サラをした人間です。

それがちょうどJリーグスタートの時期と重なりましたので、例えば鹿島アントラーズのホームタウン地域の皆さんが、何とかJリーグ参入を認めてもらうために、大変な努力と団結で必要なミッションを完遂して、見事にスターティング10チームの枠に滑り込んだいきさつなどを、つぶさに見ていました。

そして、Jリーグが次第に参加チームを拡大していく方針であったことから、一般の産業誘致と同様、Jリーグ参入に向けた取り組みも、まちづくりの大きなチャンスであることを、自分が関わった「まちづくり、むらおこし」関連のセミナーなどで提言してきました。

ですから、30年を経た現在、多くの地域で、Jリーグクラブの存在を、そのホームタウンの人々が「わがまちの誇り」「わがまちの起爆剤」「わがまちが一つになれる存在」として大切にしてくれる時代になってきたことを、実感しています。

プロサッカーリーグというのは、勝負の世界であり、1部リーグから2部リーグ、現在は3部リーグまで、成績によりふるい分けられる世界です。1部リーグであれば注目度も高く、有名選手も多いわけですが、そういう華やかな部分を望むだけなら、決してJリーグクラブは地域に根付かないでしょう。

Jリーグ30年の歴史にも、スタート当初、全国ナンバーワンの人気を誇ったクラブが、その分、地域を大切に思わないかのようなふるまいに終始して、結局、下部リーグに落ちて、地域からの支えも十分に得られない悲哀を味わっている例があります。

海外には3部リーグだけでなく4部リーグ、多いところでは5部リーグぐらいのプロクラブがいくらでもあります。そういうクラブが、その地域で成り立っていないかと言えば、熱烈にサポートする人々に支えられ、いつかは上位リーグに上がる日を夢見て何十年も戦っているクラブがあります。

結局プロサッカーグラブは、勝負の世界で勝ち上がる目標は持ちつつも、地域になくてはならない地域文化の一つとして存在するようになってこそ、初めてプロサッカークラブなのです。

それには、プロサッカーの歴史も、最低でも50年以上、イングランドやイタリア、スペインなど欧州のクラブは100年以上の歴史を積み上げてこそ「地域文化」として根付いていますから、日本でも、そのような継続の力で「地元のクラブが地域文化の誇り」となるまで育てていく必要があると思います。

サッカークラブの運営には、ある程度の資金が必ず必要になります。クラブの収支だけでやっていけるクラブは一握りです。ですから「地元のクラブが地域文化の誇り」となるまで育てていくには、地域の経済界をはじめ多くの人々が資金面でも支えクラブを守り抜いていくという思いが必要であり、クラブ側には「このクラブは守ってやりたい」と思ってもらえる日頃からの努力が不可欠です。

それには「技術・体力などでは他のクラブにかなわないが、このクラブの選手たちは決して最後まであきらめない。その頑張りには本当に頭が下がる」といったプレー面の努力が第一ですが、サッカーの指導や交流、そしてボランティア活動など、地域との積極的な交流による信頼と親近感も欠かせません。

Jリーグの若き女性理事が「Jリーグを使おう」と呼びかけたのも、地元のサッカークラブが持っている、さまざまなリソース、アセットといったものを地域の皆さんに知っていただいて、ぜひ、使えるものは使ってくださいということで、それが地域におけるクラブの価値をあげることにつながると考えてのことです。

30年を経た今日、J2やJ3のクラブは、そうして重要性をどのクラブも深く理解しています。そして、地域の側にも調布市の課長さんや湘南の造園会社社長さんのように、サッカーとの出会いによって、クラブを支えることに自分の未来を見つけた人たちが、どの町のクラブにも出てきています。

Jリーグの村井前チェアマンは、川崎フロンターレ・中村憲剛選手からかけられた「Jリーグは「地域密着」と言っていますが、川崎Fは一生懸命、それこそ必死にやっています。Jリーグはどんなことをしてますか?」という一言にガーンと頭を殴られた気がして、Jリーグ本体も地域貢献・地域連携というものについて旗を振り直さなければならないと決意したそうです。

