中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

会議は踊る、されど進まず

2013年12月11日 | コンサルティング

会議といえば、会社勤めの人間にとっては「生活の一部」のようなものです。

私も30年近い会社勤めの間、どれくらいの時間を会議で費やしたか想像がつきません。もしかすると、家族との会話よりも多くの言葉を会議の場で他人と交わしていたかもしれません。

ところで、会議とは調整と情報共有が主な目的であり、あまり生産的な感じがしません。しかも、あまり効率が良い感じもしません。

「会議は踊る、されど進まず」とは、1814年、フランス革命とナポレオン戦争の戦後処理を目的に開催されたウィーン会議を皮肉った言葉です。実際、ヨーロッパの主要各国の利害が衝突して、数ヶ月たってもなかなか結論が出ませんでした。もっとも、昼は会議をして夜は舞踏会をしていたというのですから優雅なものです。

日本の大企業で行われる会議もなかなか進まないことが多いのですが、ウィーン会議のような賑やかさはありません。

どちらかと言えば、「偉い人」に参加者が順番に何かを報告するというパターンが多いように思います。すなわち「御前会議」ですね。

私はそうした報告中心の会議は「会議」と呼ぶのを止めて「報告会」にすべきだと思います。情報共有や報告だけなら一堂に「会して」いるだけで、「議している」わけではないのですから。

「会して議する」なら、その結論(決めごと)を必ず成果物として求めてはいかがでしょうか。

分かりやすく言うならば、「会議とは、結論という製品を作る工場である」という定義です。

この定義ならば、結論の出ない会議は「製品を作らない工場」ということになります。そんな工場があって良いわけがありませんよね!

実は、大きな会社に勤めていた頃、よく会議中に居眠りをしながらそんなこと考えていました。

当時の自分のことはさておき、いまさらですが提言とさせていただきます。

(人材育成社)

 


エピソード記憶

2013年12月10日 | コンサルティング

学生時代に数学で習ったサイン(sin)、コサイン(cos)、タンジェント(tan)、覚えていますか?

また、音楽の時間に習ったクレッシェンド. (crescendo) とデクレッシェンド  (decrescendo)はいかがですか?

私はいずれも言葉としては記憶にあるのですが、内容の説明を求められたとしても残念ながら正確に答える自信はありません。数学も音楽も他の教科と比べても好きな教科だったはずなのに、です。

あの時代に勉強したことが何も残っていないなんて、親が聞いたらさぞがっかりするのではないかと思います。

でも、勉強した内容はきれいさっぱり忘れてしまっているのに、過去のどうでもよい、忘れても構わないようなことは結構覚えているものです。

何十年も前のことなのに、あの時あの友達とこんな会話をして、涙を流すくらいに大笑いをしたとか、あの時食べたものは何だったとか。

例えば、私の記憶では沖縄が日本に返還された1972年5月15日の天気が曇り空だったということは、はっきり記憶に残っています。朝からニュースで繰り返し返還のことがとりあげられていたこと、そしてこの日はどんよりした曇り空だったことが今も景色として思い出されます。

何十年も前のことなのに、光景だけでなく、その時の感情や空気感までクリアに再生することができる記憶なのです。

これが、エピソード記憶と言われるものです。エピソード記憶は事象の記憶です。エピソード記憶には時間や場所、その時の感情が含まれ、意味記憶(事実と概念に関する記憶)とも相互に関連していて、物語に例えることができるそうです。

仕事に関連して言えば、何十年も前に指導を受けた上司で良い影響を与えてくれた人のことを覚えていて、その人をロールモデルにすることは、エピソード記憶の一つの例と言えます。

私も、研修に携わる者として、受講者にプラスのエピソードとして記憶されるような影響力を持った研修ができたら本当に良いだろうなと思いますし、日々それを目指して頑張っています。

(人材育成社)


やり方だけ教えて。他はいいから。

2013年12月09日 | コンサルティング

研修に参加している受講者の何人かが「やり方だけ教えて。他はいいから」という姿勢で臨んでいるとその研修はほぼ失敗します。

研修は知識やスキルをインプット(input)することです。自分の中(in)置く(put)には頭と身体を使ってそれらを取り込むプロセス、すなわち練習という行為が必要になります。

