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Yes Butの法

2014年02月12日 | コンサルティング

戦国時代の武将豊臣秀吉が天下をとることができた理由の一つに、清州会議があると言われています。私は見逃してしまいましたが、昨年秋には三谷幸喜監督の映画「清州会議」が上映されました。三谷監督が言うには、日本史上初めて会議によって歴史が動いたとのことです。

織田信長の後継者を決める清洲会議では、それまで織田家の重臣筆頭として最大の発言権を持っていた柴田勝家の影響力が低下し、逆に羽柴秀吉の存在感が一気に大きくなり、織田家内部の勢力図が大きく塗り変わりました。まさに歴史が動いた瞬間です。

では、清州会議で一体何が起こったのでしょうか。

信長亡き後、次の跡目に推されていたのは、主に二人でした。一人は柴田勝家が推す織田信長の三男信孝、もう一人は信長の嫡孫にあたる信忠の嫡男・三法師(織田秀信)です。信孝と三法師の争いでありながら、実はそれぞれの後ろに控えつつ目論見を持っていた勝家と秀吉との対立だったのです。

この争いは、最終的に秀吉に軍配があがりました。その理由はいろいろあると思いますが、一つには秀吉が会議の話し合いの中で、「Yes but」法を使って会議の流れを自分の方に向けたことがあると言われています。

「Yes but」法とは、相手が言った意見に対し、まずYes(同意)を表明し、相手がこれ以上話すことがなくなるまで話を徹底的に聴きます。

相手が存分に話し終えたら、今度は自分の意見を言う番です。「しかし」(But)と切り出して、自分の意見を表明するわけです。

簡単に言えば、まず相手の意見は「へえー、なるほど、そうだね」と受け止める。そして、自分の意見はその後でというということです。

誰でも自分の意見や発言を間髪入れずに、頭ごなしに否定されれば、嫌な気持ちになります。もしこれが交渉であれば、そこで終ってしまうこともありえます。

一方、相手の意見を尊重しつつ、自分の言いたいこと(反対意見)を後で言うやり方は、相手を一旦肯定的に受け止めることになります。

秀吉は、清州会議で機先を制した勝家が信孝を擁立すると口火を切った時にじっと耳を傾け、「ご意見はごもっとも」(YES)と言った後に、自分の意見(BUT)である三法師を押したのです。

交渉の達人と言われた秀吉のことですから、偶然にYes BUTを使ったのではなく、意図したことだったのでしょうね。

私たちは、わかっているつもりであっても、他人の意見を尊重することを忘れて、ついつい自分の意見を主張したくなるものです。

しかし、相手にとってみれば意を決して一所懸命に話したことをためることもせずに即否定されれば、マイナスに感じるのは無理のないことです。

対話においては、先ず相手の意見を傾聴する。自分の意見がある時には、その後で言う。これが交渉の場のみならず、人間関係を築いていく上で大切なことです。今、放送されている大河ドラマでも、この清州会議の場面が出てくるかもしれません。YES BUT方が使われているか、是非注視したいと思います。(冒頭の写真はwikipediaより)

(人材育成社)