その具体的な作戦が、上記番組の③「会計士からJリーグ理事へ」すなわち米田恵美さんの招へいです。彼女の行動力、オーガナイズ力は「Jリーグを使おう」という刺激的なキャッチフレーズに見事に集約されています。

当「夢追い人」は、最近つくづく思います。Jリーグもそうですしサッカー界における経営感覚が、ずいぶんMBA的になってきたなと。MBAというのはご存じのように「経営学修士」と呼ばれる大学の学位のことですが、つまり、打ち出される施策が極めて論理的というか、唸ってしまうことが多いのです。

例えば、Jリーグ理事に招へいされた米田恵美さんが打ち出した2つのコンセプト。
1 .ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)、個々の「違い」を受け入れ、認め、活かしていくこと。
2. トライセクター・リーダー(Tri-sector Leader)、民間・公共・社会の3つの垣根を超えて活躍する人材のこと。
これらの言葉選びもそうですし、その言葉が表している考え方が、とても、当「夢追い人」の及びもつかない内容です。

ですから、当「夢追い人」のような草の根の「ただサッカーを愛するだけの人間」には、JリーグやJFAで構想されているようなことは、別世界のことで、とても自分がその議論の中に入れるような気がしなくなっています。
昔「サッカー」と「まちづくりむらおこし」を結びつけることに関われればと願っていた当「夢追い人」が、何の能力もない「ただサッカーを愛するだけの人間」だということを、最近、いやというほど思い知らされているところです。

やはり、社会的なこれだけ大きな存在になった日本のプロサッカー界をリードしていくには、相当の経営感覚が必要なのだ、相当能力の高い人でないと務まらないのだと、つくづく思わざるを得ません。

ちなみに「Jリーグをつかおう」というキャッチフレーズで全国を駆け回った米田さんは、2022年にJリーグチェアマンが野々村氏に交代して、役員体制も一新されたのを機にJリーグ理事を退任されました。

「シャレン」や「Jリーグをつかおう」という合言葉が彼女の退任とともに消え去ることなく引き継がれていくことを願ってやみません。そのあたりは「FOOT×BRAIN」でもフォローしてもらえるとありがたいのですが。

ところで、今回取り上げた2019年12月15日放送の番組ですが、あれっと思ったことがあります。それは、放送された日付です。思い起こすと、この放送からまもなく、年が明け1月末から新型コロナウィルス禍が全世界にひろがり、日本国内でも、まったく様相が変わってしまった直前の番組です。この時は、まだ、なんの憂いもなく未来を見据えていられた時です。

あれからほぼ4年、やっと元通りの日常が戻ってきて、やっと、また何の憂いもなく未来を見据えられそうなところまで来ました。世界的に見れば戦争が暗い影を落としています。それこそ「日本有事」にでもなって、私たちの日常がまた破壊されるようなことにならないことを願うばかりです。
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ASモナコが日本のオンラインカジノサイト「カジノシークレット」と「公式オンラインゲーミングパートナー」契約を結んだというニュースをどう読み解くか。

2023年10月31日 11時47分36秒 | サッカー文化
我らが南野拓実選手が、さる8月のリーグ・アン月間MVPに選出されたニュースがまだ記憶に新しい中、実は、所属するASモナコと、日本のオンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」とのパートナー契約に関するニュースもリリースされていたようです。
とりあえず、事実関係を見るため、ASモナコのCEO(最高経営責任者)名で出されたニュースリリースから引用します。

「ASモナコは、数週間前に日本出身の国際的プレイヤーの南野拓実選手の到着ニュースと共に日本語Twitterアカウントを立ち上げた後、さらにリジョナルパートナーの1つとして、カジノシークレットを迎え入れました。