ロールプレイングやケーススタディは、そのプロセスをスムーズに進めるための行為です。

そうした実習の際、積極的に参加しようとしない受講者のほとんどが「そんな面倒なことはいいから、結論だけ教えて」という態度をとります。

ちょうどゴルフの初心者が「素振りとか面倒なので、どうやれば良いショットが打てるかやり方だけを教えて」とレッスンプロに言うようなものです。

当然ですが、これでは決して上手く行きません。

すると「プロのくせに教えるのが下手だなあ」という評価を下します。

こうした態度をとる受講者が何人かいると研修の失敗は火を見るよりあきらかです。

しかし研修講師もプロですから、研修が台無しにならないように色々な手を打ちます。

もっとも有効な手段は、研修の主催者である人事部門に事実を報告することです。

受講者は研修終了後にアンケートで講師評価を行いますが、講師も受講者を評価をしていることをお忘れなく。

(人材育成社)


イベントがもたらすコミュニケーション効果?

2013年12月08日 | コンサルティング

「りょうくん」&「クレイヴァルス」

先週末、我が駅前商店街で行われたX‘mas アートナイトのオープニングイベントに登場したのが、この「りょうくん」と「クレイヴァルス」です。

「りょうくん」とは、私が住んでいる駅前商店街に昨年誕生した馬のゆるキャラで、馬は近くの大井競馬場に由来し、名前の「りょう」は江戸時代、この地に土佐藩の下屋敷があったことから、坂本龍馬との縁で名づけられたのです。この「りょうくん」、脇には刀ならず人参を差し、まちをゆる~く闊歩?しています。

一方の「クレイヴァルス」は品川区から生まれたご当地ヒーロー。敵を倒すのでなく、話し合いにより人の心に潜む悪を断つと願っているそうです。(映画の公開予定もあるとか)

この商店街、旧東海道沿いの歴史のある下町ということからなのか、春夏秋冬を通じてお祭りやイベントが多く、「今回は何祭り? 目的は何?」と思うくらいに、よく開催されています。

例えば、毎年8月初旬に行われるお祭りは、近隣の旧町名のお神輿が一斉に地元の神社に集結し、真夜中に御霊入れを行ってからそれぞれの地域に戻り、3日間盛大に行われます。最近、地域によっては神輿の担ぎ手が減って問題になっていますが、どうやら我が地元にはその心配はなさそうです。

また、11月16日には龍馬が暗殺された日の翌日のためか、龍馬像の前で供養のイベント?も行われていました。

ところで、企業において一時期敬遠されがちだった運動会などのイベントが、ここ数年は復活傾向にあるようです。

異なる文化を持つ企業同士の合併や、経営統合が行われる時代の中、コミュニケーションをとる手段として再認識されているのでしょう、こうしたイベントの企画会社は売り上げが伸びているとのことです。

運動会では、リレーや玉入れ、大縄跳びなどチームで行うものが人気で参加者が所属部署を超え、また上司、部下の関係なく楽しめるので、これまで対話をしなかった人との交流機会が作られたり、増えたりといった効果が出ているのだそうです。

こうした運動会自体はとても良いことだと思います。でもこのようなイベントが設定されないと社員同士のコミュニケーションが取りにくい時代なのか、そしてコミュニケーションの機会創出だけが目的だとすると、イベント自体あまり長続きしないのではないかとも思います。

問題は、こうしてできたせっかくの関係を日常の仕事の中で如何に拡げていくかが大事だと思うのですが、いかがでしょうか。

(人材育成社)


ポジティブシンキングは危険です。

2013年12月07日 | コンサルティング

いわゆる自己啓発セミナーなどでポジティブシンキングを身につけた「ポジティブ信者」の方々には申し訳ないのですが、あえてこう言わせていただきます。

ポジティブシンキングに関する本やセミナーでは、何かの問題に直面した時に・・・
「プラス思考で行きましょう」 
「どんな出来事も良い方にとりましょう」
「悪いことは忘れてポジティブに考えましょう」
・・・などと教えます。

目の前に危機が迫っているときはポジティブもネガティブもありませんが、リスク(危険性、問題が生じる可能性)に直面した時にポジティブシンキングを実践してしまうのは大変危険です。

