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埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

「ようばけ」  小鹿野町

2011年09月18日 16時13分01秒 | 名所・観光

「ようばけ」 小鹿野町

昔から訳の分からない単語が好きだ。埼玉県は東京に近過ぎて、方言がほとんどないので、分からない単語は少ない。

青森に初めて赴任した時、「まいね」(だめ)という単語だけが聞き取れて、青森弁はドイツ語の響きに似ていると思ったものだ。

大学時代、単位取りとドイツ歌謡のためだけに第2外国語にドイツ語を選んだからだ。当時はまだドイツ語に人気がある頃だった。

「ようばけ」の語をはじめて聞いた時、「せいよう(西洋)お化け」のことかと思った。「面白い。一度見に行こう」と思ってすでに何年経つだろう。

秩父がさる11年、日本の「ジオパーク」の一つに指定されたこともあって、色々読んでいるうちに、「おばけ」ではないと分かったものの、行きたい気持ちは変わらなかった。

14年6月末、札所32番法性寺を訪ねた足を伸ばしてみた。

遠くから見ると、山崩れの現場のように見える。近づくと、幾つも横に長い筋が入って、幾層にもなっていることが見えてくる。これは崩れではなく地層の大「露頭」なのである。

よくよく見ると、砂岩の層と泥岩の層が互いに重なり合っているのが見える。

高校時代に、受験に役立たないと地学を学んでいないので、地球の歴史についてはからきし知らない。目の前にある「小鹿野町立おがの化石館」に飛び込んだ。

「2階のベランダからよく見えますよ」とのことで、上がって見ると、なるほどだ。「お化け」とか「山崩れ」と思っていたのが恥ずかしくなる。

「ようばけ」とは、「よう」と「ばけ」の合成語。「よう」とは陽(日)の当たる様子、「ばけ」とは秩父で崖のこと。「陽の当たる崖」である。あいにく曇り日だったので、陽の当たっている写真は取れなった。

赤平川の右岸の高さ約100m、幅約400mの大きな崖で、秩父地方では最大、全国でも有数な規模の露頭である。地層を観察するのに格好の場所なので、研究に訪れる人も多い。「日本の地質百選」にも選ばれている。

資料を読むと、現在の秩父盆地は約1500万年前、東側が外海に通じる湾(秩父湾)になっていて、砂岩や泥岩などの地層(新生代第3紀層)が約5千mの深さに堆積している。

盆地の川沿いからクジラなど、武甲山の山頂からも貝の化石が見つかっているのは、そのためだ。

周りの山地が隆起して、一辺が約12kmの正方形に近い盆地になって取り残されたのが秩父盆地なのだという。

1916(大正5)年、盛岡高等農林学校時代、学校の地質研修旅行でこの地や長瀞の岩畳、虎岩などを訪ねた宮沢賢治の歌碑が、「ようばけ」を望むこの化石館の裏に立っている。(写真)

 さはやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな 

「ようばけ」を見た後、宿への帰り道でできたと考えられている。

おがの化石館には、まだ不明なことが多く、「世界の奇獣」と呼ばれる「パレオパラドキシア」の骨格模型が展示してある。

「ようばけ」と同じ地層がある近くの般若地区で発見された哺乳類で、目、鼻、耳の位置からワニやカエルのように水陸両用の生活をしていたらしい。

骨格模型は、海を泳ぐ姿勢で復元しているとある。こんな怪獣がえさを探して秩父湾を泳いでいたと想像するだけで楽しくなってくる。陸に上がって近づいて来られたらそれこそ大変だ。

足に水かきのようなものがあり、歩くのは苦手だったようだが。

16年8月27,8日には、大型投影機を使って、このようばけの崖にパレオパラドキシアが泳ぎ、化石になっていく様子が映し出されて、人気を呼んだ。