パオと高床

あこがれの移動と定住

詩誌「饗宴」VOL.63

2012-03-21 12:15:54 | 雑誌・詩誌・同人誌から
今号冒頭、荒巻義雄さんが講演の補足として書いた詩論に、まず目がいった。「講演『ハイデガーと詩』を終えてー補足」として、書かれた文章だ。例えば、こんなところが格好いい。

  講演では「帰郷」について一部を朗読したが、詩人は故郷に帰り着い
ても、昔の友や村人とは、本質的なところで孤立する。
  彼がそうした故郷で目指すのは、あくまで〈世界の本質〉である。
  繰り返しハイデガーが語るように、〈故郷〉は単なる故郷ではない。
存在の故郷である。

とか。

  ギリシャ人はフュジスという言葉に、開かれたものへ上昇するイメー
ジを託した。現象とは明るさの透明な通路を上昇し、ふたたび事物の輪
郭に現れることである。彼らは、言葉を、たとえば黎明の刻のような自
然に則してイメージした。
  これこそが詩の言葉なのだ。観念や概念を言葉の原義に戻して駆使す
るのが、詩人の役目なのである。

とか、そして、〈居る〉と〈在る〉に触れる前に、この部分に続けて、以下のように書く。

  詩の言葉は、こうした生き生きとした言葉であって欲しい。詩は存在
の原風景に接近すべきであり、そのためのアクチャリティ(actuality)
も必要だ。臨場感と訳したい。

 この接近は、そう、荒巻さんがさらに続けて書く、動詞の動きかもしれない。詩誌2ページの短い文章だが、面白い。


 今回の特集「海外詩特集」では、細野豊さん訳、紹介のスペインのペドロ・エンリケスの詩が、なにか気になった。「都市」の冒頭。

 記憶の象牙の辺りに
 一匹の傷ついた象がいる、
 排水溝の出口と
 不可能な金属の街路に
 アスファルトの血がある。

こんな書き出しで始まる詩は、

 そして忘却、
 途方もない忘却、
 不可解な忘却…、

と書く最終連に達する。訳された言葉が、よく動いていた。

村田譲さんの「氷の円環」は、こう書き出される。

 父親の脈が低下しているから急ぎなさいーと
 アクセルを踏み込ませる一報
 視界をさえぎる吹雪から
 切り離されるように飛び込んだ
 トンネルの内側にくぐもる響き
 下向きに切り換えたライトが映す
 濡れた路面に半円の
 反射するふたつの世界

状況が、言葉に体言止めを強いてくる。言葉は、文脈は、詩句は、その体言止めをどうすり抜けるか。繋がる詩句と終止形の連鎖の脈略が見えてくる。言葉が氷結する瞬間があるとすれば、活用する動詞の移動は興味深い問題かもしれない。そんな、動きを感じる詩の題名は「氷の円環」である。
コメント (2)
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