以前このブログでも紹介しましたが、リスクとは「発生確率×影響の大きさ」です。

たとえば、台風が接近している状況で明日予定されている野外イベントをいち早く中止にすることはよくあります。

台風の中でイベントを行った場合1,000万円の損害が生じるとします。上記の式を使えば、台風の予報が当たる確率が80%のときは800万円、50%なら500万円がリスクの値となります。

私たちが仕事の中で直面する様々なリスクも、影響の大きさ(損害金額、対処するための労力や時間)を想定することは可能です。

台風ほどの大きな影響はないにしても、そのリスクが現実のものになった場合必ず損害が発生します。

ポジティブシンキングは、リスクの発生確率を低い方に誘導するバイアスになります。

もちろん過度に高く見積もる「ネガティブシンキング」も、決断を鈍らせリスクを大きくしてしまうかもしれません。

大事なことは、「発生確率」をできるだけ正しく推測するスキルを身につけることです。そのためには、日頃から「確率」を意識することが有効です。

リスクをきちんと推測した後で、なおかつポジティブに考えたいならばそれはそれで良いと思います。

宝くじに100万円つぎ込んだって、100万円以上当たるかもしれないのですから。

(人材育成社)

 


紅葉の因果

2013年12月06日 | コンサルティング

「何の木も紅葉となればうつくしき」 

正岡子規の句です。

今、東京周辺では紅葉が真っ盛りです。ここ数日は小春日和が続き、色づいた葉が日差しを浴び一層鮮やかに見えます。

道を歩いていると、どの方向を向いても紅葉した樹木が視界に入るので、注意があちらこちらに行ってしまい、おちおち歩いていられません。まさに子規の句のとおりですね。

さて、こんなに美しい紅葉ですが、どうしてこのように色づくのでしょうか?

まず気温が10度以下になると、葉と枝の間に仕切りのようなものができて、葉にできた栄養分が枝の方に行かずに葉にたまり、それが葉を赤くする物質に変わるのだそうです。そして、秋の日差しをたっぷり受け夜がぐっと冷え込むとその赤色の物質が増え、葉全体が赤くなり、これは木が「冬眠する」状態とも言えるそうです。

また、他にも「自分は耐性が強いのだから寄生しても成功できないぞ」と木がアブラムシに呼びかけている、自分の免疫力を誇示するハンディキャップ信号として進化したものというメカニズムとも考えられるようです。

「きれい」「美しい」と単純に見とれていた私ですが、いろいろな理由(原因)の結果、紅葉するのだということがわかります。

さて、秋はビジネスの世界では研修のハイシーズンです。この秋は「問題発見・課題解決」をテーマにした研修を行うことが多いのですが、問題発見・課題解決研修こそ、まさに因果関係の検証が大切なのです。

職場では様々な問題が起こります。顕在化したものだけでなく潜在的な問題もあり、私たちの仕事は日々問題発見と課題解決の連続です。

こうした問題にはその大きさにかかわらず、必ず原因があります。

原因を探る時には、まずなぜこういうことが起きたのか? なぜ? なぜ?と原因を深堀します。原因を追求し続けた結果、ようやく問題の真の原因をつきとめることができますが、この深堀して追求を続ける作業はとても骨が折れます。

なぜなら、これは普段はオブラートに包んでやり過ごしていた事柄について、その膿を出す作業だからです。

しかし、意を決してこの作業に真剣に取り組まないと、同じような問題が繰り返し起きてしまい、いつまで経っても解決に向かいません。解決のために腹を括るしかないのですが、短時間で片づけられない問題が多いだけに、原因の追究は本当にエネルギーがいる作業です。

いつも何気なく見ている紅葉が、自然の因果によって起きていることを知ると、どこか神秘的な要素を含んでいるように思えます。一方、職場の問題の原因分析には神秘はない、ひたすら地道に取り組むしかないのだなと紅葉に包まれた街を見ながら思うのです。

(人材育成社)


楽観よし悲観よし。(松下幸之助)

