ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

まえがき

2009年12月09日 17時05分31秒 | 県全般

まえがき

 70を過ぎ、東京通いを止めて、まず始めたのが、住まい近くの散歩だった。「泥棒の下見」よろしく、右顧左眄しながらぶらぶら自転車に乗ったり、歩いたりしていると、いろいろなことに気がついた。

 私が住んでいるのは、さいたま市の最南端、戸田市に近いところだ。

 北の方、浦和駅に向かおうとすると、どの道も必ず坂を上らなければならない。別所に向かって坂を上ると、逆さイチョウの真福寺がある。逆さイチョウは舟止め用に使われたというから、私の住んでいる辺りは昔、海だったに違いない。

図書館で本を探すと、「縄文海進」という言葉を知った。縄文時代、東京湾がこの一帯まで広がっていたようだ。

さいたま市南部に貝塚の跡がいくつか残るのもその証拠であろう。

 こんなことをしているうちに、ウサギが守り神の調神社、武蔵国一ノ宮の氷川神社、秋の紅葉が素晴らしい平林寺などへと足が伸びて、「ださいたま 埼玉 彩の国 エッセイ」と称する埼玉県の全てを対象にするブログが始まった。

 学生時代、「何でも見てやろう」という本がはやった。好奇心だけは人一倍あり、歩くのは大好きなので、それでは「何にも知らないこの埼玉県を歩き尽くし、見尽くしてやろう」と、7年が経った。

 自然、地理、交通、歴史、人物、産業、名所・観光、寺社、お祭、催し、施設、盆栽、桜、お茶、植物、動物、飲食物、芸術・文化、スポーツ、話題・・・すべての事象を対象にした。

 この県のことはほとんど何も知らなかった。驚くほどの無知と好奇心こそがその原動力だった。

移動には電車とバスを使い、無い所は歩いた。タクシーは一度も使わなかった。これで県内の東秩父村など63市町村すべてをカバーした。

歩くのが好きだと言っても、大酒飲みだったので、「命有っての物種」と車の運転はしてこなかった身の強がりに過ぎない。

ネタは毎朝、図書館に出かけて、あるだけの新聞をチェックした。郷土関係の本はあさり尽くし、県史や市町村史は関係部分をめくり、コピーした。家ではパソコンで関係用語の検索を重ねた。

 現場第一主義をモットーにしたので、どこに出かけても、パンフレット、資料や地図は有り難く頂き、掲示板や説明書きは必ずポケットカメラで写し取り、メモ代わりにした。

 写真が下手なのは、同じポケットカメラで撮影したためだ。

 このブログづくりは、執筆というより編集と呼んだ方がいいかもしれない。先達が紙上、パソコンに残された貴重な数字や資料を、断りもなしに使わせていただいた。

このブログ・シリーズも、新聞記事で、初めて気づいたり、事実や数字を引用させていただいたものが多い。埼玉新聞を初め、全国紙、経済紙の埼玉版に深謝したい。

出典は原稿の中で最大限明らかにしようとしたが、紙面の都合でできなかったものもある。新聞記事を書いた記者、広報紙や資料のライター、巻末に掲載させていただいた参考文献の著者や取材に協力いただいた方々には感謝の言葉もないほどだ。深くお礼を申し上げたい。

県立図書館の郷土資料室や各図書館の皆さんには資料探しでお世話になった。

2016年夏 筆者