日本で最も急成長している革新的なオンラインカジノの1つであるカジノシークレットは、今後2シーズンにわたり、ASモナコの日本公式オンラインゲーミングパートナーになります。日本市場にフォーカスする企業と提携する事により、ASモナコは日本のサッカーファンにアプローチする新たなステップを進んだ事となります。

カジノシークレットとASモナコは共にこの新たなパートナーシップを記念し、日本のオーディエンスを対象に、一連のインパクトの高い限定デジタルキャンペーンを展開していきます。」

つまり、ASモナコは、南野拓実選手の活躍とともに日本における認知度をあげつつ、「カジノシークレット」サイトを通じて、日本からオンラインカジノに参加する顧客を取り込もうというビジネスの相乗効果を狙ったパートナー契約ということです。

ただ、ここに一つ大問題が潜んでいます。日本からオンラインカジノに参加した人が、カジノゲームにお金を賭ければ、そのこと自体が違法であるのに、どんどんオンラインカジノでお金を使って欲しいと誘っているわけです。

こうしたパートナー契約に至る下地として、オンラインカジノについて一つの誤った考えが流布してしまったという指摘があります。それは、今回パートナー契約を結んだオンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」が、政府機関から正式なカジノライセンスを取得しているので、安全に「ギャンブル」を楽しめるサイトだという考えです。

単純に読めば「政府機関からライセンスを得ているのであれば、違法とは無縁だと考えていい」という感じになります。
しかし、そこには「日本にいながらオンラインを通じて海外のカジノに参加すれば、そのこと自体が違法」なのだという視点が抜け落ちていたようです。そもそもカジノのメッカであるモナコでは、よもや日本でカジノに参加すると違法だなどとは思いもよらないことなのでしょう。

もし「日本にいながらオンラインを通じて海外のカジノに参加すれば、そのこと自体が違法」だとわかっていれば、カジノに日本の顧客を集めて利益をあげようとは考えないと思います。

ASモナコにしてみれば、オンラインカジノ運営事業者「カジノシークレット」が正式なカジノライセンスを取得しているのだから、それでよし、という感じだったことでしょう。
日本から見ると、この「政府機関から正式なカジノライセンスを取得している」という謳い文句自体も非常に紛らわしいというか、できることならカジノで遊びたいと考えている日本の顧客に、妙な安心感を植え付ける謳い文句です。

政府機関というと、うっかり日本の政府機関のことだと思いますが、違います。
オンラインカジノに詳しい人の間では「キュラソーライセンス」というのがあるそうですが、これはカリブ海にあるオランダ領・キュラソーというところにある「キュラソー政府」が出しているライセンスということのようです。

このことを指して「政府機関から正式なカジノライセンスを取得し、安全に「ギャンブル」を楽しめるサイトです。」と言っていることをまず理解しなければなりません。
今回ニュースになった「カジノシークレット」も、このキュラソーのライセンスを取得しているので合法的なカジノサイトということになります。国際的にみれば、このように、どこかの政府機関のカジノライセンスを取得しているカジノサイトは合法で、取得していないカジノサイトは非合法、つまり闇サイトということになっているようです。

繰り返しますが、ASモナコは、もともと日本のサッカーファンには知名度の高いクラブです。そこに今回、南野拓実がリパプールから移籍したことで、モナコ側が日本でのマーティング戦略を練ったことは容易に想像できます。

地中海の小国・モナコは、国全体がリゾート地といえるところで、いま日本で導入が進められようとしている統合型リゾート地のモデルのようなところです。
当然カジノも物凄く盛んで、ASモナコにとってカジノは、何の問題もない娯楽ということになっているはずです。

しかし問題は日本でそれをやるというところにあります。日本の警察は「オンラインカジノ」を通じて日本人がゲームに賭ければ、それ自体が違法であると明言していています。

さらに、記憶に新しい山口県の阿武町役場で、新型コロナウィルス対策の特別臨時給付金が、町内全世帯分4630万円を一人の20歳代の口座宛てに誤送金してしまった問題、実は振り込まれた人間がオンラインカジノに入り浸っていた男で、この問題が国会で取り上げられた際、岸田総理も「オンラインカジノでの賭けは違法、厳正に取り締まる」と明言しています。

