高麗の里 ヒガンバナ(曼珠沙華) 日高市
朝鮮半島と埼玉県との関係が深いことを知ったのは、大学時代だった。学生寮住まいでまだ埼玉に関係していない頃、金達寿の「日本の中の朝鮮文化」を読んだ時である。
地方勤務を終えて、埼玉に住み始めた時、はやばやと訪ねたのが、高句麗からの渡来人が開拓した日高市の高麗の里だった。
高麗と呼ばれた高句麗は地理上では、朝鮮半島の旧満州の南部から遼東半島、現在の北朝鮮のすべて、さらに韓国に大きく食い込み、朝鮮半島の大半を支配していた国。668年、唐と新羅に滅ぼされた。
渡来人とは、現在の難民のことで、先進文化と技術を持っていて、国づくりが本格化しようとしていた当時の日本では、歓迎された。
10年のシーズンに久しぶりにヒガンバナの名所を訪ねた。ヒガンバナは田んぼの土手や畦によく植えられている。ところがここでは、雑木林(ニセアカシアが主)の中にある。昔の田んぼが雑木林に代わっているのである。
この地は「巾着田(きんちゃくだ)」の名がある。ハイキングコースの近くの日和田山(305m)の頂きから見ると、昔の巾着(財布)の形にみえるからだという。高麗川がそのような形に迂回しているのだ。
総面積は16.7ha。500万本群生しているという。ヒガンバナは湿った場所が好きで、群生するのは、主に巾着の底と右の部分に当たる川沿いの地。2kmの散策路ができている。
巾着の開け口の右の方には、平成8年に完成した歩行者専用の歩道橋「あいあい橋」がある。長さ91mの日本で最長の木製トラス(Truss)橋。トラス橋とは、橋下を三角形に組み合わせた梁で支える構造になっている。
なぜここにヒガンバナが群生するようになったか。最初は球根が流れ着いて、それを人手で増殖、日本でも有数の群生地になった。30万人を超す見物人が押し寄せるので「巾着田の詩」という歌謡曲も売り出されている。
ところで、ヒガンバナは一般に、田んぼの土手、畦や墓場の周囲に生えていることが多い。根に「リコピン」という毒があるので、モグラや野ネズミが穴をあけないよう、人工的に植えられたのだという。稲や土葬だった遺体を損傷から防ぐためだ。その根茎が強いので、畦補強のために植えたという説もある。
地下茎にはデンプンが含まれ、長時間水にさらせば無毒化して食用になるので、昔は飢饉対策に植えられたと聞いたこともある。薬にもなるそうだ。
墓場の連想から「死人花」「幽霊花」「地獄花」とも呼ばれる。日本では不吉な花のイメージが強いのに、外国ではリコリスと呼ばれ、いろいろな品種が開発されている。
それにしても曼珠沙華とは難しい名前だ。サンスクリット語の仏教用語。「天上界の花 赤い花」という意味だそうだ。おめでたい事が起きる兆しに赤い花が天から降ってくるという法華経などに由来するとか。
「マンジュウシャカ」という読み方もあるようで、山口百恵の「曼珠沙華」では、「恋する女はマンジュウシャカ」と歌われているのを、覚えている方もおられよう。