パオと高床

あこがれの移動と定住

ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳(早川書房)

2007-12-20 02:38:51 | 海外・小説
相変わらず、不思議な作品たちだ。『スペシャリストの帽子』より、迫力は抑えられているような、しかし、より日常に近いところに別の層があるような感じは強まっている気がする。いきなり状況設定から入り、三人称の語りが登場人物たちの意識で崩れ、何だか不思議な世界をそのまま出現させる手法は、より意識的になっているのかもしれない。すーと非現実が受け入れられてしまう小説世界。しかし、そこに不可解は残る。
どの小説がよかったかな。

「妖精のハンドバッグ」は一番入りやすいかも。ハンドバッグの中が見たくなる。時の流れが違う世界が丸ごと入ってしまうハンドバッグという設定と、そこに入る「バルデツィヴルレキスタン」という国の情景に惹きつけられる。何だかモンゴルの草原を思い出したりした。宮崎駿アニメのキャラを連想したり、ブローディガンの小説をちょっと思い浮かべたりもした。
あれもこれもと書きたくなるが、「石の動物」の月夜の兎たちは視覚的イメージが残る。恐怖を逆手に取る。ホラーのような設定で持ってきて、恐怖の実質は別の所にある。憑かれるものと憑かれたと見てしまうものの恐怖。違和感が嫌悪や嘔吐につながるのは実存的な恐怖につながるようだ。むしろ日常が危うい。思うとおりに動かない、同時性を持たない、日常が危うい。違和感の増幅が槍を持って兎に乗る状況に向かう展開は、妙に時代を映しているような気がした。

この本の作品群には抱え込んだ異質性が地層のように層をなしている。ハンドバッグの中やコンビニの近くの入り口<聞こ見ゆる深淵>、猫の皮の中、兎の地下空間、テレビ番組の中、クローゼットの中などなど。ゾンビや悪魔や魔女やテレビの登場人物やエイリアンはそこを平気で行き来する。

生者と死者の結婚と離婚を描く「大いなる離婚」。ゾンビが客のコンビニを舞台にした「ザ・ホルトラク」。表題作「マジック・フォー・ビギナーズ」は傑作少年(青年)小説で、人は現実の中にだけではなく、むしろ現実と拮抗する、あるいは現実から避難すべくイメージの世界に生きているのだということが<実感>できる。現実と同量同質の非現実が、僕らに与える使命のようなものが、僕らをつないでいる。そんな静かな感動があった。それにしても、遺言でもらう電話ボックスとウェディングチャペルという着想はいい。その州道沿いの電話ボックスとの応答とそこへの旅という展開もいい。
「しばしの沈黙」はタイムマシンものでありながら、むしろ取り戻せない時間への致命的な想いが伝わる。時を遡行する文体は、そのまま、物語の構造と私たちの時間を解体していくようだ。
この小説に「夜風はリンゴみたいな匂いがする。きっと時間というものもこういう匂いなんだろう」という一節がある。どんな匂いか分からないが、切なくすっぱく、そして変に甘い感じ。さらに匂いにとどまらず、人の知ってしまう時間の秘密と宿命と、その先、至れない場所。そこからこぼれだす、哀しみや切なさや痛みや怖れ。そして、瑞々しさ。小説は、奇妙な展開を見せながら、独特のたたずまいで、それらに包まれている。
「猫の皮」が、案外、この作者の特徴をわかりやすく表しているような気がする。単なる気のせいかもしれないけれど。

とにかく、まっすぐ進まない小説たちで、細部に惹かれ、イメージに酔い、何々ぽさからはぐらかされ取り残される感じが、心地よかったりするのだ。それから、過度な湿度がないのもいい。



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