2013年12月05日 | コンサルティング

たくさんの名言を残している松下幸之助ですが、私はこの言葉が一番のお気に入りです。

楽観よし悲観よし。
悲観の中にも道があり、
楽観の中にも道がある。

・・・という言葉です。誰でも仕事で上手く行かないことがあると悲観的になりますし、予想外に上手く行くと楽観的になります。そんな時、「どちらにしても道がある」と言うのです。なんとなく救われます。

今日はある企業に「中堅社員研修」の提案を行いました。

入社して何年か経つと仕事にも慣れてきますし、社内の人脈もそろそろ出来てきます。

ある人は「このまま流していけば、この先も何とかなりそうだ」と楽観的に考えます。また別の人は「このままでいいのだろうか、先が心配だ」と悲観的に考えます。

このように、同期で入社しても「楽観」と「悲観」に分かれてくるのが中堅層の特徴です。

私たちの行う研修では、どちらの考え方にも「道がある」ことを示すようにしています。

楽観的に仕事に取り組めば周囲が助けてくれるでしょう。悲観的に仕事に取り組めば慎重さが身に付きます。もちろん、過ぎたるは及ばざるが如しですが。

さて、次の言葉もまた松下翁の言葉です。

逆境もよし、順境もよし。
要はその与えられた境遇を
素直に生き抜くことである。

(人材育成社)

 

 

 


営業職は好まれない?

2013年12月04日 | コンサルティング

「人と接する仕事をしたい」「人の役に立つ仕事に就きたい」

学生からよく聞かれる言葉です。

一方、学生が希望する配属先は「広報」「企画部」「マーケティング」などの華やかなイメージの部署を希望している人が多いようです。

そこで彼らに「営業職は?」と尋ねると「営業はちょっと・・・あまりやりたいとは思わないです」という答えが返ってきます。

さらに「なぜ営業の仕事は嫌なの?」と突っ込むと、「大変そうですし、それにしゃべるのが苦手なんです」とのことで、これは男女に共通する傾向だと感じています。

先日お会いした製造業の採用担当者によると、採用試験の面接時には「営業もやってみたいです」と言うけれど、入社後に希望配属部署を確認すると「営業は希望しません。経営企画や広報やマーケティング部に行きたいですと言うんです。営業もやりたいと言っていたことは何だったんだと思ってしまいます。」とのことでした。

また、この採用担当者は「新卒者を経営企画や広報などに配属することは滅多にない。まずは、営業で現場を学んで欲しいと考えているので」ともおっしゃっていました。

それなのに、学生はどうして営業職を敬遠するのか?

学生に営業職のイメージを聞くと、「営業数字に追われ事務所の壁には営業数字を示す棒グラフが張り出され、計画未達だと上司から厳しく叱責される仕事」だと想像しているとのことです。さらに契約を獲得するまでは、事務所に戻ることを許されない、そのために口八丁手八丁で売る過酷なイメージがあるようです。

こうしたイメージはまるで何十年も前の営業職のようですが、学生時代に営業を経験をする機会のない学生がこのような印象になるのは仕方ないのかもしれませんね。

こうした中、12月2日の朝日新聞に「営業イロハ 大学で」との記事が掲載されていました。営業のノウハウを大学の正規授業で教え、単位を与える取り組みが始まっているとのことです。

就職活動に強い「即戦力」を育て、卒業後の早期離職を防ぐ狙いもあるそうです。受講した学生は「人と接する楽しさがわかり、営業のイメージがガラッと変わった」と話すなど、比較的良好のようです。

でも、果たしてこれが即戦力として役立つことになるのか、営業職の経験が長かった私にはちょっとだけ疑問です。

営業はお客様あってのもので、顧客のニーズはどこにあるのか確認したり、顧客が気づいていない潜在ニーズの確認などは顧客との信頼関係を築く中で、徐々に獲得していくものです。

時には、顧客からクレームなどの批判的な意見をいただくこともある中で、状況に対応しながら少しずつ信頼を得て契約に至るもので、そのプロセスこそがまさに営業の醍醐味とも言えるのです。そのスキル獲得にはある程度の時間がかかりますし、決してハウツーで一朝一夕にできるようにはならないと思うのです。

ただ、こうした取り組みで営業に対するイメージが良くなり、「間口」が拡がる意味合いは大きいと思いますから、この取り組みの成果を見守っていきたいと思います。  

(人材育成社)


楽天、今度の「社内公用語」はJava言語!

