パオと高床

あこがれの移動と定住

松本清張記念館に行く

2009-03-13 09:43:52 | 雑感
先日(11日)、北九州市の松本清張記念館に行った。

記念館は小倉城の敷地の中にあり、周辺は紫川河畔が整備されて、ゆっくりと歩くのに適した地域になっている。また、川を渡れば、魚町銀天街という長いアーケードの商店街があり、さらに大きな道路をはさんで、旦過市場に繋がっている。この市場は面白い。清潔でありながら、アジアの市場の中にしっかり入っている。
紫川は、北に、海へと開けている川で、趣向を凝らした橋がいくつか架かっている。僕は鴎外橋を渡った。地図を見るとそれには、「水鳥の橋」という別名がついていて、たもとに鴎外の文学碑が建てられていた。

記念館では「1909年生まれの作家たち」という企画展が催されていた。今回、これを見たかったのだ。「清張生誕百年-同じ年に生まれた五人の作家の時間と軌跡」という企画で、松本清張、埴谷雄高、太宰治、中島敦、大岡昇平の五人が、同時期にどう生きていたかを比較検証するという企画である。最初に、この企画を知ったときは、また強引なと思ったが、各作家の個性と魅力が、興味をおこさせた。

会場中央に円形にパネルが立てられていて、その円の中に入るようになっている。中にはいると壁面には作家の顔が、自身の原稿を背景に大きく写っている。真ん中にいると、この五人の作家に見つめられているような感じになる。案外、ぞくぞくするものだった。
各手書き原稿の校正が面白いし、小学校の頃の太宰の作文には感心した。また、中島敦の教員の辞令や埴谷雄高の予審終結決定の資料、『死霊』の原稿、中島敦の『李陵』の原稿書き込み。大岡昇平の学友誌に載せた小説「我が輩は犬である」とか、太宰の同人誌「細胞文藝」の表紙や手帳。見ていて飽きなかった。

常設展示には、松本清張の住居が再現されていて、書庫、玄関、応接間をガラス越しに見ることができるようになっていた。ああ、イメージ通りの松本清張だなと思える感じだった。カメラや万年筆などの持ち物やメモ帳ノートなどと共に興味深いものがたくさんあった。絵が上手いんだよね。

テレビでの北九州市長会見は、清張生誕100年の似顔絵が碁盤の目の中に書かれている壁を背景に行われている等、北九州市はかなり生誕百年に力を入れている。よく「国民的作家」という言葉が使われるが、確かに、松本清張は、その量と質、また読者層の広さからも「国民的作家」の一人といえるのだろう。他は誰がそうかな、司馬遼太郎かな。
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