ということで、現時点で、ASモナコの日本でのマーケティング戦略は「日本の顧客に違法行為をしてもらうこと」を前提にしていることになります。

当「夢追い人」のこの書き込みの結論はここで終わりではありません。当「夢追い人」は、かつて「サッカーくじ」と呼ばれて導入が検討された時期のことを思い起こしています。

現在totoと呼ばれて、すっかり定着した「サッカーくじ」も、検討が公になった時期には「結局、賭け事、ギャンブルの助長、絶対反対」とヒステリックに主張する人たちに、かなり攻められていたものです。

しかし、制度的に、例えば八百長防止策や購入時の規制など、いろいろなハードルを設けたこと、そして、大きな変化が、いわゆる宝くじ方式、つまりコンピュータが弾き出した対戦結果の組み合わせを「当たるも八卦当たらぬも八卦」とばかりに買う方式にしたことで、不特定多数の愛好者獲得につながったという歴史を持っています。
現在「BIG」という愛称で販売されている「サッカーくじ」です。

もっとも、本当のギャンブル好きにしてみれば「そんな宝くじ方式みたいなものは、面白くもなんともない」わけで、やはり競輪・競馬・競艇といった自分が賭けて愉しむギャンブルを好みますし、そうした層は、社会に一定程度、かならず存在します。

カジノでのギャンブルは、さらに一攫千金のチャンスがあるということで、日本国内では愉しめないカジノをオンラインで愉しもうとする層は決してなくなることはないでしょう。
問題は、カジノでの遊びが、例えオンラインでも日本では違法であるといって、終わりにしたままにしておくことだと考えています。

いまやオンラインで、世界と自由にいつでも繋がる時代であり、またカジノ文化も、日本でも「統合型リゾートの一つの要素」として受け入れる時代になったのであれば、オンラインカジノに対して、日本的なカスタマイズを加えて、門戸を拓く努力をしなければ、いつまでもグローバル化に対応できる日本ではなく、鎖国のような異質な日本と受け止められてしまうでしょう。

日本が青少年に対するギャンブル依存の未然防止や、ギャンブル依存症による自己破産、あるいは山口県阿武町の事例のように、間接的にでも犯罪を誘発することを防止するため、極めて厳しい態度で臨んでいることは、日本の誇りであり世界的に見ても受け入れられる姿勢だと思います。

しかし、一方では「ダメなものはダメ」と言って門戸を閉ざしたままにしているだけでは、無策の誹りを免れないでしょう。
統合型リゾートの一つの要素としてカジノ文化が日本に入って来ることを見据えて「日本ではどういう形なら「オンラインカジノ」が認められるのか」という前提で、かつて「サッカーくじ」導入時に経験した工夫と努力をする必要があると思います。

当「夢追い人」は「サッカーくじ」導入検討が始まった当初から「宝くじ方式」を唱えていたこともあり、今回の「オンラインカジノ」についても、日本ならどういう対応がいいのか、「日本型オンラインカジノ」とはどういうスキームで可能なのか、何としても提案したい思いを持っています。

しかし、当「夢追い人」は、カジノそのもの、そしてオンラインカジノについても知見がほとんどありませんので、相当勉強しないとできない課題でもあります。読者の皆さんから、いろいろとアドバイスや提案があればと思っています。

大事なことは「違法だ。以上終わり。」にすることではなく、否応なしに押し寄せてくるグローバル化の中で「じゃぁ、日本ではどうすればいい? どうすれば許容範囲なの?」という議論を始め、日本らしい成案を得ることだと思っています。
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欧州組日本選手、トルシエ氏200人超説、杉山茂樹氏100人近く説、要は3桁の規模になってきたようです。

