パオと高床

あこがれの移動と定住

チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』吉川凪訳(クオン)

2015-09-19 03:56:28 | Weblog
 この「新しい韓国の文学」シリーズ、やはり引かれる。
 で、今回の一冊。作者は1984年生まれ。痛い小説。この場合の「痛い」は、今よく使われている「痛い」という言葉とは
違うかもしれない。心の痛みを誘う小説なのだ。僕らが、つまり君らが、そう、あなたちが生きてきた場所があり、それは
戻れない場所かも知れないが、間違いなく、自分自身が生きてきた場所であり、そこにボクたちの事件の一切があったとい
う痛さ。そして、否応なしにそれを引き受ける痛さ。ボクらは襞を重ねて生きている。ということを小説は静かに語る。毎
日、毎日、暮らしながら、それでも特別で、そんな特別さが、ボクたちの今に圧倒的な影響を与えている。果たして何もな
い人生というものがあるのだろうか。いつも存在は境界にいる。だから、小説は処方箋を与えてきた。現代小説は生きるこ
とへの処方箋だと、そんなことを、アメリカの作家ジョン・アーヴィングが、言っていたように思うけれど、、言っていた
ような、そんな気もするけれど…。
 この小説は、私たちの時間を伝えようとする。私たちには、それぞれに自分自身が抱え、そして仲間同士で抱え合った、
確かな時間があったということを伝えてくる。

  私は人生で最も秘めやかな真実を、ビビンククスを通して学んだ。;

 これが小説の冒頭である。「ビビン」は混ぜ合わせるという意味、「ククス」は麺の一種である。「私」は、坡州(パジュ)
という北朝鮮との境界線の近くに暮らしていた。その「私」の青春。それこそ、まさに「ビビン」なのだ。小説は、そこで
の青春群像を描く。家庭内で暴力を受ける者。家の中だけで自分の世界を作る姉妹。女生徒からの人気を集めている大人び
た少年。流行の前線を走る少女。学業優秀な男の子。そして、「私」。
 ストーリーは、そんな彼ら彼女らの幼いとき、青春のとき、そして大人になっている現在を描いていく。それと、映画業
界で働くことになった「私」が折に触れて映した仲間の動画のファイルが挿入されていく。このファイルの場面もいい。気
が利いた言い回しと、重さのバランスのよい、思いのこもった表現が、小説を読み進めさせる。傷を負いながらも成長して
いく物語が、読後感を爽やかなものにさせる。
 これは、青春小説の持つ快さなのかもしれない。
 訳者あとがきによると、韓国でのタイトルは『これくらい近くに』というらしい。日本語版では、作者が最初に考えてい
たタイトルに戻したということだ。「アンダー、サンダー、テンダー」には、それぞれ「エイジ」がつく。あとがきでも引
用されていたが、

  そのファイル名がどこからきたのかも、すぐにわかったはずだ。
  「ある年齢じゃないかな」
  「年齢?」
  「アンダーエイジ、サンダーエイジ、テンダーエイジ」

 未成年の挫折をくり返す年齢、稲妻のような強烈な年頃、優しく無防備な年頃を表す言葉だと作者は語っているらしい。
 あっ、訳文がとてもすいと入ってきた。
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