以前お知らせしたように、Gooブログがサービス終了になる。記事の新規投稿は今月いっぱいで出来なくなる。そろそろ引っ越しを始めないと。一応、他のブログサービスの世話になって、これからも当ブログは続けていきますので、引き続きよろしくお願いしますm(_ _)m
私事で申し訳ないが、僕もいつの間にやら還暦を過ぎ、なんとなく昔の事をよく知ってる人みたいになってしまった(笑) もちろん、何でもかんでも昔は良かったと言うつもりは毛頭なく、携帯電話・パソコン・インターネット・カーナビなどがない生活なんて、今では全く考えられず、手放す気はないし、なくなって欲しくない。けど、昨今はほんと良い時代になったというか何というか、昔の物或いは昔の習慣なども、絶滅してはおらず、個人の責任の範囲内なら、それら昔のものと共に生活するのは可能で、僕の場合、音楽も配信なんて未経験だけど、LPやCD等の、いわゆる”フィジカル”で楽しむ事は出来るし、本や雑誌も書店で”物”を買っている。電子書籍なんて、たぶん経験せずに死ぬのだろう(笑) そういう現代のものと昔のもの、各自が好きな方を選んで楽しむ事が出来る、というのは実に素晴らしい事だと思う。ま、配信オンリーというのも時々あるが(笑) 意外と現代は”自由”なのだ。
会社に於いても、僕は既に40年近く勤めているので、実績とかはともかく立派なベテランみたいなもんだし(一歩間違えると老害だ。もうなってるかも^^;)、結構昔の事、例えば、今の工場が出来る前の古い建物の時代とか、今のシステムになるずっと前の社員食堂とか、そういうのを知ってる限られた人になりつつあるのである。いいんだか悪いんだか。そういう昔を知ってると、社内でも色々な面で最近は大変だなぁ、と思う事が多い。インフラや組織はもちろんだけど、特に感じるのがコンプラである。
テレビで知ったのだが、近頃「アンガー・マネジメント」というのがあるらしい。めちゃ簡単に言ってしまうと、職場や家庭で怒るのをやめましょう、という事のようだ。僕の見たテレビ番組では、「アンガー・マネジメント」の専門家が4人ほど登場し、部下でも子供でも目下の人に怒ってはいけない、冷静に対処する事が大切です、と力説していた。これ、怒るなと言ってる訳で叱るなと言ってる訳ではない、と僕は解釈したが、どうなんだろう? 以前から、最近の若い人は怒る(=叱る)と委縮したり、落ち込んで自分を責めたりしてしまうので、決して怒ってはいけない、と数年前まで受講してたEラーニングの”職場のメンタルヘルス”などで教わったけど、怒るな叱るなというけど、ミスや過ちをした本人に反省して貰い、二度と繰り返さないようにして貰うにはどうすればいいのか?なんて疑問に思っていた。ちゃんと叱らなければ、本人も事の重大さが分からず、結局何も改善されないままなのでは、と。ま、叱らずに納得させるのがテクニックなんだろうけどね。僕には無理だな。人間小さいし。怒るのも叱るのも一緒になってしまうだろう。
先のテレビ番組での「アンガー・マネジメント」の専門家に言わせると、怒ってしまうのは、相手を下に見たりバカにしたりしてるから、らしい。まず、これを改めましょう、という訳だが、これがよく分からない。端からバカにしてたら、ミスした時怒るより違う感情が出てくるのでは、と思うけど。例えば、憐憫とか。で、専門家たちは、こういう事を言う反面、相手に対する過剰な期待も、裏切られたりした時に怒りの感情となって現れる、とも言ってて、なんか矛盾してるような気もするが、こういったバカにする、或いは期待する、というのをまず止める、言うならば、相手に対して真っ白な気持ちで接する、というのが怒りを制御するのに有効、みたいな事を言ってたような気がするが、相手に対して無関心になれ、というのは言い過ぎだけど、確かに、何も期待してない人に対しては、怒るという事もないのかも。
しかし、喜怒哀楽というくらいで、怒るというのは人間にとって大事な感情のひとつである。それを抑えろ、というのは人間としての自然な精神活動を制御しろ、と言ってる訳で、全て達観してしまった仏陀のような人ならともかく、怒る材料があるのに怒らない、というのは正にロボットである。どんな事をしても喜ばない人、どんな事があっても悲しまない人、というのが気味悪いのと同じで、何が起きても怒らない人、というのもちょっと不気味だ。
確かに、部下のミスや子供の失敗を、感情的にガミガミ𠮟りつけたりするだけ、というのは良くないと思う。怒りつつも、何故自分が怒っているか、相手はどう改善すべきか、論理的且つ冷静に伝え諭すのは重要だとも思う(特に子供が相手の場合)。けど怒っちゃいけない、というのはどうだろう。しかも、相手に過度に期待するな、というのもねぇ。「あなたはミスをしましたが、それはあなた自身の不注意と能力不足によるもので、改善の余地はありません。元々、期待はしてませんけどチャンスは与えたにもかかわらず、あなたは一向に成長しませんでした。そろそろ見限る時かもしれませんが、もう一度だけチャンスを与えましょう。最後通告です。これでもまた同じ事を繰り返すのであれば、もう必要ない人材と判断します。会社もそこまで甘くありません。理解して頂けましたね?」なんて冷静且つ無感情に言われる方が、よっぽどショックだと思うけど。今の人はその方がいいのか?
先の「アンガー・マネジメント」の専門家の皆さん、コンサルタントとして企業で講義や指導をしたり、自分の職場のコンプライアンス委員会でプログラムを実行したり、とかしてるらしい。彼らは、講義や指導の際、自分たちの言う事が理解出来ない、或いは理解しようとしない人がいても、決して怒る事はないのだろうか。ま、端から期待してないからいいのか。でも、それではちっとも前に進まない気がするが。
とにかく、昔と違って、ダメな部下には叱咤激励してればいい時代ではないようだ。本当に、今の管理職、特に中間管理職の人たちは大変だと思う。ダメな部下でも怒っちゃいけない、なんてね。コンプラだのパワハラだの、とにかく生きにくい世の中になってしまった。ほんと、こういう所で板挟みで苦しんでる中間管理職の皆さんを、社会はもっとケアするべきと思う。何でもかんでも中間管理職に押し付けるのは良くない。けど、Eラーニングでも、「疲弊した中間管理職に対するメンタルケア」なんてのは見た事ない。
前述の「アンガー・マネジメント」のテレビ番組、最後まで見てなかったので分からないけど、相手が部下であれ子供であれ、あくまでも”マネジメント”の観点から、怒ってはいけない、と言ってるのだと思う。人間が怒るのは、部下や子供が言う事きかない、という時だけではない。不条理な経験をした時、人間としての尊厳が踏みにじられた時、非人道的な言動に接した時、人は怒りを覚えると思う。そういう感情までも制御しろ、と言ってるのではないと思いたい。怒るべき時は怒っていいと思います。