2023年10月18日 16時12分58秒 | サッカー選手応援
10月のインターナショナルマッチウィーク、カナダ、チュニジアを一蹴した形の日本代表に関連して、代表に招集されない選手も含めて欧州各国リーグでプレーしている日本人選手の数をあげていた二つの記事を目にしました。

一つは、現在ベトナム代表監督のトルシエ氏が中国紙のインタビューに応じた記事、もう一つは、昨日の書き込みに引用させていただいた杉山茂樹氏の記事です。トルシエ氏は200人超プレーしているという数字をあげ、杉山氏は100人に迫ろうとしているという数字をあげていました。

ここでは、どちらの数字が正しいのかを論ずるのではなく、結局のところ、いまや欧州でプレーする日本人選手は3桁を数える規模になってきたという点を述べたいと思います。

トルシエ氏、杉山氏がどういうシチュエーションであげたのか、その部分を引用してご紹介しておきます。
【トルシエ氏】
「私が日本代表を指揮していた時、欧州5大リーグでプレーしていたのは中田英寿(日韓W杯時はパルマ所属)のみだった。今の中国は欧州クラブでプレーする選手は何人いる? 一方で、私の知る限り欧州クラブでプレーする日本人選手は200人を超えている。今の日本がなぜドイツ、スペインを破ることができたのか。特に9月に敵地でドイツに4-1で快勝したのをみんな不思議に思うだろうが、私は理解できる。

【杉山茂樹氏】
(代表試合への)招集辞退は欧州では普通の出来事である。辞退を言い出しやすい環境が整っている。他方、日本代表史において代表招集を辞退した選手は何人もいない。この世界で40年以上ライターをしているが記憶にない。
(中略)代表サッカーとクラブサッカーは拮抗した関係になかった。元日本代表。この肩書きの有無で引退後の人生は大きく左右された。日本代表選手にはブランド価値があった。
欧州諸国は必ずしもそうではない。どちらかと言えばクラブチームありきだ。重視されるのは代表キャップ数よりCL出場回数になる。欧州組の数が100人に迫ろうとしている日本も、代表キャップ数という国内基準ではなく、CL出場回数という国際基準に、おのずと価値観は移行していくものと思われる。もうすでに代表選手というブランド価値は低下しはじめているように見える。最近の代表チームの成績とは裏腹に、だ。

トルシエ氏は「日本代表が強くなった理由」として欧州組の数が飛躍的に増えたことをあげ、杉山氏は「これだけ欧州組が増えれば、日本も選手のブランド価値が、代表キャップ数という国内基準ではなく、CL出場回数という国際基準に、次第に移っていくに違いない」という裏付けとして欧州組の増加をあげています。

杉山氏によれば「今回招集された選手のうち、欧州カップ戦(CL、EL)出場組は8人、欠席した4人を含めると計12人を数える。ここに来て大幅に数を増やしている。」とのことで、単に欧州でプレーしているだけにとどまらず、欧州でプレーする全世界のサッカー選手の大きな目標である「欧州カップ戦(CL、EL)出場」を果たしている日本人選手が、もはや1人、2人ではなく2桁規模になっていることも指摘しています。

つまり3桁もの日本人選手が欧州でプレーするようになると「欧州カップ戦(CL、EL)出場」組も、おのずと2桁規模になるというわけです。いかに欧州での日本人選手の価値が高まっているかということです。

もう一つ、欧州でプレーする日本人選手の増加は、今回急遽追加招集された奥抜侃二(かんじ)選手のようなケースも、これから普通になっていくことを示唆しています。当・夢追い人は、発表記事を読むまで奥抜侃二選手のことを知りませんでした。

10月12日のweb版スポルティーバが「三笘薫に替わって追加召集された『奥抜侃志』って何者だ?」と見出しを打ってくれましたので読みました。
J2の大宮で4シーズン半ほどプレーしていたようですが、なんとポーランドリーグのチーム(グールニク・ザブジェ)からオファーを受け2022年夏移籍した選手というのです。そこでのプレーが今度はブンデスリーガ二部、ニュルンベルクの目に留まり、今シーズン加入して早速結果も出していることで、今回、追加招集ということになったのだそうです。