2013年12月03日 | コンサルティング

英語の社内公用語化を進めて話題になった楽天ですが、次はJava(プログラミング言語)の「社内公用語化」を検討しているらしいです。

社員にプログラミング言語の知識を持たせて、仕事の効率化を図るのがねらいのようです。

確かに現代のオフイスワークは、ネットワークに接続されたパソコンでの業務処理が中心です。JavaのプログラムはOS やハードウェアに依存しないため、全ての環境で動かすことができます。他の言語を学ぶよりもメリットは大きいかもしれません。

とはいえ、多くの社員が職種に関係なくJavaのプログラミング技術を身につける必要があるのでしょうか?

この疑問に対して楽天広報部は「Javaについては現段階で公用語化の具体的プランが進んでいるわけではありません」とのこと。

売上高・利益とも絶好調、球団も日本一になったこともあって、楽天が「何かやる」ニュースに関しては話題性が十分です。

それにしても英語の次はJava言語とは

楽天の社員も大変だと思いますが、就職希望者が殺到しているところを見ると「余計なお世話」かもしれませんね。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2800M_Y2A620C1000000/?df=4

(人材育成社)


コミュニケーション呪縛

2013年12月02日 | コンサルティング

昨日、2015年春の就職を目指す大学3年生らの就職活動がスタートしました。

報道によると、「円安や株高による景況感の改善を受けて、採用を拡大する企業が増える見通し」で、学生にはやや広き門になるとのことです。

 毎年この時期になると思うのは、コミュニケーション呪縛のこと。

 経団連が企業の大卒等新卒者の採用選考活動を総括し、次年度に向けた動向を把握することを目的に1997 年度より実施している「新卒者採用に関するアンケート調査集計結果」では、採用選考時に重視する要素の第1位は9 年連続で「コミュニケーション能力」となっています。

2位以降の「主体性」、「チャレンジ精神」、「協調性」、「誠実性」は年により順位の変動が多少ありますが、上位5つの項目自体には変化はないです。

そして、この調査の結果を意識しているのか、就職試験で自分にはコミュニケーション力があるとアピールする学生が多いようです。

でも、先日お会いしたある製造業の人事部長は「採用の面接時にコミュニケーション力が高いことが強みと答えた学生を採用したつもりだったが、入社後に見ていると決してコミュニケーション力があるとは思えない。面接ではコミュニケーション力があることが強みだと言っていたのに・・・」とおっしゃっていました。これが、まさにコミュニケ―ション呪縛の一例だと思います。

企業の研修においても、コミュニケーションスキルアップに基づく内容は一昔前は新入社員を中心に若年層が対象でしたが、ここ数年は管理職研修でもコミュニケーションを行ってほしいとの依頼を受けることが多くなったように感じています。

このような話を見聞きするたびに、ではコミュニケーション力が高い人とは一体どういう人なのだろうか?と思います。

Facebookの友達の数が多い人? 「いいね」を押されることが多い人? 初対面の人ともすぐに打ち解けられる人? 冗談が上手い人のこと?

これらがコミュニケーション力が高い条件かというと、ちょっと疑問ですね。

先日、平田オリザさんの「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」 (講談社現代新書)を読みました。

そこには、日本のコミュニケーション教育は多くの場合、「わかりあう」ことに重点が置かれていたとして、わかりあえない中で、少しでも共有できる部分を見つけた時の喜びについて書かれていました。

私は、仕事におけるコミュニケーション力とは社内・社外にかかわらず意見が対立した時に「何でわからないんだ」とか、「どうせ、言ってもわからないだろう」とあきらめてしまうのではなく、そういう中でも意見を交換し、双方が納得できる合意点を見い出せる力のことだと思っています。

異なる価値観の人と共に仕事をする時に、物おじせず卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくことには大変なエネルギーが必要です。

私自身社会人になって20数年たっても、なかなか簡単なことではないと感じています。

なおのこと採用時にそれを求めるのは難しいことだと思いますし、そろそろこうしたコミュニケーション呪縛を解くことを考える必要があるのではないでしょうか。

(人材育成社)