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下総皖一 童謡のふる里 加須市大利根町

2011年07月11日 18時37分06秒 | 文化・美術・文学・音楽
下総皖一 童謡のふる里 加須市大利根町

一度、この町を歩いてみたかった。太極拳を献身的なボランティアから習っていた中学校の体育館の壁に校歌がかかっていた。よく見ると、作曲・下總皖一(しもおさ・かんいち)とあった。さいたま市立白幡中学校である。

この人の名前は、その字も読み方も難しい。このため「童謡のふるさと」を自認するこの町では「しもおさ」とわざわざルビを振っている。有難いことである。

この季節によく耳にする童謡の「たなばたさま」の作曲者に敬意を払うため、最近はやりの表記法「7・7」(七夕)の次の日の11年7月8日に訪ねた。東隣の旧栗橋町で「静御前の墓」を訪ねた足を延ばした。

さすが「大」がつくだけあって広い町である。利根川の大堤防の南側に整然と区画された水田が広がる。さすが「埼玉一の米どころ」である。「草いきれ」ならぬ青々とした″稲いきれ“といった風情である。

田んぼの中では、アメンボウもオタマジャクシも元気に動き回っていた。かつて、日本の水田地帯にはこんな広大な風景がどこにも広がっていた。

大利根町は利根川とともに生きてきた。今も生きているのは、カスリーン台風の記憶である。

町を歩くと、電信柱の中腹に、利根川上流河川事務所による1947(昭和22)年の浸水の記録が貼られている。2.3mとあるのもあるから、普通の人間なら溺れてしまう水位だ。

利根川河畔のカスリーン公園にある「大利根防災センター」の掲示によれば、利根川は大利根町などで決壊、大利根町側の決壊で東京の葛飾区、江戸川区まで洪水が及んだ。家屋の浸水約30万戸、倒半壊3万1000戸、死者は1100人を超えたとある。決壊口跡には記念碑が残る。

大利根町に入ると、「童謡のふる里 おおとね」の掲示がどこにも目に付く。午後6時になると、防災放送で田んぼの上を「たなばたさま」「かくれんぼ」「野菊」の曲が流れた。朝8時、昼、夕6時の三回だ。

大利根水防センター内の「おおとね童謡のふる里室」には、作曲した500曲もの校歌のコピーなどの資料が展示されている。開館は土、日、祝祭日だけ。そこから遠い「童謡のふる里図書館『ノイエ』」の一室には、愛用のピアノなどが展示されていた。ここには09年の開室から15年5月までに来場者が1万人に達した。

童謡だけでなく、ドイツ留学後、日本の近代音楽の基礎を作った人で、「和声学の神様」といわれる。

筝、三味線など日本の伝統音楽も作曲し、全作曲数は2~3千曲に上るという。埼玉県北には、こんなケタ外れの人が何人か生まれている。