この選手のキャリアが、いまや欧州でプレーすることの可能性の広がりを物語っているといえます。なにぶん出だしがポーランドリーグです。それでも欧州5大リーグのスカウトたちが欧州各国リーグの選手たちに常に目を光らせています。知名度の低い国のリーグであっても、欧州であればスカウトの目に留まりやすいということです。

もっとも、奥抜選手がいた大宮にポーランドからオファーが届いたというのですから、Jリーグでプレーする選手たちも世界各国のスカウトから見られている時代になったのかも知れません。

ともあれ奥抜選手は、J2大宮⇒ポーランドリーグ⇒ブンデスリーガ2部という経路でプレーを続け、今回、代表招集に至ったということで、これから、このようなキャリアでステップアップをしていく選手が珍しくなくなるのかも知れません。

今回、この書き込みをするため、ネット検索で情報確認をしていましたらウィキペディアに「ヨーロッパのサッカーリーグに所属する日本人選手一覧」という項目を見つけました。この項目の凄いところは、過去から現在までの欧州各国リーグ(プレミアリーグからサンマリノ、ジブラルタルといったところまですべて)の所属選手を網羅していることです。ぜひ一度ご覧になっては・・・・。トルシエ氏も、この項目を見ていたのかも・・。

「日本サッカーの裾野の広がり」という言い方をよくします。今回のような状況を呼ぶとすれば、さしづめ「欧州における日本サッカーの裾野の広がり」ということになるのでしょうか。なんのことやらよくわからない表現ですが、そう言わざるを得ないように思います。
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海外組の代表ゲーム参加の過密スケジュールを問題視しないメディアを杉山茂樹氏が一喝。

2023年10月17日 19時21分40秒 | サッカー日本代表
今朝のYahooニュースに「強行軍を見て見ぬ振り。久保建英に「キツい」と言わせ、驚くように報じてみせたメディアの罪」と題する杉山茂樹氏の論考が掲載されました。
今回の10月シリーズ2試合に招集された久保建英選手の直前の欧州でのスケジュールを紹介して「キツいに決まっている」とした上で、そうした海外組の苦境についての森保監督の問題意識の低さを「筆者はやるせなさというか、情けなさを覚えずにはいられない。」と嘆いていました。

そして返す刀で「なにより選手に言わせるなと言いたい。」「メディアは自らそこに踏み込まず、なんというか見て見ぬ振りをしてきた。日本代表のホーム戦に出場する大変さ、キツさについて選手に代わって代弁することを避けてきた。」「事態を察し、選手が口にする前に問題点を浮き彫りにする。これがメディア本来の姿勢であるにもかかわらず、だ。」と、メディアの怠慢に一喝を食らわせています。

そして「日本代表が日本のサッカー産業の中心になってきた時代から、そろそろ日本もクラブがサッカー産業の中心になっていかなければならない」と提言しています。つまり、これまでは日本のサッカー選手のブランド価値が「どれだけ日本代表として活躍してきたか」というところにあったが、いま欧州では「欧州チャンピオンズリーグにどけだけ出たか」のほうが選手としてのブランド価値になっているように、日本の選手も「どれだけ欧州チャンピオンズリーグに出場できたか」に軸足を移すべき時代になったのではないか、というわけです。

したがって「サッカー産業もそれに伴い日本代表中心主義から欧州へ重心をじわりと傾けていかなければならない時期に来ている。バランスの問題になるが、8対2ぐらいだった概念を6対4ぐらいに改める必要性を感じる。欧州組の招集も毎回ベストメンバーではなく、欧州カップの戦に出場選手している選手は、ローテーションしながら2回に1回とか、休める環境を設ける規定作りが必要になる。」と締めくくっています。

