気になる作家の一人。
というより、すでに今ごろ、そんなこと言っているのと言われそうな作家のデビュー作「オーブランの少女」が収められた短編集。
いやいやいや、面白かった。
ああ、そうくるのかというストーリー展開。そうなのだ、ボクらは、私たちは時代の中で生きているのだ。
でもね、その時代がどう動いていて、今、どこに自分がいるのかなんてなかなかわからなくて、それ自体がミステリの土台なのかもしれない。
それをロマネスクに描いていく。どこか翻訳体のように、どこか語り物めく語彙力を駆使して。それがとても小説を読む愉しさを喚起してくれる。
構成も、作家である「私」が手記を手に入れ、それを作家である「私」が物語として書き記すという構成が採られている。
そうなのだ、今物語るとは、物語ることを記す状況を物語るという二重構造が必要とされるのかもしれない。
そして、この小説では、そのことが歴史の、時間の経過を、今と繋げている。
オーブランほど美しい庭は見たことがない。
湿り気を含んだ薫りの良い黒土に、青々繁々と奔放に育つ植物たちを目の前にすると、
大地は生命の母などという陳腐な文句でさえ心からまことだと感じられる。
小説は、こう書き出される。
美しいオーブランの館に集められた少女たち。彼女たちはなぜ集められたのか。そこで何が行われたのか。行われようとするのか。
どこか「少年少女世界文学全集」にあるようなテイストで描き出される世界は、とても巧妙な展開を見せる。
そしていつか「少年少女世界文学全集」から離れていく。まるで、読書好きな少年少女が、そうやって読書の森に迷い込んでいくように。
小説は、エンタメ小説の要素もさまざま取り込みながら、不思議な格調をもった文体で綴られる。
なんだか、アメリカやイギリスにはこんなテイストの小説はありそうだけれど、とても珍しく新鮮な印象を持った。
『戦場のコックたち』と『ベルリンは晴れているか』いつか必ず読むぞ。
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