パオと高床

あこがれの移動と定住

韓成禮(ハン・ソンレ)『柿色のチマ裾の空は』(書肆青樹社)

2008-11-12 11:36:00 | 詩・戯曲その他
1997年発行の詩集である。ハン・ソンレという名前を知ったのは、韓国詩の訳者としてだった。詩の訳者自身が詩人であるということは、むしろ当然のことで、だからハン・ソンレが詩人であるということは当然だったのだが、何故か、ハン・ソンレ自身は母語で詩を書かないのではないかと勝手に思いこんでいた。母語を外国語に訳すという詩的営為は、かなりエキセントリックだ。もちろん外国語を母語に訳す訳者もそれはそれですごいわけで、例えば、その行為の先達として堀口大学などのすぐれた仕事を知っているし、堀口大学のようにたくさんの詩人を訳した人という限定をつけなければ、金子光晴のランボーや福永武彦のボードレールなどなど、詩の翻訳の歴史もすごいものなのだ。ただ、母語を外国語にして紹介するということは、さらに越境性を持っているような気がする。もちろん、言葉の性格からいって、韓国語と日本語の距離は近い。単語配列が同じだし、助詞の配置が同様といえるし、漢語由来の言葉は共有している。フランス語を訳す距離に比べると格段に近親性があるし、中国語の訳は語の数自体からいっても、むしろヨーロッパ系の言語よりも日本語翻訳は距離が遠いような気がする。そんな中で韓国語は極めて近親性がある。しかし、それでも音の配列での音感や語彙に乗せた意味、ニュアンスは違うのではないだろうか。母語には母語が持つ論理構造と価値概念と感性基盤がある。外国語の日本語翻訳でよく言われることは、外国語への精通はもちろんのことだが、むしろ訳者の力量は日本語力にあるのだということで、それがアウェーをホームにする力なのかもしれない。そう考えると実は、この地点には越境はない。あたりまえのことで。ただ、思考の過程には越境は存在する。ところが、それが、母語を外国語にするのではフィールドが変わる。ハン・ソンレの訳業は、韓国現代詩をその詩人の個性に即しながら日本語の世界に連れ出す、かなりスリリングな作業なのだ。しかも、多くの詩人を訳しわけていくという作業はかなりな困難を伴うのではないだろうか。その困難の作り上げる橋を渡る。そこには韓国の豊饒な詩の世界がある。そして、最初のささやかな驚きと喜びに立ち帰る。そのハン・ソンレは、韓国詩の翻訳者であって、魅力的な詩人であったのだ。例えば、『脱領域の知性』としてボクらは誰を思い出すだろう。母語を捨て、あるいは奪われ、外国語で創作活動を行った作家、詩人として誰を思い浮かべるだろう。そして現在、余儀なくに関わらず、自ら選んでも含めて、ボクらはボーダレスな同時代人として誰を思い浮かべるだろう。そんな活動の越境性は、おそらくグローバリズムに同調せずに、むしろ抗う知性としてグローバルなのではないかと思ったりするのだ。
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