パオと高床

あこがれの移動と定住

アントニオ・タブッキ『夢のなかの夢』和田忠彦訳(青土社)

2008-05-14 10:56:55 | 海外・小説
他人の夢を見ることはできるのだろうか?

タブッキは芸術家が見た夢を想像し、その夢を創り上げて、「一人ひとりに捧げる夢のオマージュを織りあげ(訳者あとがき)」る。その夢は、彼の人生の転機であったり、死の直前であったりしたときに夢みられた、刹那でありながら、その人そのものを表す夢である。タブッキはその夢に、愛した芸術家の創作した作品や、彼らの苦闘や希望や恐れを埋め込んでいく。

ゴヤの夢では、彼の絵が連想できるし、彼が人間に対して注いだであろう眼差しが示される。アンジョリエーリの夢は、彼に起こった出来事が及ぼしたであろう体と精神への痛手が夢の形象となって表れる。コウルリッジの詩を生かしきった彼の夢。「月に魅せられた男」と表題されたレオパルディの夢は月のイメージが美しい。死の際を描くスティヴンスンの旅の終わりの夢。ランボーの詩の空気を醸しながら、夢の生き直しと自由を求める出発への憧れを描くランボーの夢。コラージュと批評の合体が見事なチェーホフの夢。自身の無意識が表れるフロイトの夢。そして、それ自体がペソアの変装への言及であり、ペソア自身の異名者探しでありながら、タブッキのペソア探しに繋がっているようなペソアの夢。それぞれの夢がイメージ豊かに作家を語る。

あとがきで和田忠彦が書いているように、これらは「物語のなかの夢ではなく。夢の物語である」。その断章が抱えこむ膨大な物語の情報は、断章として描かれた夢のなかから、さらに夢みられる。断章の断面が想像力のうねりにきらきら輝いている。

これらの断章はタブッキが娘からもらった手帖に綴られたものだということで、この本の冒頭に娘への言葉が書かれているが、その次に中国古謡からの引用がある。
 
 恋人の胡桃の木の下に立ち、
 八月の新月が家の裏手からのぼるとき、
 もし神々が微笑んでくれるなら、
 きみは他人の見た夢を
 夢に見ることができるだろう。

タブッキの夢も読者は見ることになるだろう。
夢についてのペソアの言葉があとがきに引用されている。
「一言で現代芸術の主要な特徴を要約しようと思えば、それは〈夢〉という言葉のなかに完璧に発見できるだろう。現代芸術とは夢の芸術なのだ。」
クンデラも現代小説の重要な要素のひとつに夢の記述と夢の文体を挙げていたと思う。他人の夢そのものを形象化しようとしたタブッキの独創と創造力が楽しめた。



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