そのとおりです。森保監督は「W杯で優勝をめざす」という目標に向かって突き進み、何が何でも代表優先から頭を切り替えられないように見えます。その結果として、今回の中村敬斗選手のように代表での負傷のためクラブでのレギュラーを失うリスクが増し、結果的に日本代表の総合力「Σ: シグマ」増大につながらない悪循環を断ち切らなければならないと思います。

当「夢追い人」は、日本代表戦を国内で開催する場合の興行面のトライアングルが、選手を縛っていると考えています。つまり、スポンサーとして莫大な資金を出す企業(冠企業とテレビスポンサー企業)、視聴率等おいしいコンテンツであるテレビメディア、そして、興行主として潤うJFA(日本サッカー協会)です。
このトライアングルを形成するキーマンたちは、まだまだ「日本代表として誇り、名誉、責任」といった観念論で、疲れている選手に対して「奮い立て」と考えていると思います。

このトライアングルは、お互いに、いわば「そんたく」し合って、なかなかお互いにとって都合の悪いことには目をつぶることが多いように思います。メディアがいくら報道の自由と言っても結局は広告主としての企業に依存していることは確かです。選手たちを置き去りにしてカルテルを結んでいると言われても仕方ない関係性にあるのです。

日本国内で代表戦があるたびに、過酷な移動を強いられる負担を、キチンと問題視すべきは、JFA(日本サッカー協会)であることが本筋であり、協会がメディアを巻き込んで杉山氏が提案したような方向に持っていくべきだと考えています。そもそもJFAが拠って立つ基盤は「選手というかけがえのない資産の存在」です。その協会が「国内開催の代表戦のために選手に犠牲を強いている」と後ろ指をさされているのは本末転倒です。
協会には猛省を促したいと思いますし、ぜひ改善して欲しいと思います。

ベストメンバーを組めない試合で、どう残りの選手たちを伸ばし、全体の底上げを図るかも、代表強化の大切なポイントなはずです。
1年の中で、本当に大切な試合、大切な大会を極力絞り込んで、そこではベストメンバーを少し長い期間拘束してチームの練度を上げていくにしても、それ以外の期間は選手のコンディション維持、移動による疲労回避に充ててあげるといったメリハリをつけることのほうが絶対いいはずです。
森保監督には、そうすることが、最終的には本番のW杯での長丁場を乗り切るコンディション維持にもつながり、目標としている「新しい景色を見る」という結果にも繋がるのだという信念を持って欲しいと思います。

杉山氏はもう一つ、代表選手に対する金銭面の待遇改善にも言及しています。「2024年まで計8年の就任期間中に推定10数億円を手にする森保監督と比較すれば、選手が手にする報酬は雀の涙だ。社長とアルバイトの関係と言っても言い過ぎではない。日本のサッカー産業が代表チーム中心に成り立っているとすれば、事実上、名誉のためだけに参加している選手たちの待遇は、直ちに改められるべきである。でなければ辻褄は合わない。」と、森保監督を引き合いに出して主張しています。

この書き込みでは、杉山氏の論考の多くを引用させていただきましたが、同感してのことですのでご容赦いだたければと思います。
一つ前の書き込みで「カナダ戦で久保建英選手の出番はありませんでした」「久保選手は怖い顔をしていました」と書きましたが、久保選手の直近のスケジュールを考えればカナダ戦は回避して当たり前でした。

ところで、いまチュニジアとの試合を見ながら書き込んでいますが、伊東純也選手が今回も右サイドでスタメン、後半、放送席では選手交代の対象として「伊東純也選手がイエローをもらっていますから、伊東純也選手ですかね」と予想しましたが、結果は別の選手がアウトでした。思わず解説の松井大輔さんが「伊東純也選手ではなかったんですねぇ」とコメントしました。

そして5分後、伊東純也選手がゴールを決めるのですから、森保監督はますます自信を深めていることでしょう。とにかく使いたい選手はとことん使う監督です。その分、疲労の蓄積だとか、それによるケガのリスク増加などといったことは、とことん考えていないかも知れません。
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