イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

訳文を作りし者の恍惚と不安 二つ我にあり  その一

2008年01月30日 23時15分22秒 | 連載企画
「食えない」と言うことなかれ背表紙の訳者の名前の恍惚と不安

(解説)『選ばれし者の恍惚と不安 二つ我にあり』太宰が引用したヴェルレーヌの詩の一節だ。文字通り、誰かによって選ばれた存在であるということは、恍惚となるほど喜ばしいことでありながら、本当に自分でよかったのかという不安に苛まれるものなのだ(ちなみに、この言葉が僕の心に深く刻まれているのは、プロレスラーの前田日明がそれをリング上で口走ったからだ。そのときの前田は、格好よかったぜ本当に)。

出版翻訳は、食えないという。何ヶ月もかけて書籍を訳しても、得られる収入はごくわずかしかない場合が多いと聞く。ごく一部の例外を除けば、出版翻訳だけで生計を立てようとするよりも、普通の勤め人をしている方が経済的にはよっぽど安定しているし、稼げる額も高いというのが一般的な見解だ。

ある意味それは妥当な意見だ。実際、パイは非常に限られている。日本に限れば、本の翻訳だけで十二分に食っている人の数なんて、まず三桁はいかないだろう。儲かる仕事をそれこそ何十年にわたって続けている人なんて、下手したら限りなく一桁に近づくだろう。ともかく、だから、と人はいう。本の翻訳だけで食ってくなんて、夢物語なのだと。だから、翻訳なんて商売を目指そうというのは、まともな人間の考えることではないのだと。たしかに、そうかもしれない。僕も、だいたいはそう思ってる。よっぽどのベストセラーにでも恵まれない限り、本の翻訳だけで楽々と生活していけるなんて思っていない。

でもちょっと待って欲しい。そもそも、翻訳に限らず、印税だけでメシを食っている人なんて、どれだけいるというのか。よほどの売れっ子作家でなければ難しいということは、ちょっと考えればすぐにわかるだろう。芥川賞取ったって、印税だけでは生活していけない人だってたくさんいるのだ。出版翻訳じゃ食えないと嘆くとき、同時に世間から、じゃあいったいお前にはどれだけの才能があり、技があるのか、印税だけで世間様から食わせてもらって当然と思えるほどの、価値のある仕事をしているのか、と問われていることを想像しなければならない。「自分の訳した本がなぜか売れなくて、印税ががっぽがっぽ入ってこなくて、左団扇で生活できない。なんておかしな世の中なんだろう」、なんてことを考えているとしたら、それは本当に大きな勘違いだ。

(明日に続きます)

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