ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

金子兜太先生を聞く その1

2012年07月19日 14時00分28秒 | 文化・美術・文学・音楽



俳句にはあまり関心はないものの、この先生のことだけはいつも気にかかる。古い言葉ながら「私淑」しているからである。

埼玉出身の文人は、後に県外に居を定めた人が多い。

しかし先生は、今は亡き奥さんの勧めで、「土に近い」産土(うぶすな)の地、出身の秩父に近い熊谷に50歳から住んでおられる。

生粋の「埼玉文人」である。

私が見る度に感激するのは、日本俳句協会の会長と頂点を極められた人が、今でも羽生と三峰口を結ぶ「秩父鉄道」の壁に掲載されている、ささやかな俳句欄の選者さえ務められていることである。真の愛郷者なのである。

 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子  

若い頃前衛俳句のリーダーとして、一読して分かり難い句を多く創ってこられたのが先生。この分かりやすく平明な句が原点で、年を経てまたこの句の境地に帰ってこられたのではないかと思う。

退職してこのブログを書き始めて以来、先生の書かれたものや、先生に関するマスコミ報道をせっせと集めてきた。

地元だけあって埼玉新聞にはよく特集が掲載されていて、参考にさせて頂いた。

朝日俳壇の選者を長くやられていることは、ご承知の方も多かろう。これも退職後、真面目に読み始めた。

俳句より川柳に関心があるのだが、先生の選句を初めどれも面白く、掲載される月曜日の朝が楽しみだ。短歌欄にも目を通す。

「日本人には詩人が多いのだなあ」と感心する時である。

こんな折り、朝日カルチャーセンターが12年7月17日午後に新都心のホテルで、先生の「荒凡夫(あらぼんぷ) 一茶」という講演を企画していることを知った。

新聞、本、テレビではいつもお目にかかっているのに、先生の肉顔や肉声には接したことがない。

もちろん、白水社から出たばかりの同名の本を読んで駆けつけた。

驚いたのは、あんな難しい句を好むのは男性が中心だろうと思っていたのに、会場に多かったのは、女性、それも高齢の女性だった。

女性俳人が増えたというのは読んだり、聞いたりしていた。

先生は、12年9月に93歳を迎える。最近、初期ガンの手術を受けたとは思えぬほど元気一杯。

この講演でも、「季語がなければ俳句ではない」というのは「ホトトギス派の暴言」と強調された。いつもの持論である。別の講演では「季語などはノミのへそみたいなもの」と切り捨てゝおられた。私は、旧仮名遣いなども論外だと思っている。

それでは、「荒凡夫」とは何か。

一茶が還暦を迎えたときに作った

 まん六の春となりけり門の雪

の添え書きに出てくる言葉という。

先生は「自由で平凡な男」と読み解いておられる。

一茶に

 十ばかり屁を捨てに出る夜長かな

という句がある。

先生の言われる「生き物感覚」の代表句の一つ。知らなかった私はうなった。